五重本歌取り
「令和百人一首」に自作をこっそりしのばせて撰者を気取った。源実朝と見開きペアにして、後鳥羽院と裏合わせという絶妙の位置に自分を置いた。定家が小倉百人一首に自作を選んでいるのを真似た。しかしあちらは勅撰入集歴代第2位にして勅撰撰者二度の大歌人だ。一方こちらは申すまでもないド素人。ただただ源実朝の隣に居たいという思いの現れだ。
来ぬ人も惜しかささぎのしだり尾の長き綱手を引けば実朝
これが私の歌。
- 定家 来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ
- 後鳥羽院 人も惜し人も恨めしあぢき無く世を思ふゆえに物思ふ身は
- 家持 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
- 人麻呂 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝む
- 実朝 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
定家、後鳥羽院、家持、人麻呂、実朝の小倉百人一首のお歌からエッセンスを拝借し、最後に実朝の名で体言止めをかました。令和百人一首の選定を通じて感じた和歌という文化への敬意、大歌人たちへの畏敬をこめた五重本歌取りである。「定家、後鳥羽院、家持、人麻呂、素晴らしい和歌の伝統があるけれど、私は実朝を愛します」と言いたいだけの字数合わせにぞありける。
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