きっちり300年後
新古今和歌集の完成は元久二年だ。この年に完成披露パーティが開かれているのだが、まだ序文は完成していなかった。このあと「切り継ぎ」と呼ばれる改訂作業が延々と続いたし、隠岐の島配流後の後鳥羽上皇がこれぞ決定版と自負した「隠岐本」まである。何故に無理矢理完成披露を急いだのか。それはその年が「古今和歌集」成立300年に相当するからだ。古今和歌集の成立は西暦に直すと905年だ。かの元久二年は西暦1205年にあたる。日本史でさえ西暦での暗記が定着しているから気づきもしないが、1205-905の引き算が成立することに何の不審も感じない脳みそをリセットする必要がある。これを日本の元号で管理すると以下の通りとなる。その年号が始まった年の西暦を付しておく。
- 延喜 901
- 延長 923
- 承平 931
- 天慶 938
- 天暦 947
- 天徳 957
- 応和 961
- 康保 964
- 安和 968
- 天禄 970
- 天延 974
- 貞元 976
- 天元 978
- 永観 983
- 寛和 985
- 永延 987
- 永祚 989
- 正暦 990
- 長徳 995
- 長方 999
- 寛弘 1004
- 長和 1013
- 寛仁 1017
- 治安 1021
- 万寿 1024
- 長元 1028
- 長暦 1037
- 長久 1040
- 寛徳 1044
- 永承 1046
- 天喜 1053
- 康平 1058
- 治暦 1065
- 延久 1069
- 承保 1074
- 応徳 1084
- 寛治 1087
- 嘉保 1095
- 永長 1097
- 承徳 1097
- 康和 1099
- 長治 1104
- 嘉承 1106
- 天仁 1108
- 天永 1110
- 永久 1113
- 元永 1118
- 保安 1120
- 天治 1124
- 大治 1126
- 天承 1131
- 長承 1132
- 保延 1135
- 永治 1141
- 康治 1142
- 天養 1144
- 久安 1145
- 仁平 1151
- 久寿 1154
- 保元 1156
- 平治 1159
- 永暦 1160
- 応保 1161
- 長寛 1163
- 永万 1165
- 仁安 1166
- 嘉応 1169
- 承安 1171
- 安元 1175
- 治承 1177
- 養和 1181
- 寿永 1182
- 元暦 1184
- 文治 1185
- 建久 1190
- 正治 1199
- 建仁 1201
- 元久 1204
という具合である。ひとまず歴史の教科書に出がちな元号を赤文字にておいた。令和改元でも記憶に新しいところ、改元して正月が来ればもう「二年」になる。上記39番目と40番目でも明らかなとおり、1年に二度改元という例もある。二年連続の改元だって珍しくないので、元号〇年というところの「〇」の部分を単純に足し算しただけでは全く使い物にならない。元久二年が延喜五年から数えて300年後にあたるとわかるには、確固たる年号のルールと管理が不可欠だとわかる。
そしてさらに押さえておきたいことがある。古今集と新古今の間が300年あるのに対し、万葉集成立と古今集は100年程度の間隔しかないことだ。万葉集の成立は諸説ある。8世紀末から9世紀初頭で仮に8世紀真ん中750年まで遡っても古今集とは150年しか離れていないということだ。古今と新古今の間300年と一口に言うが、バロックの始まりが1600年で、1900年がロマン派の終焉だと考えると、とても長いとわかる。
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