令和百人一首26
【051】藤原為家
梔子の一入染めの薄紅葉岩出の山はさぞ時雨るらむ
【052】後嵯峨院
袖触れば色まで移れ紅の初花染に咲ける梅が枝
【コメント】ハーフタイム明け後半のキックオフ051藤原為家は050藤原定家の息子。親子裏合わせであるばかりか049の藤原俊成からの三代を「令和百人一首」中央に連ねて敬意を表する。為家は若い頃、歌の鍛錬をそっちのけでサッカーならぬ蹴鞠に没頭して父を嘆かせたというが結局、勅撰和歌集の撰者を2度務めるという栄誉に浴した。彼に始まる作歌上の新機軸は多いのに、なだらかな詠みっぷりゆえ、気づいてもらえないというのが特徴らしい。勅撰和歌集デビューは9番目の新勅撰和歌集だから、源実朝と勅撰同期だ。梔子は「口無し」を想起させ、それが岩出つまり「言はで」に結びつく。気持ちを言えない恋の歌ではあるのだが、あまりに華麗だ。岩出はどこぞの歌枕。「一入染め」は「ひとしおぞめ」と読む。梔子の染液に一度だけ浸した染め物ということだ。染め物に対する関心は現代からは想像もつかないくらい高かったから、作品の中に染め物用語がよく出てくる。お叱り覚悟で和歌界のチャイコフスキーと認定する。
次の後嵯峨院御製もまた染めの流れだ。彼の父は土御門院だから、後鳥羽院の孫ということになる。祖父顔負けの大歌人で10番目と11番目の勅撰和歌集の選集を命じた。在位中2度の下命は史上4名だけだ。流麗なお歌の数々に言葉を失う。和歌のドヴォルザーク。「梅の花がきれい」と言いたいだけなのに延々四句も費やして贅沢に「梅の花の色が紅の初花染みたいで、触れたら色が移りそうだ」と言い放つ。
つまり「染歌合せ」だ。
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