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2020年2月16日 (日)

令和百人一首25

【049】藤原俊成

 夕去れば野辺の秋風身に沁みて鶉鳴くなり深草の里

【050】藤原定家

 見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

【コメント】この親子歌合せで「令和百人一首」の前半を締めくくる。定家を最後に小倉百人一首収載の歌人は出ない。ここまで小倉百人一首収載の歌人は26名。つまり74名の収載を見送ったことに他ならない。前半は小倉と重複する時代ながら同一歌を選ばぬ意図があった。この手の配列上の仕掛けを作るのが楽しくて仕方がなかった。

まずは父の俊成。90歳を超える長寿で、息子世代においても歌壇の重鎮として尊敬を集めた。その死は新古今和歌集完成の前年だ。和歌集大成としての新古今を支えた後鳥羽院歌壇の歌人たちの多くを千載和歌集で勅撰デビューさせた撰者としての見識の高さに加えて、歌人としても別格で勅撰入集は422首を数え、貫之、定家に次ぐ歴代3位だ。和歌界のベートーヴェンと呼びたい。

その子が定家。新古今和歌集の撰者。勅撰入集は歴代2位の467首。第7番目でしかない「千載和歌集」での勅撰デビューであることを考えると驚異的だ。その上小倉百人一首の撰者だ。さらに新古今和歌集を和歌史上最大の金字塔とする向きも少なくないとなると、彼の功績は特筆の上、朱筆大書、加えてアンダーラインも要る。よって和歌界のワーグナーと認定する。鎌倉の源実朝は作品を京都の定家に送って指導を乞うた。曲がりなりにも征夷大将軍だった実朝からの付託に応じ、出来たばかりの新古今和歌集に加え、万葉集、古今集、様々な歌書を贈呈している。さらにだ。さらに実朝亡きあと、二度目の勅撰撰者となった9番目の勅撰和歌集「新勅撰和歌集」に実朝作品を25首も入集させた。田舎侍扱いしていないことは確実だ。定家のそうした扱いは以後の規範となり、それに続く12の勅撰和歌集すべてに入集を果たすことになる。

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