勅撰入集ランキング
勅撰和歌集への採用は歌人の名誉とするところだ。これが多いほど格が上がると見ていい。勅撰和歌集の編纂が途絶えて以降の歌人には適用できないという点に目をつむれば、大いに参考になる。「令和百人一首」収載の歌人で申せば67番目の後花園院を最後に、勅撰和歌集への採用がなくなる。これ以降、どれほどの手練れでも勅撰入集はゼロとなる。合わせて注意したいのが万葉歌人だ。最初の勅撰和歌集「古今和歌集」以前に活躍した歌人たちは、勅撰和歌集に採られはするものの、その数は、実力をパラレルに反映しているとは言えない。
さてそうした制約を分かったうえで、「令和百人一首」に採用した歌人の勅撰入集をランキング化する。歌人名の後ろに入集数を記し、さらに歌番号を添えておく。
- 1 紀貫之 475首 21
- 2 藤原定家 467首 50
- 3 藤原俊成 422首 49
- 4 藤原爲家 333首 51
- 5 伏見院 300首?53
- 6 藤原家隆 284首 38
- 7 慈円 269首 41
- 8 柿本人麻呂 260首?10
- 9 後鳥羽院 258首 45
- 10 西行 253首 35
- 11 和泉式部 245首 25
- 12 後嵯峨院 209首 52
- 13 源俊頼 207首 22
- 14 宗尊親王 190首 59
- 15 伊勢 185首 23
- 16 二条為世 177首 55
- 17 順徳院 159首 47
- 18 九条良経 154首 28
- 18 京極為兼 154首 54
- 20 式子内親王153首 39
- 21 永福門院 138首?57
- 22 寂蓮 116首 37
- 23 亀山院 106首 16
- 24 赤染衛門 97首 23
- 25 源実朝 92首 43
- 26 在原業平 86首 18
- 27 後醍醐天皇 83首 61
- 28 崇徳院 81首 8
- 29 光厳院 79首 63
- 29 藤原実定 79首 14
以上で上位30人だ。武士のランクインは源実朝ただ一人。いろいろ興味深い。このランクを肴に定家さまと盛り上がることは確実だ。定家「後鳥羽さんや順徳さんは、承久の変がなかったらもっと伸びていたはずだ」とか定家「7番目で勅撰デビューの俺は、古今からデビューした貫之様より偉い」とか。私「タッチの差で新古今に間に合わなかった上に、20代半ばで亡くなった実朝は不利」とか。
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