辞世マニア
女子の比率、春と恋の比率に次いでまだ比率ネタだ。「令和百人一首」には辞世の歌が14首採用されている。「小倉百人一首」にはゼロだからこれは大きな特徴だ。辞世は武士の台頭とセットのような気がする。有間皇子や大津皇子の万葉時代にはまだ概念が確立していなかったと思う。当時はまだ「自分向け哀傷歌」だ。「自ら傷みて」という位置づけ。
武士社会の発達で「名誉の死」という概念が爛熟した結果の産物かとも。名のある武士たるもの後世から後ろ指をさされないよう、そこそこの歌を辞世と決めていたともいう。代作もおおいにあり得た。人々は読み手の境遇や歌の背景とセットで味わうという受容が出来上がる。日本史和歌史を顧みると、著名な人物の辞世がそこここに現れる。知名度と歌の巧拙は必ずしも一致しないとさえいう。
私は自分の好みで選んだが、やっかいながらも楽しめた。
コメント