令和百人一首35
【069】宗祇
清見潟まだ明けやらぬ関の戸を誰許せばか月の越ゆらむ
【070】肖柏
写しみよ山は嵐も柔らかき楢の若葉の言の葉の道
【コメント】宗祇は連歌の創設者。やはりひとかどの歌人。古今伝授を受けた068東常縁とは裏合わせになっている。歌枕としての清見潟は静岡県清水市興津付近の景勝地で月の名所、関所もあった。夜間の通行は関所によって禁じられている。まだ夜明け前、月の光は誰の許しを得て関所を越えているのだろうという感慨。透き通るような描写のせいか人間社会の制約を超えた自然の賛歌にも映る。宗祇から古今伝授を受けたのが肖柏だ。京都建仁寺の僧。「山は嵐も」は応仁の乱以降の世の中を指す比喩だ。戦乱の世にあっても、柔らかく言葉を紡いで見せるのが和歌の道だと説く。「楢の若葉」は柔らかいものの代表と捉えている。第四句以降「の」を畳みかけて急き立てるリズムが決意の表明を盛り立てている。「の」だけに許された畳みかけの特権だ。
1488年1月水無瀬神宮に奉納された名高い連歌「水無瀬三吟百韻」は後鳥羽院にささげる趣向だった。主催は宗祇で、発句を受け持って「雪ながら山もと霞む夕べかな」と詠じた。言わずもがな後鳥羽院御製「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」の本歌取りだ。宗祇もまた後鳥羽院ラヴに決まっている。それに「行く水遠く梅匂ふ里」と続けたのが肖柏だった。かくして
雪ながら山もと霞む夕べかな行く水遠く梅匂ふ里
だから…。
だから「水無瀬歌合せ」である。後鳥羽院大好きの私としては絶対に譲れぬペアリングである。
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