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2020年3月24日 (火)

わたる風よりにほふマルボロ

「千人万首」「令和和歌所」に続く参照サイトが「わたる風よりにほふマルボロ 」だ。管理人様は女流歌人。私より相当お若いどころではなく、むしろ娘らに近い。サイト「令和和歌所」に入り浸っているうちにたどりついた。お歌のお好みは新古今と京極派で鉄板。歌人で申せば定家と式子内親王なのは明らか。「万葉集嫌い」「古今集嫌い」と公言してはばかることがない。痛快だ。記事のメイン「自作の紹介」の他では古典和歌の現代語訳と歌論。全体に「及ばぬ高き姿」がシンボリックにちりばめられる。

オリジナルの現代語訳というより現代訳と申すのがむしろ適切。興味深いのは訳を披露する一方で現代語訳は必要悪と断言することだ。精緻な訳の後で「いけねっ!壊しちまったぜ」とポリポリとばかりに頭を掻いてみせるが、恐らく計算ずくと見た。「だって和歌は韻律と響きでしょ」と。

歌論は基本重視。自由にはばたきたいなら基礎文法押さえろよと。実作にあたっての示唆に富んだアドバイスの数々。懇切丁寧の上に極上の説得力がソースとしててんこ盛りされる。それらを総合すると「歌はこうあるべし」という熱い哲学にたどり着くという巧妙な意図。サイト内で盛んに「辞書を引け」と熱く繰り返す。ゆめゆめ「ブラームスの辞書」が引かれることはあるまいが、親近感を覚える。

さらに全部わかりもしないで好きも嫌いもないでしょと手厳しい。「万葉集好き」も「新古今嫌い」もいいけれど、どれだけわかって言ってるのか。「好き」はともかく「嫌い」と言うには根拠が要るよねと。子守歌とハンガリア舞曲だけ聞いて「ブラームス嫌い」と言われたら引くのと同じだ。バッハだけしか知らずに「やっぱりバッハだよね」の風潮を批判するに等しい。バロック150年の統合とほめるならバロック全部一通り押さえろよというもっともな理屈。実朝しか知らずに「実朝好き」と言い張るに加え、実朝さえ知らずに言ってるなんてケースをこそ真剣に嘆いておられる。やがて単なる「見え透いた万葉上げ」「薄っぺらな古今上げ」の風潮を憂いているだけで、万葉古今にもそれ相応の敬意は払っているのかと気づき、首が捻挫するほどうなずいた。

ご本人は「過激」と謙遜しきりとも聞くが、どうしてどうしてごもっともな論説ばかり。これを「過激」と感じるのは後ろめたいところがあるからなんじゃないかと邪推しきりだ。「令和百人一首」の選定に迷っていたころたどりついて目から鱗を数枚引っ剥がされた。麻酔なしでだ。いい年こいて甘ったれてんじゃねぇよと。背中を押されたどころではなくケツを蹴り飛ばされた感じ。行く手に降り積もった雪を路面ヒーターのようにじんわり溶かすのが「令和和歌所」なら、こちらはラッセル車で吹き飛ばす感じ。お叱りまで覚悟ならブルドーザーかとも。ここまで繊細なブルドーザーは見たことがありませぬ。

言寄せて字数つくろふ筆の上にわたる風よりにほふマルボロ

ブログタイトルが「七七」の音韻になっていると気づいて、心からの感謝をこめて上の句を付けさせていただく次第。お叱り覚悟というより、清水の舞台からパラシュート無しでござる。

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