史伝後鳥羽院
「令和百人一首」選定の参考にネット上のさまざまのサイトが大変役立ったとすでに述べている。今回は書物の話だ。書店で手に取って買い求めたのが「史伝後鳥羽院」である。
著者は既に亡くなられている。まず特筆すべきはその美文だ。何より後鳥羽院に対する熱い思いがベースにあるのだが、ご本人は「贔屓の引き倒しにならぬよう」と自らをしきりに戒める。後鳥羽院を愛するあまりの筆の滑りを慎重に回避する。それでいて読後には後鳥羽院への熱い思いが残るという巧妙な筆致だ。
全体は「出生と生い立ち」「在位期間」「承久の変」「隠岐配流」の端正な四部構成。和歌が語られるのは2部と4部。とりわけ2部に現れる「新古今和歌集」は、迫真の描写だ。定家との蜜月と破局をベースにしていながら、その定家の「明月記」が第一資料であるという華麗な矛盾が全体を貫く。ここいらの後鳥羽院と定家の確執を見て、彼らをシューマンとワーグナーになぞらえる気になった。
そして131ページ「はこやの山の影」ではまるまる1章が源実朝の記述に割かれる。頼家薨去と偽られて実朝を征夷大将軍に任ずるあたり、北条政権への不審の芽生えと明記しながら、当の実朝とは好を通じていたと考証する。「ミニ実朝伝」という印象だ。後鳥羽院から見た実朝像はやけに客観的で説得力がある。後鳥羽院をシューマンで実朝ブラームスという割り付けにふさわしい。章末、実朝と大伴家持の共通点をいみじくも指摘する。正岡子規以来、実朝の万葉ぶりに脚光があたりがちなことも考慮してか、慎重に言葉を選びながらながら静かに断言する。大伴家持をバッハにあてはめる決心がついた。
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