令和百人一首17
【033】平行盛
流れての名だにもとまれ行く水のあはれはかなき身は消ゆるとも
【034】正岡子規
敦盛の墓弔えば花も無し春風春雨播州に入る
【コメント】行盛は清盛の孫。壇ノ浦で討ち死にした。本作は都落ちの際に藤原定家に託したと伝わる。「せめて歌だけでも名を遺したい」とのメッセージに対して、定家は新勅撰和歌集に入集させてその付託に応えた。平家追討の詔が出ているから、さすがに新古今には採りずらかったかもしれぬ。およそ720年隔てる子規の歌もまた平家に因む。一の谷で撃たれた平敦盛の墓は須磨寺にある。敦盛の墓を訪ねたら花も供えられていないという無常と春爛漫の落差を詠む。雅の世界の常識として春は東から来る。だから摂津播磨の国境を越えて播磨にも春が来たかと。第三句に否定を置く定家以来の伝統に従いながらも、漢文調の4句目がきりりと引き締めて重厚な味わい。よもや「はるかぜはるさめ」とは読めまい。「しゅんぷうしゅんう」に決まっている。
「平家の悲劇歌合せ」である。
お歌とは関係がないが、子規という人は大の実朝ファンだ。「歌詠みに与ふる書」の中で実朝を大絶賛する。だからはずせぬ。
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