小令二十六番歌合せ
「令和百人一首」中26名の歌人が「小倉百人一首」と重複採用されている。本日はそれらすべてを比較掲載する。上段に左方として小倉採用歌を、下段に右方として「令和百人一首」採用歌を置く。
<01天智天皇>
- 秋の田の刈穂の庵の苫を粗み我が衣手は露に濡れつつ
- わたつみの豊旗雲に入り日さし今宵の月夜明らけくこそ
<02崇徳院>
- 瀬を早み岩にせかるる滝川に割れても末に会はむとぞ思ふ
- 入り日さす豊旗雲に分きかねつ高間の山の峰のもみぢ葉
<03紫式部>
- 廻り会ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
- 時鳥声待つ程は片岡の杜の雫に立や濡れまし
<04柿本人麻呂>
- 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む
- 東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ
<05山部赤人>
- 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
- 春の野に菫摘みにと来し我ぞ野を懐かしみ一夜寝にける
<06大伴家持>
- 鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
- 我が屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも
<07藤原実定>
- ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる
- 秋来ぬと驚かれけり窓近くいささ群竹風そよぐ夜は
<08在原行平>
- 立ち別れ因幡の山の峰に生ふる待つとし聞かば今帰り来む
- 旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風
<09在原業平>
- 千早振る神代も聞かず立田川唐紅に水くくるとは
- 世の中に絶へて桜の無かりせば春の心はのどけからまし
<10藤原敏行>
- 住之江の岸に寄る波夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ
- 藤の花風収まれる紫の雲立ち去らぬところぞと見る
<11紀貫之>
- 人はいさ心も知らぬ古里は花ぞ昔の香に匂ひける
- 袖ひじて結びし水の氷れるを春立つ今日の風や解くらむ
<12源俊頼>
- 憂かりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らむものを
- さまざまに心ぞ留まる宮城野の花のいろいろ虫の声ごえ
<13伊勢>
- 難波潟短き葦の節の間も会はでこの世を過ぐしてよとや
- 春霞立つを見捨てて行く雁は花無き里に棲みや慣らへる
<14和泉式部>
- あらざらむこの世の外の思い出に今ひとたびの逢うこともがな
- 寝る人を起こすとも無き埋火を見つつはかなく過ごす夜なよな
<15赤染衛門>
- やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな
- 踏めば惜し踏まで行くかむ方も無し心尽くしの山桜かな
<16九条良経>
- きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷き独りかも寝む
- 春の田に心を作る民も皆降り立ちてのみ世をぞ営む
<17西行>
- 嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな
- 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
<18寂蓮>
- 村雨の露もまだ干ぬ真木の葉に霧立ち昇る秋の夕暮
- 寂しさはその色としも無かりけり真木立つ山の秋の夕暮
<19藤原家隆>
- 風そよぐ楢の小川の夕暮は禊ぞ夏の験なりける
- いかにせむ来ぬ夜数多の時鳥待たじと思へば村雨の空
<20式子内親王>
- 玉の緒よ絶へなば絶へね永らえば忍ぶることの弱りもぞする
- 山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水
<21慈円>
- おほけなく憂き世の民をおほふかな我が立つ杣に墨染の袖
- 眺むれば我が山の端の雪白し都の人よあはれとぞ見よ
<22源実朝>
- 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
- 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止めたまへ
<23後鳥羽院>
- 人もをし人も恨めしあぢき無く世を思うゆえに物思う身は
- 我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
<24順徳院>
- 百敷や古き軒端に偲ぶにもなほ余りある昔なりけり
- いかにして契り置きけむ白菊を都忘れと名付くるも憂し
<25藤原俊成>
- 世の中よ道こそ無けれ思ひ入る山の奥にもしかぞ鳴くなる
- 夕去れば野辺の秋風身に沁みて鶉鳴くなり深草の里
<26藤原定家>
- 来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ
- 見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮
これもし歌合せで私が判者なら16勝2敗8分けで右方「令和百人一首」の勝ちとする感じである。どれがどうとは申さぬが。
コメント