令和和歌所
サイト「千人万首」が「令和百人一首」選定の大きな助けになったという話に続ける。
サイト「令和和歌所 」である。古典和歌の精髄を初心者にもわかりやすく懇切丁寧に提供してくれている。歴史、文法、情緒、哲学が高い水準で取り揃い、流麗な筆致と合わせて貴重。内容は初級、中級、上級、オタクとでも分類されようが、言い回しの丁寧さだけは共通する。添えられる画像の美しさに加え図表の細かさ丁寧さは、私よりかなりお若い管理人様の性格に由来するものだろう。論理の展開は巧緻を極め、根拠明確理路整然なさまは読むに心地よい。管理人様ご自身の嗜好はおそらく紀貫之。そして新古今、玉葉、風雅つまりは京極派。万葉集、小倉百人一首の情報ばかりに偏る世の現状を考えると心強い限り。サイトの目指す地平が明文化されていることがどれほど理解の助けになっているかと思うにつけ哲学の重要さを痛感させられる。
陰暦一年365日を切り口に毎日相応しい歌を日めくる企画は圧巻である。私は全てエクセルに写し取り手本とした。歌の選択、配置、コメントに確固たる哲学を感じる。歌人や出典の顔ぶれ構成比から、先生の脳味噌を垣間見た。源重之をラフマニノフ、九条良経をヴィヴァルディに例える記事に背中を押されたと告白する。
言い回し、読後感への静かにも熱いこだわりの一方で、時としてはっとするほどの論旨を展開する。古典和歌への讃美は現代短歌への静かな批判とも映る。「俺が私が僕が」が際立つ現代短歌と、理想として目指す古典和歌を厳しく峻別する姿勢に心打たれた。「室町以降の歌壇の停滞」をさりげなくかつ明確に指摘する。「壊すべき古典を持っているか」と喝破されて大きうなずいた。ブラームスラヴと矛盾せぬ。
「令和百人一首」の選定作成の道のりに降り積もる雪を、じんわりと解かす路面ヒーターのような存在だった。もちろんご自身も馥郁たる歌を詠む上に、さらさらと書き留めるという多才っぷりにも触れておかねばなるまい。
心からの感謝をこめてお歌を一首。
玉拾ふ浦に帆高く船出して秀でし令和和歌所かな
お粗末。
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