令和百人一首45
【089】徳川光圀
夕立の風に気負いて鳴る神の踏み轟かす雲の架け橋
【090】徳川斉昭
名にし負ふ春に向ケ岡ならば世に類無き花の影かな
【コメント】中納言の唐名「黄門」から「水戸黄門」として知られる。水戸藩主として大日本史編纂を命じた。万葉代匠記の契沖を保護するなど詩歌に造詣が深い。本作は雷の描写。「この紋所が目に入らぬか」と言わんばかりの威容である。対して9代目水戸藩主烈公・斉昭は、15代将軍徳川慶喜の父である。本作は「文政11年弥生10日に、水戸藩江戸中屋敷で桜を詠んだ」と詞書に明記される。上野の忍ケ岡から見て向こうの岡というのが由来らしく、「春に向かう」が地名の「向ヶ岡」と掛けられている。「春に向かうという名の岡だからさすがの咲きっぷりだ」との手の込んだ賞賛だ。その後、詞書中の「弥生」に加え、歌中の「向ヶ岡」にちなんで、あたりは弥生向ヶ岡町と改名された。やがて町内から出た土器が弥生式土器と命名されることになる。大日本史編纂の水戸家にふさわしい因縁だ。というわけで本日は「水戸家歌合せ」だ。
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