令和百人一首19
【037】寂蓮
寂しさはその色としも無かりけり槙立つ山の秋夕暮れ
【038】藤原家隆
いかにせむ来ぬ夜数多のほととぎす待たじと思へば村雨の空
【コメント】この二人は師弟。師の寂蓮は、叔父の俊成の養子となっていたが、定家の誕生で家督争いにならぬよう忖度してか、自ら出家したともいう。出家後も義父や義弟と円満な関係を続けた人格者。本作は「第三句否定」「秋の夕暮れ止め」の定型の元祖ともいうべき代表作だ。そもそも清少納言が「枕草子」で「秋は夕暮れ」と断言して以来、もののあわれの根幹とされ続けた。一年の斜陽である秋と、一日の斜陽の交点である「秋の夕暮れ」に人は物を思う。人生の晩年とも重なればもののあわれ感はここに極まる。寂蓮は小倉百人一首でも「秋の夕暮れ」が採用されていて、そちらを父はこよなく愛した。この時代にあって恋歌苦手はかなり異端だ。
弟子は小倉百人一首では「従二位家隆」とされている。藤原定家のよきライバルだ。その定家は撰者となった新勅撰和歌集において家隆を最多入集させている。また後鳥羽上皇から「和歌の師匠は誰がいいか」と尋ねられた摂政・九条良経が家隆を推薦したという。待っても来ない夜ばかりのほととぎすを待つまいと決めたら空模様が怪しくなったというユーモラスな味わいだ。掛詞、本歌取り、係結び、縁語など難解な技法を駆使するわけではなく、平易な言葉をシンプルに連ねるだけで歌になるという特技の持ち主。和歌のショパン。
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