立ちかえり
「脳内補正語」第17弾。まさか「立って帰る」ことだとは思うまい。「令和百人一首」には以下の通り用例がある。
- 焼き捨てし煙の末の立ちかえり春萌え出づる野辺の早蕨
- 立かえり人待ち顔に響くな遠山寺の入相の鐘
- 更に今和歌の浦波収まりて玉拾ふ世に立ちぞかえらむ
動詞「立つ」と「かえる」の複合なのだが、「立つ」の側に英語でいう「stand」の意味なんぞ無いも同然だ。「立つ」ならば」他にもたくさん出て来るけれど、その主体は「波」「夏」「真木」「民」「霞」「春」など様々だ。複合相手の動詞と共同して微妙なニュアンスを添える「微調整」に徹していると思う。「stand」にとらわれて理解をいじくりまわすとロクなことはない。上記3では「立つ」と「かえる」の間に「ぞ」まで挟んで強調していはいるが「stand」の意味なんぞ一顧だにされていない。「立ちかえる」で味わうべきだ。
「立ちかえる」に限らずこうした複合動詞は、元の動詞の意味を複合した形に惑わされてはいけない。
- 立ち戻る
- 行き暮るる
- 冴え昇る
- 咲け添ふ
- 立ち上る
- 暮れ行く
- 響き来る
- 契り置く
- 立ち騒ぐ
- 分きかぬる
- 行き過ぐる
- 降りしく
- 焼き捨つ
- 吹き越ゆ
- 立ち去る
形として二つの動詞の複合には違いあるまいが、意味は単なる足し算であるまい。長い慣用の末に個別の意味を獲得しているように見える。
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