令和百人一首24
【047】順徳院
いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名付くるも憂し
【048】正徹
水無瀬川秋の形見を隠岐の海に咲き移ろはむ白菊の花
【コメント】後鳥羽院大好きなのは何も私だけではない。順徳院は後鳥羽院の皇子だ。承久の変に敗れて佐渡に配流されて同地で没した。定家に師事したひとかどの歌人でもある。小倉百人一首ではしんがりに位置する。「白菊」は父帝・後鳥羽院の象徴だ。その前提があるとないとでは味わいがまるで違ってくる。正徹は室町時代、京都東福寺の僧。歌壇の第一人者として8代将軍足利義政に厚遇された。本作に見える「白菊」もまた後鳥羽院を指す。それどころが後鳥羽院御製「見渡せば山元霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」を主題とする二重フーガだ。「秋の形見」とは紅葉で、「隠岐」から「置き」を想起させ、白菊とともに秋のツールをちりばめながらも、本当に言いたいのは「後鳥羽院大好き」の心情。だから字面につられて現代語訳をいじくりまわすのは野暮でしかない。心から共感する。
つまり「白菊歌合せ」
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