慈円
小倉さんちでは「おほけなく憂き世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖」がとられている「前大僧正慈円」である。とにかく亡き父はこの歌が大好きであった。この人の父は関白藤原忠道で「わたのはら漕ぎ出でてみれば久方の雲居に紛ふ沖つ白波」の人だ。38歳で比叡山の管主に就任するなど仏の道の最高峰の人だと思っていい。大学受験では歴史書「愚管抄」の著者として記憶した。幕府とのいたずらな対立を望まず、しばしば後鳥羽院をいさめたとも伝わる。かなりな人格者であった他、何より歌人としても超一流だ。勅撰入集269が実力のほどを示すほか、即詠の名手としても知られ、打てば響くかのような機知も評価されていた。私的に大切なことは、大好きな九条良経の叔父で、良き相談相手だったということだ。
久寿二年四月15日のお生まれ。これを現代の暦にすると1155年5月17日ということになる。本日はお誕生日だ。
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