令和百人一首32
【063】光厳院
小夜更くる窓の灯つくづくと影も静けし我も静けし
【064】夢窓疎石
我が宿を問ふとは無しに春の来て庭に跡ある雪のむら消え
【コメント】光厳院は伏見天皇・永福門院夫妻の孫。後醍醐天皇の皇太子となる。笠置に逃れた先帝に代わって即位。後醍醐天皇の菩提を弔うために夢窓疎石を招いて天龍寺を創建。第17勅撰和歌集でしかない風雅和歌集で遅めの勅撰デビューのハンデあるも79首が入集する。さてもさても本作結句「我も静けし」に言葉を失った。正岡子規あたりの作と言われてもすんなり入ってきかねない。夜の深まりと窓から漏れる灯りを淡々と歌い、第四句「影も静けし」までは「ふむふむ」ってなもんだが、「我も静けし」と転じられて一本負けだ。京極派セカンドアルバム「風雅集」の実質的な撰者である。
夢窓疎石は臨済宗の僧。やがて禅宗に帰依し各地を遍歴。後醍醐天皇から「夢窓国師」を、続く光厳院からは「心宗国師」を下賜されて天龍寺を開山。鎌倉瑞泉寺、京都西芳寺および天龍寺、山梨恵林寺など、彼の手による庭園は多い。その夢窓疎石が自宅の庭を詠んだ作品は貴重。「問ふとは無しに」は「覚えもないのに」「いつのまにか」の意味。「雪のむら消え」は、雪解けによって生じるまだら模様。さらに「跡」まで共通するとなると…イエス!040「若草の宮内卿」の本歌取りとは。庭いじりの余技というにはもったいない勅撰入集11首を数える。
「天龍寺歌合せ」である。
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