令和百人一首28
【055】二条為世
雪とのみ桜は散れる木の下に色変へて咲く山吹の花
【056】冷泉為相
山元の竹より奥に家居して田の面を通ふ道のひと筋
【コメント】定家の息子為家の晩年、さまざまな事情により相続問題が発生し訴訟沙汰になった。歌道宗家の内輪もめだが、勅撰和歌集撰者争いもからんで複雑化する。054京極為兼、055二条為世、056冷泉為相に皆「為」の字がつくようにこの三家に藤原御子左家が分裂したということだ。つまり「ライバル歌合せ」である。為世は藤原為家の孫だし、為相は息子だ。皇統が大覚寺統と持明院統に分裂したこととも関係があるらしい。京都に本拠を置いたのが二条と京極で、冷泉は鎌倉だ。二条為世の本作は雪と見まがう桜の散り際を詠む常套を踏みながら、次に控える山吹に目を転じ白と黄色のコントラストを指摘する。為相は、祖父定家の「里びたる犬の声にぞ聞こえつる竹より奥の人の家居は」を本歌取りし、鎌倉の住いを詠んだ。人呼んで「藤谷殿」。
さて、二条為世は歌道宗家の当主として、13番目「新後撰和歌集」と15番目「続千載和歌集」の撰者を務めた。勅撰和歌集の撰者を生涯で2度務めるのは、そりゃあもう大変な栄誉だ。ではあるのだが祖父・為家が撰者となった11番目の「続古今和歌集」に収載されていた源実朝「我が背子は真土の山の葛かづらたまさかにだに来るよしもがな」を、13番目の「新後撰和歌集」にも採用してしまった。重複採用がどれほど大問題なのか知らぬが、実朝の勅撰入集は93回92首ということになっている。
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