跡しめて
まずは、「令和百人一首」収載の以下の三首をご覧いただく。
- 跡しめて見ぬ世の春を偲ぶかなその如月の花の下影
- 薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
- 我が屋戸に問ふとは無しに春の来て庭に跡ある雪のむら消え
「跡」だ。「令和百人一首」の選定を進めていく過程で、古今のさまざまな歌に接した中、私の脳みそは「跡」という単語に吸い寄せられた。好きな言葉だ。文字通り「跡」のことなのだが、前後の文脈や状況に応じて意味合いを微妙に変化させて、趣を添える。「後」や「痕」とは厳密に区別されねばならない。この単語が使われているとたちまち脳内補正がかかるので「脳内補正語」と命名した。
確証はないものの、万葉集や古今和歌集には見かけない気がする。
「脳内補正語」はブラームスにもあった。「poco f」「mp」「leggiero」「 espressivo」「teneramente」などなど、あげればきりがない。そもそも「ブラームスの辞書」自体が「脳内補正語」探索の「跡」でさえある。
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