「まし」の魔法使い
「脳内補正語」第2弾。
- 吾を待つと君が濡れけむ足引きの山の雫にならましものを
- ほととぎす声待つほどは片岡の杜の雫に立ちや濡れまし
- 世の中に絶へて桜の無かりせば春の心はのどけからまし
- 天の川川辺涼しき七夕に扇の風をなほ貸さやまし
- 行き暮れて木の下影を宿とせば花や今宵の主ならまし
助動詞「まし」だ。そもそも助動詞は難解だ。ニュアンス1個の繊細な出し入れを一手に引き受ける感じ。「まし」はその筆頭格だ。反実仮想だったり「悔恨」だったり「ためらい」だったり「軽い希望」だったり。変幻自在である。複数ある機能のうちのどれだか判らぬ使い方で、曖昧さをもてあそぶのが新古今の業だ。調性を意図的にぼかすブラームスに通じる手法だ。
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