京極派
藤原定家の息子・為家の相続に際して、お家騒動が持ち上がった。和歌の家元の内輪揉めだ。結果として、御子左家は、二条、京極、冷泉の3つに分家することになった。皇統が大覚寺統と持明院統に分裂したこととも重なって事情が複雑化したともいう。和歌の家元の最大のお仕事は、勅撰和歌集の撰進だ。撰者が単独なのか複数なのか、撰者が誰になるのかに皆、戦々恐々と腐心する。結果として二条家と京極家が持ち回りという体制になる。
京極派とはこのうちの京極家の歌風のことだ。為家の孫、為兼を始祖とする。徹底的な写実を旨とする歌風で、とりわけ叙景に優れていたと評価される。
10番目と11番目の勅撰和歌集を為家らが務めた後、12番目以降持ち回りになったと見ていい。14番目為兼が撰者となった「玉葉」と、17番目光厳院親撰の「風雅」が、京極派の仕切りによるものだ。
源実朝の作品が積極的に採用されていることから興味を持って鑑賞し始めたが、どうも新古今の正当な継承者かのような気がする。うまく説明できないのがもどかしい。
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