ひらがな効果
「脳内補正語」第16弾。まずは以下の「令和百人一首」収載の11首。
- 寝る人を起こすとも無き埋火を見つつはかなく過ごす夜なよな
- 吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな
- 有明の月の明石の浦風に波ばかりこそ寄ると見えしか
- 夕去れば野辺の秋風身に沁みて鶉鳴くなり深草の里
- 契りおく花と並びの岡野辺にあはれ幾代の春を過ぐさむ
- 今はよも枝に籠もるる花もあらじ木の芽春雨時を知る頃
- 立ち昇る煙ならずば炭竃のそこともいさや峰の白雪
- 君がため花の錦を敷島や大和島根も靡く霞に
- 見る書は残り多くも小夜更けて我が世更け行く窓の灯
- 七十に近き春にぞ相の浦九十九の島に生きの松原
- 名にし負はば春に向かふが丘ならば世に類なき花の影かな
「掛詞」を巧みに用いた作品だ。
- 「起こす」「熾す」
- 「無し」「勿来」
- 「明るい」「明石」、「夜」「寄る」
- 「鶉」「うつ」
- 「並びの岡」「双ケ岡」
- 「張る」「春」
- 「見ね」「峰」
- 「敷く」「敷島」
- 「世」「夜」
- 「行き」「生き」「生きの松原」
- 「向かふが岡」「向ヶ岡」
意味の重層化とでも申すべきか。三十一文字という制約の内側で表現の幅を内側から補強する。ヴァイオリン1本で複数の旋律を走らせるバッハにも似ている。
そしてだ。それを可能にしたのが「ひらがな」で漢字から派生したこと周知の通りだ。漢文が一般的だった中、平安時代になって国風文化が云々と取り沙汰されるが、最も大きな現象と感じるのが「ひらがな」の普及だ。ひらがな漢字混じりの表記が一般化した結果、「同音異義語」が強く意識されることになる。上記以外にもたくさんある。「松&待つ」「秋&飽き」など。片側に地名が来ることでさらに複雑化する。二重の意味を含ませ、どちらともとれるという解釈の幅を、受け手にゆだねるというところに余情が生まれる。
どちらとも取れる曖昧さに積極的な意味があるのはブラームスっぽい。
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