きりぎりす忌
和歌の全盛期、新古今時代を生きた太政大臣・九条良経は元久三年3月7日に37歳の若さで急逝した。西暦に直すと1206年4月16日なので今日は命日である。新古今成立のわずか1年後という切なさだ。小倉百人一首では「後京極摂政前太政大臣」とされていてわかりにくい。お歌は「きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷き独りかも寝む」である。だから「きりぎりす忌」と命名してみた。勅撰デビューは新古今の一つ前の千載和歌集で新古今には79首採られ、勅撰入集154の大歌人だ。後鳥羽院の覚えもめでたく、新古今和歌集の序文執筆の栄誉にも浴している。「令和百人一首」では28番。藤原道長とペアリングしておいた。勢い余って和歌界のメンデルスゾーンと位置付けた。
この度の「令和百人一首」選定を通じてもっとも株を上げた歌人は彼であると断言する。おそらく源実朝が和歌を習得していく過程でもっとも参考にした歌人と思われる。実朝の金槐和歌集に見える本歌取り作品の中で最大の元歌供給者だ。たとえば金槐和歌集冒頭「今朝見れば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり」は、新古今和歌集冒頭の良経「み吉野は山も霞みて白雪の降りにし里に春は来にけり」の本歌取りになっている。
実朝のお歌「もののふの矢並み繕ふ籠手の上に霰手走る那須の篠原」にほれ込んで、霰のお歌をあれこれ探索しているうちに良経の「冴ゆる夜の真木の板屋の独り寝に心砕けと霰降るなり」に接して我を忘れた。千載和歌集に採られた本作がおそらくデビュー作だ。10代の作品である。実朝がいなかったらこの人がMyNo1歌人になっていた。やることなすこと全て、箸の上げ下ろしからカッコいい。
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