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2020年4月30日 (木)

野辺のゆりかご

「脳内補正語」第7弾。例によってまずは以下。

  1. 焼き捨てし煙の末の立ち帰り春萌え出づる野辺の早蕨
  2. 薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
  3. 夕されば野辺の秋風身に沁みて鶉鳴くなり深草の里
  4. 契り置く花と並びの岡野辺にあはれいくよの春を過ぐさむ
  5. 野辺よりも思へば深きあはれかな移す虫籠の夕暮の声

以上。「令和百人一首」収載中、「野辺」が出て来る歌の一覧だ。理由はわからぬが大好きだ。「野」単体に比べ意味がどう違うのか、「野原」「野山」とのすみわけなど謎も多い。単なる語調、語呂とも思えぬ。

2020年4月29日 (水)

命令されたいほう

「脳内補正語」第6弾。まずは以下を。

  1. 薄く濃く静かに匂へ下枝まで常盤の橋にかかる藤波
  2. 眺むれば我が山の端の雪白し都の人よあはれとぞ見よ
  3. 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止め給へ
  4. 我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
  5. 袖振れば色まで移れ紅の初花染に咲ける梅が枝
  6. 写しみよ山嵐も柔らかき楢の若葉の言の葉の道
  7. 冴へ上る月にかかるる浮雲の末吹き払へ四方の秋風
  8. 昔より主内海の野間ならば報いを待てや羽柴筑前
  9. なよ竹の風に任する身ながらもたわまぬ節もありとこそ知れ
  10. 陸奥の外なる蝦夷の外を漕ぐ舟より遠く物をこそ思へ

以上。見ての通り命令形だ。私はこれに弱い。おっと10番目は「こそ」を受ける結びの已然形だから命令ではないかも。

代わりに以下。

  1. 吹きと吹く風な恨みそ春の花残る紅葉の秋あらばこそ
  2. まだき散る花と惜しむな遅くともつひに嵐の春の夕暮

のような禁止も命令の一部と見ることが出来る。

誰かに命令されたいほうだ。

2020年4月28日 (火)

現在推量

「脳内補正語」第5弾。具体的な根拠に基づいて目の前にない事実を想像する言い回しが助動詞「らむ」である。終止形を追尾することご承知の通りである。小倉では「しづ心無く花の散るらむ」が有名。さて我が「令和百人一首」での状況はと調べた。

  1. 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が一人越ゆらむ
  2. 袖ひじて結びし水の氷れるを春立つ今日の風や解くらむ
  3. 梔子の一入染の薄紅葉岩出の山はさぞ時雨るらむ
  4. 更に今和歌の浦波収まりて玉拾ふ世に立ちぞ帰らむ
  5. 清見潟まだ明けやらぬ関の戸を誰許せばか月の越ゆらむ
  6. 四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ

以上。しかしこの中に1つ助動詞「らむ」ではないものがある。4番目足利義政がそれにあたる。終止形ではなく未然形に意思の「む」が付き従っている。ことほどさようにややこしいが、効果は抜群だ。「らん」と標記されることもあるが大好きには変わりはない。

 

2020年4月27日 (月)

上より下

「脳内補正語」第4弾。

お歌の中で使われた場合の収まりの話。単語またはその一部としての「上」と「下」の比較だ。

まずは「上」から。

  1. 石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかも
  2. 花の上の暮行く空に響き来て声に色ある入相の鐘
  3. 諏訪の海の氷の上は霞めどもなほ打ち出ぬ春の白波

続いて「下」は以下の通り。

  1. 薄く濃く静かに匂へ下枝まで常盤の橋にかかる藤波
  2. 行き暮れて木の下影を宿とせば花や今宵の主ならまし
  3. 跡しめて見ぬ世の春を偲ぶかなその如月の花の下影
  4. 雪とのみ桜は散れる木の下に色変へて咲く山吹の花
  5. 花に花靡き重ねて八重桜下枝をわきて匂ふ頃かな
  6. 雪折の竹の下道踏み分けて直なる道を世々に知らせむ

数の上で「下」の勝ち。収載外で拾っても「下露」「下隠れ」「下萌え」「下葉」などセンサーにひっかかる言葉が多い。単なる物理的上下の話にとどまらぬ微妙なニュアンスの付加がある。角をそぎ落すというか、丸めるというか。感覚的には意味の縮小とまでは申さぬが「穏和化」とでも位置付けたい。

音楽用語でいうなら「mezzo」か「poco」あたり。

2020年4月26日 (日)

呪文としての「ぞ」

「脳内補正語」第3弾。

今回の「令和百人一首」で無念の落選筆頭格が紀友則。小倉では「しづ心無く」の人だ。もし収載していたら以下のお歌にするはずだった。

 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る

「梅の花の価値を知っているあなたにこそ見せたい」と言う程度の意味。源実朝はこれを本歌取りして

 君ならで誰にか見せむ我が屋戸の軒端に匂ふ梅の初花

と詠んだ。庭の梅を折って側近の塩屋朝業に贈った際に添えた。贈られた朝業は返す。

 うれしさも匂ひも袖に余りけり我が為折れる梅の初花

受け手の喜びはいかばかりか。友則の元歌を知っていると嬉しさも倍増だ。「あなたには贈る価値がある」と認められたのだから。この人実朝の暗殺後、出家して信生と名乗った。勅撰入集10首の歌人でもある。

前置きが長くなった。友則の元歌の焦点に「ぞ」がある。「知る人ぞ知る」だ。現代でも旅番組の芸能人がとっておきのカフェを紹介する際になどに、「知る人ぞ知る」と使い回される。文法的には「係助詞」で、連体形での結び要求する。意味は「強調」だ。語調の整えの効果も大きい。字足らず回避の切り札とも見える。迂闊な字足らずを放置するくらいなら「ぞ」を挟めよって感じ。逆に「ぞ」を挟んだ結果としての字余りならありかも。

さまざま状況で趣を添えてやまない「打ち出の小づち」だ。

ブラームスで言うなら「rf」「リンフォルツァンド」だ。「スフォルツァンド」と違ってダイナミクスの増強を意味しないまま、大切な音を指し示す機能がある。「ブラームスの辞書」では「瞬間型マルカート」と認定している。

 

 

2020年4月25日 (土)

「まし」の魔法使い

「脳内補正語」第2弾。

  1. 吾を待つと君が濡れけむ足引きの山の雫にならましものを
  2. ほととぎす声待つほどは片岡の杜の雫に立ちや濡れまし
  3. 世の中に絶へて桜の無かりせば春の心はのどけからまし
  4. 天の川川辺涼しき七夕に扇の風をなほ貸さやまし
  5. 行き暮れて木の下影を宿とせば花や今宵の主ならまし

助動詞「まし」だ。そもそも助動詞は難解だ。ニュアンス1個の繊細な出し入れを一手に引き受ける感じ。「まし」はその筆頭格だ。反実仮想だったり「悔恨」だったり「ためらい」だったり「軽い希望」だったり。変幻自在である。複数ある機能のうちのどれだか判らぬ使い方で、曖昧さをもてあそぶのが新古今の業だ。調性を意図的にぼかすブラームスに通じる手法だ。

2020年4月24日 (金)

跡しめて

まずは、「令和百人一首」収載の以下の三首をご覧いただく。

  1. 跡しめて見ぬ世の春を偲ぶかなその如月の花の下影
  2. 薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
  3. 我が屋戸に問ふとは無しに春の来て庭に跡ある雪のむら消え

「跡」だ。「令和百人一首」の選定を進めていく過程で、古今のさまざまな歌に接した中、私の脳みそは「跡」という単語に吸い寄せられた。好きな言葉だ。文字通り「跡」のことなのだが、前後の文脈や状況に応じて意味合いを微妙に変化させて、趣を添える。「後」や「痕」とは厳密に区別されねばならない。この単語が使われているとたちまち脳内補正がかかるので「脳内補正語」と命名した。

確証はないものの、万葉集や古今和歌集には見かけない気がする。

「脳内補正語」はブラームスにもあった。「poco f」「mp」「leggiero」「 espressivo」「teneramente」などなど、あげればきりがない。そもそも「ブラームスの辞書」自体が「脳内補正語」探索の「跡」でさえある。

2020年4月23日 (木)

小令二十六番歌合せ

「令和百人一首」中26名の歌人が「小倉百人一首」と重複採用されている。本日はそれらすべてを比較掲載する。上段に左方として小倉採用歌を、下段に右方として「令和百人一首」採用歌を置く。

<01天智天皇>

  • 秋の田の刈穂の庵の苫を粗み我が衣手は露に濡れつつ
  • わたつみの豊旗雲に入り日さし今宵の月夜明らけくこそ

<02崇徳院>

  • 瀬を早み岩にせかるる滝川に割れても末に会はむとぞ思ふ
  • 入り日さす豊旗雲に分きかねつ高間の山の峰のもみぢ葉

<03紫式部>

  • 廻り会ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
  • 時鳥声待つ程は片岡の杜の雫に立や濡れまし

<04柿本人麻呂>

  • 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む
  • 東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

<05山部赤人>

  • 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
  • 春の野に菫摘みにと来し我ぞ野を懐かしみ一夜寝にける

<06大伴家持>

  • 鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
  • 我が屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも

<07藤原実定>

  • ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる
  • 秋来ぬと驚かれけり窓近くいささ群竹風そよぐ夜は

<08在原行平>

  • 立ち別れ因幡の山の峰に生ふる待つとし聞かば今帰り来む
  • 旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風

<09在原業平>

  • 千早振る神代も聞かず立田川唐紅に水くくるとは
  • 世の中に絶へて桜の無かりせば春の心はのどけからまし

<10藤原敏行>

  • 住之江の岸に寄る波夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ
  • 藤の花風収まれる紫の雲立ち去らぬところぞと見る

<11紀貫之>

  • 人はいさ心も知らぬ古里は花ぞ昔の香に匂ひける
  • 袖ひじて結びし水の氷れるを春立つ今日の風や解くらむ

<12源俊頼>

  • 憂かりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らむものを
  • さまざまに心ぞ留まる宮城野の花のいろいろ虫の声ごえ

<13伊勢>

  • 難波潟短き葦の節の間も会はでこの世を過ぐしてよとや
  • 春霞立つを見捨てて行く雁は花無き里に棲みや慣らへる

<14和泉式部>

  • あらざらむこの世の外の思い出に今ひとたびの逢うこともがな
  • 寝る人を起こすとも無き埋火を見つつはかなく過ごす夜なよな

<15赤染衛門>

  • やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな
  • 踏めば惜し踏まで行くかむ方も無し心尽くしの山桜かな

<16九条良経>

  • きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷き独りかも寝む
  • 春の田に心を作る民も皆降り立ちてのみ世をぞ営む

<17西行>

  • 嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな
  • 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

<18寂蓮>

  • 村雨の露もまだ干ぬ真木の葉に霧立ち昇る秋の夕暮
  • 寂しさはその色としも無かりけり真木立つ山の秋の夕暮

<19藤原家隆>

  • 風そよぐ楢の小川の夕暮は禊ぞ夏の験なりける
  • いかにせむ来ぬ夜数多の時鳥待たじと思へば村雨の空

<20式子内親王>

  • 玉の緒よ絶へなば絶へね永らえば忍ぶることの弱りもぞする
  • 山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水

<21慈円>

  • おほけなく憂き世の民をおほふかな我が立つ杣に墨染の袖
  • 眺むれば我が山の端の雪白し都の人よあはれとぞ見よ

<22源実朝>

  • 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
  • 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止めたまへ

<23後鳥羽院>

  • 人もをし人も恨めしあぢき無く世を思うゆえに物思う身は
  • 我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け

<24順徳院>

  • 百敷や古き軒端に偲ぶにもなほ余りある昔なりけり
  • いかにして契り置きけむ白菊を都忘れと名付くるも憂し

<25藤原俊成>

  • 世の中よ道こそ無けれ思ひ入る山の奥にもしかぞ鳴くなる
  • 夕去れば野辺の秋風身に沁みて鶉鳴くなり深草の里

<26藤原定家>

  • 来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ
  • 見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮

これもし歌合せで私が判者なら16勝2敗8分けで右方「令和百人一首」の勝ちとする感じである。どれがどうとは申さぬが。

2020年4月22日 (水)

もののふの歌

「もののふ」とは武士のことだ。和歌は貴族社会の象徴とも見えるが、武士だって和歌をたしなんだ。朝廷との交渉にあたっては必須の知識にもなっていたからだ。「令和百人一首」にも武士の歌が25首収載されている。武士の歌の濃度は選定にあたっての一つの課題だった。小倉さんちでは源実朝ただ一人だ。小倉以降明治までを見据えると武士を無視するわけにはゆかない。さりとて著名な武士の辞世だらけというのもいかがなものかと悩んだ。実朝を別格とすれば「源平の武将」「戦国武将」「室町将軍」くらいに分類できよう。都に居ただけあって室町将軍たちはみなそこそこの歌人たちである。義満、義政、義尚の3名に絞ったが無念の落選もあった。頼朝、尊氏、家康の初代三名も涙を飲んだ。武田信玄と上杉謙信、毛利元就あたりも残念だった。

和歌史と日本史のバランスは、難しかった。

 

2020年4月21日 (火)

本歌取りの楽しみ

高校の古文の授業で初めて「本歌取り」を習ったとき、「盗用」との区別は曖昧だった。先生から「過去の作品を踏まえて詠む歌の技法」と説明されてもなじめなかった。

その「本歌取り」が技法として完成の域に達したのは新古今の時代かとも思える。定家は「本歌取り」について以下のごとく述べる。

  1. 初句から結句まで五句のうち二句程度の引用が望ましいバランスだ。
  2. 初心者は元歌のテーマから少しずらしたテーマを。元歌が「恋」なら、本歌取りは「季節」にするなど。
  3. 同時代の歌人の作品を元歌に取るな。

こうして和歌に深みと幅を付与する。和歌本体に加え、先行する詞書、掛詞、そしてこの本歌取りから生じるほのめかしもろともすべてが鑑賞の対象だ。

詠み手は「ボク本歌取りしたもん」とは言わない。「どうだ」とばかり詠じて受け手に託す。出す側、受け側双方に、和歌史の膨大な知識の堆積が共有されていることが前提だ。「本歌取り」にとどまらぬ歌の贈答もこうした知識の共有が根底にある。和歌にとどまらぬ「源氏物語」「伊勢物語」などの文芸作品も広大な裾野を形成する。掛詞や本歌取りに気づかないのは、致命的な失態だ。だから「本歌取り」は元歌がバレることが目的でさえある。「盗用」との最大の違いはそこにある。「論文」にしろ「デザイン」にしろ「盗作」は元がばれたら困るのだ。だから初心者は必死で、本歌取りを学ぶ。イコール和歌史を学ぶことだ。膨大な数の過去の作品をそらんじていることが避けて通れぬ前提となるからだ。源実朝の金槐和歌集は「本歌取り」だらけだ。私が感じ取れるかどうかは別ながら春夏秋冬と恋の歌には本歌取りが多い。本歌取りをしながら、個性をどう盛り込むのかが問われてさえいよう。

美しい「本歌取り」はしばしば元歌を凌駕する。

さて、その定家さまが選んだ「小倉百人一首」には、意外なことに「本歌取り」の痕跡が薄い。100首内に「本歌取り」とその元歌はない。収載の歌はみな有名だから、後世から元歌にされることは多いけれど。実は「本歌取りは無い」というこの断言は怖い。本当はあるのに私が気づかないだけだと、これは相当恥ずかしいからだ。

私の「令和百人一首」は逆に「本歌取り」がメインテーマになっている。見開き二首が「本歌取り」になっている例が7つある。さらに元歌が採用されてはいないが、有名なお歌の「本歌取り」になっている作品も多い。

さて結論。何故私が「本歌取り」に惹かれるのか。

音楽でいうところの「変奏」をそこに見るからだと断言する。ブラームスは変奏の大家として孤高の存在だ。

泣きたい。

ここテストに出るので。

 

 

2020年4月20日 (月)

出典分布

「小倉百人一首」収載歌の出所は、全て勅撰和歌集だ。その構成は以下の通り。

  1. 古今 24
  2. 後撰 6
  3. 拾遺 11
  4. 後拾遺 14
  5. 金葉 5
  6. 詞花 5
  7. 千載 15
  8. 新古今 14
  9. 新勅撰 4 源実朝はここ。
  10. 続後撰 2 後鳥羽院、順徳院

説明が要るのは10番目の続後撰だ。成立は定家没後だからだ。後鳥羽院、順徳院は承久の変の戦犯扱いだったからか、幕府に忖度してか定家は選ばなかったので、その子為家が加えたとも取り沙汰される。事情があるはずだ。万葉歌人もこれらのどこかに包含されている。たとえば大伴家持は新古今だ。

さて、わが「令和百人一首」は悩ましい。勅撰和歌集の編纂が途絶えた後の時代も収載の対象としたからだ。以下に出典を示す。

  • 万葉集 11
  • 古今 3
  • 拾遺 1
  • 金葉 1
  • 千載 6
  • 新古今 9
  • 新勅撰 1
  • 続古今 2
  • 続拾遺 1
  • 玉葉 2
  • 風雅 3
  • 新後拾遺 1
  • 新葉 1

計42首。残りは私歌集か、勅撰以外の和歌集。不明も含む。万葉集が11首というのが対小倉としては特徴的。古今の激減は明らか。新古今躍進も顕著。選挙報道めいてきたが、この分布、選定中は意識していなかった。100首確定後に分析して自分でも驚いた。無意識だったからこそ、私の脳内組成を忠実に反映している。「新古今・千載」脳だということの他、玉葉、風雅にもうっすらとピークがある。

この組成、定家さまと盛り上がれそうだ。

 

2020年4月19日 (日)

体言止め

和歌の結句を「体言」いい放ちにすることである。「体言」とは名詞、代名詞と記憶している。この技法が新古今期の代名詞になっている。小倉百人一首では13首が体言止めになっているのだが、わが「令和百人一首」ではなんと35首を数える。古今期の歌がその比率を大きく減じているから、当然と言えば当然なのだが、我ながらちょっと引く。

名高い「三夕の歌」は「秋の夕暮」を据えた体言止めである。形容詞や動詞、あるいは詠嘆の終助詞が続かぬことで、受け手の想像力に任せるというのがその効果だという。言わないことでかえって浮かび上がる余情を楽しむという意図。

と体言止めしてみた。

2020年4月18日 (土)

官位ランキング

そもそも人間はランキングが好きなのかと思う。昨日の「勅撰入集ランキング」に続いてまたもランキングネタだ。本日は「官位」である。今風に申せば公務員の序列とでもいうのだろうか。宮廷内における出世の度合いだ。女性がごっそり抜けるのが最大の弱点であるほか、任命する側の天皇を始めとする皇族も、この尺度が通じない。さらに武士の世の中になると意味合いも変わってくる点を考慮してもなお興味深い。最初に任命される官位は参考にならない。出世を遂げた後、没する直前か直後あるいは後世の追贈を含めた最終官位こそが見どころとなる。

「令和百人一首」採用の歌人についてランキング化を試みる。

<贈正一位>死後の認定には「贈」の文字が冠せられる。

  • 足利義尚4、織田信長75、徳川光圀89、徳川斉昭90

<従一位>生前に登れる位階としては、ほぼ最高位。まあ総理大臣か大統領か。

  • 藤原道長27、九条良経28、足利義満65、足利義政66、豊臣秀吉77

<正二位>重要閣僚クラス。

  • 源実朝43、藤原定家50、藤原爲家51、京極為兼54、二条為世55、冷泉為相56、飛鳥井雅親99

<贈正二位>

  • 細川幽斎80、勝海舟96

<従二位>重要閣僚クラス。

  • 大伴旅人12、藤原実定14、藤原家隆38、森鴎外97

<贈従二位>

  • 楠正行62

<正三位>

  • 在原行平17、藤原顕季20、藤原俊成49

<従三位>ここまでが閣僚か。

  • 大伴家持13、源頼政30、蒲生氏郷79、徳川宗武83

<贈従三位>

  • 大内政弘71、本居宣長86、西郷隆盛95

<正四位上>

  • 平忠盛31、井伊直弼91

<正四位下>

  • 源義家29、冷泉為景84

<贈正四位>

  • 佐久間象山88

<従四位上>

  • 在原業平18、藤原敏行19、源俊頼22、平忠度32

<従四位下>

  • 木下長嘯子78

<贈従四位>

  • 伊能忠敬87

<正五位下>

  • 平行盛33

<従五位上>

  • 紀貫之21、北条氏康72

<従五位下>

  • 吉田兼好60、東常縁68、織田信孝76

以上。概ね三位以上が貴族ということになる。こちらも相当興味深い。室町以後では尺度が変わっているのもよくわかる。加えて源実朝の位置づけは時代を考えると武士として相当異例だとわかる。昔も今も出世は自分事でも他人事でも大きな関心事だったから、この話題も酒の肴にちょうどいい。

 

2020年4月17日 (金)

勅撰入集ランキング

勅撰和歌集への採用は歌人の名誉とするところだ。これが多いほど格が上がると見ていい。勅撰和歌集の編纂が途絶えて以降の歌人には適用できないという点に目をつむれば、大いに参考になる。「令和百人一首」収載の歌人で申せば67番目の後花園院を最後に、勅撰和歌集への採用がなくなる。これ以降、どれほどの手練れでも勅撰入集はゼロとなる。合わせて注意したいのが万葉歌人だ。最初の勅撰和歌集「古今和歌集」以前に活躍した歌人たちは、勅撰和歌集に採られはするものの、その数は、実力をパラレルに反映しているとは言えない。

さてそうした制約を分かったうえで、「令和百人一首」に採用した歌人の勅撰入集をランキング化する。歌人名の後ろに入集数を記し、さらに歌番号を添えておく。

  •  1 紀貫之   475首 21
  •  2 藤原定家  467首 50
  •  3 藤原俊成  422首 49
  •  4 藤原爲家  333首 51
  •  5 伏見院   300首?53
  •  6 藤原家隆  284首 38
  •  7 慈円    269首 41
  •  8 柿本人麻呂  260首?10
  •  9   後鳥羽院  258首 45
  • 10   西行   253首 35
  • 11   和泉式部 245首 25
  • 12 後嵯峨院 209首 52
  • 13 源俊頼  207首 22
  • 14 宗尊親王 190首 59
  • 15 伊勢   185首 23
  • 16 二条為世 177首 55
  • 17 順徳院  159首 47
  • 18 九条良経 154首 28
  • 18 京極為兼 154首 54
  • 20 式子内親王153首 39
  • 21 永福門院 138首?57
  • 22 寂蓮   116首 37
  • 23 亀山院  106首 16
  • 24 赤染衛門  97首 23
  • 25 源実朝   92首 43
  • 26 在原業平  86首 18
  • 27 後醍醐天皇 83首 61
  • 28 崇徳院   81首 8
  • 29 光厳院   79首 63
  • 29 藤原実定  79首 14

以上で上位30人だ。武士のランクインは源実朝ただ一人。いろいろ興味深い。このランクを肴に定家さまと盛り上がることは確実だ。定家「後鳥羽さんや順徳さんは、承久の変がなかったらもっと伸びていたはずだ」とか定家「7番目で勅撰デビューの俺は、古今からデビューした貫之様より偉い」とか。私「タッチの差で新古今に間に合わなかった上に、20代半ばで亡くなった実朝は不利」とか。

2020年4月16日 (木)

きりぎりす忌

和歌の全盛期、新古今時代を生きた太政大臣・九条良経は元久三年3月7日に37歳の若さで急逝した。西暦に直すと1206年4月16日なので今日は命日である。新古今成立のわずか1年後という切なさだ。小倉百人一首では「後京極摂政前太政大臣」とされていてわかりにくい。お歌は「きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷き独りかも寝む」である。だから「きりぎりす忌」と命名してみた。勅撰デビューは新古今の一つ前の千載和歌集で新古今には79首採られ、勅撰入集154の大歌人だ。後鳥羽院の覚えもめでたく、新古今和歌集の序文執筆の栄誉にも浴している。「令和百人一首」では28番。藤原道長とペアリングしておいた。勢い余って和歌界のメンデルスゾーンと位置付けた。

この度の「令和百人一首」選定を通じてもっとも株を上げた歌人は彼であると断言する。おそらく源実朝が和歌を習得していく過程でもっとも参考にした歌人と思われる。実朝の金槐和歌集に見える本歌取り作品の中で最大の元歌供給者だ。たとえば金槐和歌集冒頭「今朝見れば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり」は、新古今和歌集冒頭の良経「み吉野は山も霞みて白雪の降りにし里に春は来にけり」の本歌取りになっている。

実朝のお歌「もののふの矢並み繕ふ籠手の上に霰手走る那須の篠原」にほれ込んで、霰のお歌をあれこれ探索しているうちに良経の「冴ゆる夜の真木の板屋の独り寝に心砕けと霰降るなり」に接して我を忘れた。千載和歌集に採られた本作がおそらくデビュー作だ。10代の作品である。実朝がいなかったらこの人がMyNo1歌人になっていた。やることなすこと全て、箸の上げ下ろしからカッコいい。

2020年4月15日 (水)

辞世マニア

女子の比率、春と恋の比率に次いでまだ比率ネタだ。「令和百人一首」には辞世の歌が14首採用されている。「小倉百人一首」にはゼロだからこれは大きな特徴だ。辞世は武士の台頭とセットのような気がする。有間皇子や大津皇子の万葉時代にはまだ概念が確立していなかったと思う。当時はまだ「自分向け哀傷歌」だ。「自ら傷みて」という位置づけ。

武士社会の発達で「名誉の死」という概念が爛熟した結果の産物かとも。名のある武士たるもの後世から後ろ指をさされないよう、そこそこの歌を辞世と決めていたともいう。代作もおおいにあり得た。人々は読み手の境遇や歌の背景とセットで味わうという受容が出来上がる。日本史和歌史を顧みると、著名な人物の辞世がそこここに現れる。知名度と歌の巧拙は必ずしも一致しないとさえいう。

私は自分の好みで選んだが、やっかいながらも楽しめた。

2020年4月14日 (火)

相聞日照り

女子の比率、季節の構成比で「小倉百人一首」との対比を試みた。もっとある。「恋」だ。「小倉百人一首」側の恋は「相聞」とも呼ばれて43を数える。不自然に高い恋歌比率が、小中学生への普及の障壁の一つになっていると感じる。「令和百人一首」ではわずか4首だ。

選定作業の中で、出来るだけ多くの歌に触れてきたが、恋の歌はいつしか除外されていった。当時の歌詠みはあくまでも長き伝統の中で確立された形にこだわることが求められた。恋には流れや手続き、あるいは男女それぞれのとるべき姿勢があり、その枠内で詠まれた。春夏秋冬も同様だが、季節についての詠嘆は現代に通じるものも多いのに比べ恋愛は、なかなか共感に至りずらい。

結果、わずか4首、90%減となった。微塵も後悔していない。

2020年4月13日 (月)

春優位

「小倉百人一首」に比べ女子の比率が下がったと嘆いた。次は季節だ。

小倉百人一首の季節分布は以下の通り。

  • 春 8
  • 夏 4
  • 秋 20
  • 冬 5

これに対してわが「令和百人一首」は

  • 春 35
  • 夏 3
  • 秋 17
  • 冬 5

夏と冬の位置づけは変わっていない一方、春秋が逆転する。定家さまは秋を好むのに対して私は明らかに春である。「令和百人一首」選定中は小倉側のこうした比率を意識していなかった。だから忖度はない。私の脳内組成がそうなっているということだ。秋だって17首あるから激減とは言い難いけれど、春の圧倒的な勢いには自分でも驚いた。

私は春好き。

2020年4月12日 (日)

女子の比率

世の中女子の時代だというのに逆行する話である。「令和百人一首」に採用された女性は以下の通り。

  1. 額田大王
  2. 大伯皇女
  3. 石川郎女
  4. 紫式部
  5. 伊勢
  6. 中務
  7. 和泉式部
  8. 赤染衛門
  9. 式子内親王
  10. 宮内卿
  11. 永福門院
  12. 進子内親王
  13. 細川ガラシャ
  14. 西郷千重
  15. 和宮親子内親王
  16. 与謝野晶子

全16名だ。「小倉百人一首」収載の女子21名のうちわずか5名を重複採用している。16名が落選した。小倉百人一首後の時代が和歌史的にも、日本史的にも女子の時代ではなかったことの反映かとも思える。

 

 

2020年4月11日 (土)

百人一首対比

世に名高い「小倉百人一首」は、まだクラシック音楽への傾斜も始まっていない10歳の私が初めて触れた古典である。意味、背景、作者、みな無視の丸暗記から50年を経て、百人一首の私撰を試みたのが「令和百人一首」だった。「小倉百人一首」が無かったら絶対に思いついていない企画である。

あちらの撰者は藤原定家。天才の名を名をほしいままにする大歌人。勅撰和歌集の撰者も2度務めた。その彼の選んだ「小倉百人一首」を以下の通り意識しまくった。

  1. 最初と最後は天皇御製にする。
  2. 最初は天智天皇(中大兄皇子)にする。
  3. 「小倉百人一首」に採用された歌を選ばない。
  4. 「小倉百人一首」に採用された歌人の採用は可能。
  5. 小倉採用の26人が収載となった。
  6. おおむね時代順に独自の配列をする。
  7. 見開き二首に歌合せテイストを付与する。
  8. 前半50首に「小倉百人一首」の時代を封じ込めた。
  9. 撰者自作を加える。

一方で「小倉百人一首」からの離脱も試みた。

  1. 明治時代まで収載対象を拡大。
  2. 出典の勅撰和歌集縛りを撤廃。
  3. 勅撰和歌集編纂の途絶した時代を古今伝授で補う。
  4. 定家が生きた時代以降の日本史全般の流れを顧慮。
  5. 源実朝ラブを隠さぬ。

選んで並べることにも、意味を感じての試みだったが事実上、上質のパズルだった。定家の気持ちに少しでも近づけた気がする一方、私の脳内組成をパラレルに反映する結果となった。

2020年4月10日 (金)

我こそははんざ

ドイツラブを隠さない我が「ブラームスの辞書」で「はんざ」などと言えば「ハンザ同盟云々」の話題かとも思われかねない。しかしながら本日はれっきとした和歌ネタだ。「はんざ」を漢字で書くと「判者」だ。和歌文化の象徴「歌合せ」に際しての審判役を「判者」といった。当代一流の大御所が務めることが通例である。あらかじめ定められた「お題」に基づいて左右両陣営から出詠された歌の勝負を決するお役目である。その際に添えられるコメントを「判詞」という。

大文豪森鴎外の以下の歌に実例が見える。

こちたくな判者咎めそ日記の歌皆がら良くば我歌の聖

必要悪の現代語訳を試みると「判者殿そううるさいことをおっしゃいますな。私の歌日記の歌がみんな秀歌だったら、私は歌の聖になってしまいますがな」くらいの意味。謙遜に皮肉を足してユーモアで煮たような独特の味わいだ。

私の「令和百人一首」には見開き二首をペアとした五十番歌合せのテイストを持ち込んでいる。そして心の中ではそれら二首の勝敗を決めている。「持」という引き分けもあるにはあるけれどそれらの判定をネタに延々30分は議論が出来る。

撰者であり、かつ判者でもあるという立場を楽しんだ。これもまた定家と一献のためのネタになる。

 

2020年4月 9日 (木)

我こそは撰者

昨日、還暦記念「令和百人一首」の公開が完結した。撰者は私である。

ほぼ1年半前、還暦を自ら祝うためのブログ上企画を考え始めた。その結論が「自選百人一首」であった。ちょうど令和改元もあって、構想はみるみる膨らんだ。日本史一般と和歌史を俯瞰するという根幹に加えて様々なアイデアを盛り込んだ。基本は古今の秀歌に出来るだけ触れることだったと断言していい。一旦は収載を決意しながら断念した歌人は50名を超える。日本史一般に偏り過ぎると、有名人のつまらぬ歌の割合が増える。あるいは有名武将の辞世ばかりがあふれる。かといって和歌史に寄りすぎると「どちらさん?」という歌人ばかりになる。むずかしいかじ取りだった。その歌が好きかどうかだ。初対面の人にその歌の話題で15分つなげるかという基準だ。

小倉を選んだ定家はきっと楽しんだはずだ。私ごときがこんなに楽しかったのだから。きっと彼と撰者の苦労話が出来る。

 

2020年4月 8日 (水)

令和百人一首50

【099】飛鳥井雅親

 四つの海静かになりぬ士の矢並収まる御代を待ち得て

【100】明治天皇

 四方の海皆同胞と思ふ世になぞ波風の立ち騒ぐらむ

【コメント】今ごろになってのこのこと室町時代の貴族、飛鳥井雅親の登場。足利義政が後花園天皇に執奏して編纂が決まったものの応仁の乱でとん挫した勅撰和歌集の撰者になるはずだった人。とんだエア撰者だがひとかどの歌人。本作は応仁の乱の終息を詠んだ。「四つの海」は天下のこと。「士」は「もののふ」と読む。焦点は第三句にある。「矢並み収まる」とは「戦乱の収束」を暗示する。美しい言い回しだ。長い戦乱がやっと収まったという感慨が結句「待ち得て」ににじみ出る。その後延々と戦国時代が続くことはこの際棚上げ。そして明治天皇だ。日本の近代化の象徴。本作は日露開戦の時の御製。「周囲みな同胞がいるというのに何故いさかいが起きるのだろう」といぶかっておられる。反戦の御心の投影だろう。昭和天皇は太平洋戦争の開戦を決めた御前会議の最後にこのお歌を詠みあげたと言われている。

大トリは小倉百人一首と同じく天皇御製と決めていた。だから臣下の雅親を歌合せの左方に据える異例の配置となった。「四つの海」にかこつけた「反戦歌合わせ」である。

2020年4月 7日 (火)

令和百人一首49

【097】森鴎外

 大君の任のまにまに薬箱持たぬ薬師となりて我行く

【098】与謝野晶子

 戦いは見じと目閉ずる白塔に西日しぐれぬ人死ぬ夕べ

【コメント】いよいよ明治時代に入る。大文豪にして帝国陸軍軍医総監。史上最年少で現在の東大医学部に入学。入隊後4年のドイツ留学を経て、「舞姫」でデビュー。和歌も多数残している。本作は日露戦争に軍医として出征する際の歌。第二句「任」は「まけ」と読む。「明治天皇の勅命で軍医として赴くけれど薬箱は持たないよ」と独特のユーモラスな語り口。源実朝、伊能忠敬とともに私の歴史上の大好き人物ベスト3を形成する。一方の与謝野晶子。旧姓は鳳、与謝野鉄幹と結婚。短歌、反戦詩、源氏物語翻訳など多岐にわたる。「令和百人一首」中明治以降の生まれは、彼女と私だけだ。本作は日露戦争時奉天に立っていた塔を主人公とするとされている。厭戦の色濃い代表作。16歳年長の鴎外は、与謝野晶子の作品に当初距離をおいていたが、やがて理解を示すに至る。源氏物語訳出にあたり中巻の校正を引き受けたという。

「日露戦争歌合せ」

2020年4月 6日 (月)

令和百人一首48

【095】西郷隆盛

 二つ無き道の好みを捨て小舟波立たばとて風吹かばとて

【096】勝海舟

 濡れ衣を干そうともせず子供らがなすがまにまに果てし君かな

【コメント】西郷隆盛は薩摩の下級士族の出。島津斉彬に抜擢された。江戸無血開城の片方の当事者。征韓論争に破れて下野し、西南戦争を主導したが破れて自刃。本作は辞世と伝えられる。意味上の切れ目と五七五七七の切れ目がずれるシンコペーション「2.5句切れ」かと。そして相棒は無血開城のもう片方の当事者・勝海舟だ。江戸に生まれるも海軍伝習所に入り長崎で5年過ごす。1860年日米修好通商条約締結の批准書交付のため渡米。本作は交渉相手隆盛への挽歌。鹿児島の西郷隆盛の墓の傍らに歌碑がある。

無血開城歌合せ。

2020年4月 5日 (日)

令和百人一首47

【093】和宮親子内親王

 着るとても甲斐無かりける唐衣綾も錦も君ありてこそ

【094】上田秋成

 宮の内は男をみなも白妙の衣ゆゆしみ夏立ちにけり

【コメント】和宮親子内親王は「かずのみやちかこないしんのう」とお読みする。日本史的にはもっぱら「皇女和宮」と呼び習わされている。仁孝天皇の第八皇女として生まれ、井伊直弼の公武合体政策により14歳で将軍家茂に嫁す。さまざまな困難にあったが夫婦仲だけは円満だったとされる。夫家茂は長州征伐のための大阪在陣中に急死。本作は上方土産にと約束した西陣の晴れ着が届いた折に詠んだもの。「晴れやかな衣装もあなた様あってこそです」と嘆く。以降落飾して静寛院と号した彼女の功績はまことに大きい。15代将軍慶喜の謝罪を皇室に取り次ぐという出色の役割をこなした。

上田秋成は大阪の遊郭で私生児として生まれ、豪商の養子となった。以降、医者、文筆家として経歴を重ねる才人。本作は宮中の衣替えの歌だ。男も女もホワイト系の服になったことで夏の到来を実感するというもの。原因の「み」ですなんぞ、こざかしい理屈を振り回すのもはばかられる。「衣ゆゆしみ」の語感で勝負ありな気がする。ゆったりと飄々と、あくせくせずにするりと心に入りこむ。意外なことに小倉百人一首の持統天皇御製「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」の本歌取りとされる。

だから「衣歌合わせ」だ。

 

 

2020年4月 4日 (土)

令和百人一首46

【091】井伊直弼

 近江の海磯打つ波の幾たびか御世に心を砕きぬるかも

【092】宗良親王

 諏訪の海や氷の上は霞めどもなほ打ち出でぬ春の白波

【コメント】井伊直弼は彦根藩15代藩主。幕末争乱期に大老に就任。日本を開国に導く一方、安政の大獄など攘夷派を弾圧。桜田門外の変で水戸藩士に暗殺された。だから090水戸斉昭とは桜田門外裏合わせという物騒な設定。本作はお抱えの絵師狩野永岳に描かせた自身の肖像画に添えられた歌。暗殺の二か月前の話であるから辞世とも映る。「近江の海」とはもちろん琵琶湖だ。「世のために心を砕いてきた」という自負を、琵琶湖の波から語り起こす着想を味わうべき堂々たる詠みっぷりだ。宗良親王は「むねながしんのう」と読む。後醍醐天皇の皇子だから時代が違うというお叱りも覚悟の設定。南朝専用和歌集で、勅撰和歌集に準ずる扱いを受ける「新葉和歌集」の撰者だ。二十歳で天台座主に就任。建武の親政瓦解で環俗し、南朝の貴重な人材として各地を転戦。信濃と遠江を主戦場としたが、遠江井伊城にて薨去。井伊谷に埋葬された。一帯は井伊家ゆかりの地だ。それこそが井伊直弼とペアにする根拠。本作は諏訪湖名物、御神渡りの描写で井伊直弼のお歌とは「琵琶湖vs諏訪湖」の構図となる。「湖歌合せ」である。

 

2020年4月 3日 (金)

父に捧ぐ

本日は亡き父の誕生日だ。ブラームスの命日と重なるという話はすでに何度もしている。今年は私の定年還暦の年。記念に「令和百人一首」を墓前に供えた。私の文学好き。歴史好きのDNAは父から受け継いだものだ。だからこのお供えは必然だ。100首全部興味深く読むだろう。100人の選定ぶりも味わってくれるだろう。見開き二首の取り合わせや全体の配列もあれこれ批判してくれるはずだ。存命なら最高の読者になってくれていたに決まっている。

あわせてコロナ禍からの加護を祈った。

2020年4月 2日 (木)

母の反応

定年還暦を記念した「令和百人一首」オンディマンド版を母に見せた。たいそう興味深そうに手に取ってくれた。そそくさと仏壇に供えて線香をたいた。父が好きな分野だとわかっているからだ。10歳の私に小倉百人一首をトレーニングした話に花が咲いた。今年85になるのに、初句を言うと下の句まで思い出せる。ほぼ百首全部そらんじている。10代で覚えたからと自慢げだ。昔のことほど鮮明らしい。

 

2020年4月 1日 (水)

後嵯峨天皇生誕800年

本日は後嵯峨天皇のお誕生日。1220年のお生まれなのでちょうど生誕800年のメモリアルイアーである。父は土御門院なので後鳥羽院の孫にあたる。祖父に劣らぬ歌人と見えて10番目と11番目の勅撰和歌集の撰進を命じた。名手がひしめいた新古今時代と、京極派の躍進をつなぐ位置にいる。

令和百人一首では、心からの尊敬をこめて和歌のドヴォルザークと認定した。

 

 

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