定家とワーグナー
19世紀ドイツ楽壇を二分した有名な論争がある。うーんと簡略化すると「絶対音楽」vs「標題音楽」という図式だ。ブラームスは本人の意思とは関係なく絶対音楽側の首領と位置付けられていた。もう一方「標題音楽」陣営の首領はワーグナーだった。ブログ「ブラームスの辞書」はもちろんブラームス陣営だ。カバンさえ持たせてもらえぬ下っ端ではあるけれど、帰属意識だけは高い。
ブラームスの方が年下であるけれどもほぼ同時代だけに、ブラームス関連の著述にはワーグナーさんも出没する。ブラームス本人はワーグナーを軽視していないどころか相応の敬意を払っていたことは確実だ。
ワーグナーは時代革新の旗手。ブラームスと同じくベートーヴェンを範としながらも次々と新機軸を打ち立て未来の音楽を志向したのに対してブラームスはむしろバッハを筆頭とするバロックに傾斜する。「未来の音楽に興味はない」「未来に残る音楽を書きたいだけだ」というのが信条だ。どちらも19世紀が育んだ豊かな個性の発露なのだが、当時は大論争だった。
「令和百人一首」で歌人たちを次々と作曲家にあてはめた中、そのワーグナーには藤原定家を比定した。「ブラームスの辞書」の立場からするとあちら陣営のトップにあてたということだ。困ったことにこの位置づけは私の中の定家の位置づけにピタリとはまる。「好きではないが敬意は払う」という立ち位置としてピッタリ来る。モーツアルトにあてた紀貫之も同じテイストである。大好きな慈円や寂蓮をリストやブルックナーに比定しないデリカシーも同根である。
逆に大好きなバッハにあてた大伴家持や、ドヴォルザークにあてた後嵯峨院はよっぽどのことだ。
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