令和百人一首27
【053】伏見院
花の上の暮れ行く空に響き来て声に色ある入相の鐘
【054】京極為兼
立ち帰り人待ち顔に響くなり遠山寺の木隠れの鐘
【コメント】この二人師弟だ。054為兼が師匠で年長なのだが、伏見院は帝なので左方に寄せることとした。この措置により、052後嵯峨院と「祖父と孫裏合わせ」が実現することになる。京極為兼の弟子伏見院は玉葉集を筆頭におよそ300首近く入集する当代きっての歌人。后の永福門院とともに京極派の重鎮として長く君臨した。和歌界のマーラーか。
頂点たる定家・為家以降、和歌が歌道主義、マンネリに堕してゆく中抵抗を試みたと解される。それが京極派だ。光と影、精密な写実を旨に叙景歌を得意とする歌風だ。玉葉集は、言わばファーストアルバムで為兼はその撰者でもある。お叱りまで覚悟で申すなら和歌界のドビュッシーだ。
本2作どちらも体言止めにて鐘の音を愛でる。主役は音だから色彩は必ずしも華麗とは言い難いが、家持の「音のかそけき」にも通じるピアニシモの美学がある。「鐘の音」歌合せ。
9番目の勅撰和歌集「新勅撰和歌集」に25首採用されてデビューした源実朝は、その後21番目の最後まで勅撰和歌集に採られ続けるが、数の上では徐々に収載が減ってゆく。新作が現れないまま、よい歌からどんどん収載がすすめば、先細るのは当然だ。ところがそうした流れは、14番目の玉葉和歌集と17番目の風雅和歌集で、一瞬盛り返す。なんとなんと両者は京極派優位の和歌集だ。偶然ではあるまい。実朝は京極派から好意的に見られていたに違いない。だから京極派大好きという屈折ぶりはブラームスっぽい。
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