令和百人一首21
【041】慈円
眺むれば我が山の端の雪白し都の人よあはれとぞ見よ
【042】親鸞
明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは
【コメント】慈円は摂政関白・藤原忠通の子。38歳で延暦寺管主に就任した。となれば本作にいう「我が山」とは当然比叡山だ。彼が都に降りてきて比叡山を見上げながら詠じたとされている。霊山比叡を我が山と断ずる気概こそが、根底にある。花も紅葉も無いが凛とした白は十分に哀れだと言っている。彼が執筆した歴史書「愚管抄」は当時を証言する第一級の資料であり続けている。勅撰入集269首を数える歌壇の中心人物であり、人格者であり、政権中枢のよき相談相手だった。亡き父はどうも僧侶好きだ。小倉百人一首の中で、寂蓮と慈円が筆頭格だった。
一方、親鸞は浄土真宗の開祖だ。本作は9歳の頃、師匠から「修行を明日にしたら」と言われて返した歌だ。「後回しにして今夜嵐が来たらどないすんねん」てなもんだ。見上げたリスク管理である。「あだ桜」で手厳しく油断をとがめられた師匠の名は慈円。
だから「師弟歌合せ」という寸法だ。
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