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2020年3月 7日 (土)

旋律はどうした

ドイツ民謡の研究が当初文学者の手によって進められたことは既に述べてきた。ロマン派の文学運動の一環として起こったからだ。現在でこそ民謡において旋律とテキストは密接不可分と考えられているが、当初はもっぱらテキストの収集研究だった。

日本にも古来和歌の伝統がある。8世紀中庸奈良時代に成立したと考えられる万葉集が、現存する最古の和歌集だと位置づけられている一方、万葉集の詞書きなどから万葉集に先行する歌集が存在したこともほぼ確実だ。

五七五七七に区切られた31音で成り立つ和歌は、実際どのようにうたわれてたのだろう。競技カルタつまり百人一首では、100首の歌が同じ旋律で歌われている感じである。和歌を文学として見る限りそれでも良いのだと思うが、「口に出して読まれて何ぼ」だとすれば旋律めいた節回しで読まれていたとも考えられる。和歌が芸術となる以前、民衆の声の発露だとするならなおのこと個々の歌毎に別旋律だったとしても不思議はないとにらんでいる。同じ人間だ。ドイツで起きたことが日本で起きぬハズはない。それがいつの間にか旋律という要素が脱落した結果和歌が文学になったのではないだろうか。CDや楽譜が無いということを前提とするなら、旋律の伝承はテキストに比べて難易度が高いと見た。

古今和歌集以降、和歌集が天皇の命令で作られ、貴族たちのたしなみになってしまう前、庶民のザレ歌がいつしか五七五七七の形態に落ち着いたということはないだろうか。しかもそれらは当初独自の旋律を持っていたなどという想像は荒唐無稽だろうか。

さらにだ。和歌の流れや意味内容によって朗誦する際のダイナミクスに影響があったのかなど興味はつきない。歌合せなどでお歌を詠みあげる人が専門化して読み方が紙に残れば、そのキャラは楽譜に通ずるものがあるはずだ。

 

 

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