令和百人一首44
【087】伊能忠敬
七十に近き春にぞ相の浦九十九の島に生きの松原
【088】佐久間象山
陸奥の外なる蝦夷の外を漕ぐ舟より遠くものをこそ思へ
【コメント】伊能忠敬は世界に冠たる大日本沿海輿地全図の作者、平たく申すなら日本地図。家業引退後に日本全土の測量を成し遂げた。千葉県九十九里町の出身。郷土の偉人というだけではなく、源実朝と並ぶ最も好きな日本史上の人物と断言したい。百人一首に伊能忠敬を入れるそのこと自体が、私のキャラの強烈な反映である。本作は測量の途上で長崎県佐世保近郊の海辺・相の浦に差し掛かった際の歌。彼自身の年齢から説き起こす初句から「相の浦」まですらすら。「相の浦」は春に会うと実際の地名が掛けられている。これから沖合の「九十九島」(つくもしま)に出かけることにすると意気込む。「生の松原」は「いきのまつばら」で「行く」と掛けられる。複雑巧妙な掛詞の連鎖で「70歳だけど99までがんばるぞ」と決意表明する。現代語訳なんぞほぼ無意味で、雰囲気だけを味わうべき。九十九には故郷の九十九里が念頭にありはせぬかと妄想は膨らむばかりだ。どのようなお叱りがあろうと断固として撰者枠1つを捧げたい。
佐久間象山は信濃松代出身の思想家。海外事情の研究家として「海防提案書」を上程。幕府には海軍の設置を説いた。深川に砲術学校を開く。門下に吉田松陰、勝海舟などがいる。1854年、吉田松陰の密航を教唆したとして投獄された。1862年に赦免され、開国と公武合体を唱えるも翌々年京都で尊王攘夷派に暗殺された。本作は獄中での詠。「陸奥」「蝦夷」が重ねられ、その外を行く舟よりさらに遠くと念を押して最後に係結びでとどめ。もしかしてロシアが脳裏にあったか。
世界の中の日本歌合せ。
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