母の好物
母の好物を挙げろと言われると困る。いわゆるグルメではない。
- たけのこ
- 栗
- 和菓子
- ケーキ
- コーヒー
- メロン
すぐに思いつくのは、これくらい。
食べ物でなくていいなら下記。
- 野球 ジャイアンツファン。最近の選手は知らない。首脳陣の方が知ってる感じ。
- 旅行
- 買い物
こうしてみると外せないのが子供だ。特に赤ちゃんが好きだ。
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母の好物を挙げろと言われると困る。いわゆるグルメではない。
すぐに思いつくのは、これくらい。
食べ物でなくていいなら下記。
こうしてみると外せないのが子供だ。特に赤ちゃんが好きだ。
なんたって特筆べきは早起きだ。出勤のために家族が起き出す前に、洗濯と掃除をすませておきたいほう。5時まで寝れば「寝坊」の部類にはいる。平日はだいたい下記。
週末にはデパートにお買い物もする。たまにはドライブ。神社やお寺か。
私が妻を亡くした時、長男は3歳10か月、長女は2歳1か月、次女は4ヶ月だった。おむつが外れていたのは長男だけだった気がする。その日から母は、孫である子供たちの母親代わりとして今日まで24年間奮闘してきた。ありったけの愛情を注ぎ続けたと称してもまだ足りないくらい。
口で言うのは簡単だが、並みの苦労ではなかったはずだ。私はずっと見守ってきた。家事全般と育児。弁当作り、送迎、参観日など。途中連れ合いに先立たれもした。その間ずっと我が家の太陽であり続けた。早朝から働きどうし。家中を見渡せる位置に陣取って、目を配る。
9歳だった長女の名言「おばあちゃんてパパのお母さんだったんだ」には笑った。そう言えば改まって教えてなかった。みんな屈託がない。今、慈しみの対象が子供たちから母移ってきている。子供たちもみなわかっている。85歳の母は車いすはもちろん杖もつかずに毎日買い物に行く。介護問題、虐待などさまざまな報道に接するにつけ、ただただありがたく思うばかりである。自分のことが自分で出来るだけでもありがたいのに、家事全般をこなしてやまない。「いつ身体が動かなくなるかわからないから、動く間になんでもやっておく」というのが口癖という意識高い系である。
あの日とは1996年2月1日だ。その日私は妻に先立たれた。今の私と同じ60歳だった母はただちに私の3人の子供たちの母代わりとして子育てに奮闘することとなった。2か月後に定年を迎える父と共に田舎に引っ込んで悠々自適の老後をと思っていた矢先の出来事だった。その一年半後に父がこの世を去った後も変わらず私を含む子供たちを慈しみ抜いてきた。おかげで子供たちは何不自由なく育った。
「あのうちは母が居ないからと言われたくない」というのが口癖だった。子供たちはそうした母の背中を見て育った。3人さまざまな個性を持っているが、おばあちゃんに優しいという点では一致している。よいことだ。
本日のこの記事は、ブログ「ブラームスの辞書」開設以来5585本目の記事となった。偶然こじつけもいいところだが、本日は母の85回目の誕生日だ。本数の下二桁と一致する。だからという訳ではないが、本日より母を特集する。つい先日まで私の還暦記念として脱線覚悟で和歌を延々と半年特集したのだから、母の話題を少々振っても問題はあるまい。
母が元気なうちにこそ特集しておく意味がある。
毎日毎日記事をアップする。アスセスの増減には一喜一憂し、キリ番のアクセスには殊更に言及を繰り返す。折に触れて過去の記事を振り返っては感慨に浸る。将来にわたって記事の更新やアクセスの増加が順調に続くことを祈る。
私はブログを育てている。
このようなことをブログ開設からずっと繰り返してきた。結果としてブログの記事が相当数堆積した。
ブログ「ブラームスの辞書」には人格がある訳でもないのに、何だか一人歩きしている感じがする。私が更新をやめると途端に命を失うというはかなさもまた、愛おしさを高めている。感覚としてはまさに「ブログを育てる」という感じである。家族の一員に近づいている。ブログへのアクセス増は成長を実感するまたとない機会だから、アクセス系の記事はつい我を忘れる。親バカと呼ばれる諸現象と同じである。
自室の空いた壁面に、CDラックを据えてから10か月経過した。CDがきれいに収納できるメリットは想定通りだった。加えて想定外の効用が2つあった。一つは、目的のCDがたちまち取り出せることだ。もう一つは、「こんなCD買ったか?」みたいなCDがかなりあるということに気付いたことだ。それらを聴くと当然新鮮だ。その手のCDを片っ端から聴いている。しばらくCDショップに行かなくていいくらいだ。
在宅勤務のつれづれを音楽でという想定外のニーズに力強く答えてくれている。
国際オリンピック委員会の第9代会長だ。西ドイツ時代にフェンシングで金メダルをとったことがあるという。
そんなことはさておき、この人フルネームはThomas Bachという。
なんだかすごい。
一年に二度収穫すること。米だけを二度の場合二期作というらしい。
ブログ「ブラームスの辞書」で展開した「バロック特集」は、20ヶ月の会期を要してもなお、公開できない記事が発生し、これをクララ特集の後に改めて公開することとした。この現象をさして「落穂ひろい」と表現した。
ところが、ところが、バロック系の記事が膨張した結果、あるいは令和百人一首の開催もあり、クララ特集後に置かれる「落穂」がたくさんたまり、それらの公開だけで数か月を要する見込みとなった。もはや「落穂」ではなく二毛作と称すべきだ。
世の中の愛好家はどうなっているのだろう。
私に関して申せば、鳴っている楽曲の曲名が思い出せないとストレスになる。気に入った曲ほどその傾向が強い。曲に感動するかどうかは、曲名を知っているかどうかには本来関係がないハズなのだが、そうも行かないのが私の脳味噌だ。曲名を思い出せないとゆっくり味わっていられないという性格だ。
具体的には「どんな作曲家の何か」を知った上で作品を楽しみたいのだ。「何か素敵だが曲名を知らん」という状態を放置できない。初めて聴く作品の曲名を知らないことは当たり前なので大したストレスにはならないが、一度曲名を聞いたことがあるのに思い出せないのはかなりダメージが大きい。
作品を聴いてのイメージや感想は、私の脳味噌のなかでは曲名とセットで記憶されているからかもしれない。
のめり込み歴が長いこともあってブラームスではほぼ大丈夫だ。問題はバロックだ。曲名を覚えるのが厄介である。
19世紀後半に欧州ワインを蹂躙したフィロキセラ。新大陸原産の寄生虫への対抗策を模索する中から編み出されたのが接ぎ木だ。
フィロキセラはブドウの根を壊滅させるのだが、北米産のブドウ品種にはこれに対する耐性が備わっていた。北米産のブドウに欧州産のブドウを接ぎ木することで解決を見た。
さらに接ぎ木の技術が急速に進歩し、対フィロキセラ以外にも様々な恩恵がもたらされた。栽培環境に最適な台木と接ぎ木の組み合わせを自由に選ぶことが出来るようになった。
そして毎度毎度のオチ。
北ドイツ音楽の伝統のハンブルクという台木にウィーンを接ぎ木したのがブラームスである。マーラーはブラームスの晩年を指して「堅くこわばっているが甘い果実を結ぶ」と評した。
原書房刊行の「100のトピックで知るドイツ歴史図鑑」という本を買った。グイドクノップという歴史学者が書いた本の翻訳版。原題は「Die Sternstunden der Deustchen」という。「ドイツの世紀の一瞬」くらいの意味。西暦800年から2007年までの出来事100件が収載されている。読み物として面白いのだが、その中に音楽系のトピックが4つある。
興味深い。以下は突っ込みどころだ。
当然と言えば当然だが、「宗教改革」は筆頭格である。
昨日、鴎外先生とブラームスさんを見送ったことで、1月10日から続いた和歌への脱線をひとまずお開きとする。
明日から徐々に本来のネタに回帰する。リハビリが要りそうだ。
5杯目を飲み干してブラームスさんが「ところで源実朝って誰じゃ?」と聞いてきた。鴎外先生が「いかんいかんまだ説明出来とらん」と頭を掻く。「あなたを生涯の作曲家と決めて40年、このほどようやく生涯の歌人を決めました」「それが源実朝です」と即答する私。
「いやいや実朝某を私になぞらえているのでな」とブラームスさんが身を乗り出す。歌人と作曲家を紐付けた試みのことだ。
「日本の有名歌人たちの位置づけを急ぎ飲み込むにはうってつけの資料だな」とブラームス先生。「ブラームス先生が遅れてきたロマン派である点やバッハ先生への傾倒、シューマン先生との関係、ワーグナー先生の位置づけ、もろもろ全て熟考の成果です」と私がどや顔気味にまくしたてる。「ブルックナー先生やリスト先生にあてていたら、その歌人の位置づけはすぐにばれますよね」と付けくわえた。
「シューマン夫人やマーラー夫人がいないのが残念だ」とブラームスさん。「いやいやそうは申しても」と鴎外先生が割って入る。「女流歌人の位置づけは女流作曲家の位置づけよりも格段に高いんじゃよ」と。「そういえばわしが曲をつけた詩人は男性ばかりだった」とブラームスさんが感心しきりだ。
私が次女に合図を送った。次女がいそいそと二人に包みを差し出す。「開けてください」と私。
「令和百人一首書籍版をマスクのお礼に差し上げます」と次女が高らかに言い放つ。「表紙は源実朝なんですよ」と付け加えた。
ぴったりサイズの特製ケース入りだ。パラパラとめくっていた鴎外先生が奥書きを見て驚いた。「10部印刷なのか?」と。「製版代もばかにならんじゃろ」と出版事情にも詳しいブラームスさんが割って入る。「まあオンディマンド印刷ですわ」と私。限定10部の1番を鴎外先生に用意しましたと。「わしのは7番になっとるわい」とブラームスさん。「一応お誕生日に合わせました」と控えめなどや顔の私。
乾杯のジョッキをあっという間に飲み干したブラームスさんが待ちかねたように口を開く。「道中音楽の話が全く出なかった」「興味深い日本のポエムの話ですっかり盛り上がった」鴎外先生も遅れて飲み干して加わる。「私の作品を選んでくれてありがとう」どうやら「令和百人一首」のことを言っているらしい。「31音の短詩とは優雅なことだ」「賛美歌にも同一の音節構造を持つテキストに旋律を共有させる仕組みがあるけれど日本のは繊細だな」とブラームスさんが得意げに話す。「和歌を選んで配置することも十分に芸術ですね」と鴎外先生がポツリとつぶやいた。「道中2人で全百首を味わってきたよ」というとブラームスさんが「いやはや楽しい」と満足気だ。
「それにしても和歌の伝統とはさすがだな」とブラームスさんが溜息をつく。「少なく見積もって1200年も同一の詩型が維持されているとは」どうも道中の鴎外先生の講義はそうとうな細部にまで及んでいたようだ。
鴎外先生はやっと「選んでいて楽しかったろう」と少し話題を変えた。「はい」と私。「時代順の配列」「日本史と和歌史のバランス」「本歌取りの優先的採用」と続けても鴎外さんはうなづくばかり。「加えて和歌へのリスペクト」とブラームスさんと鴎外さんが同時に口走ったのには驚いた。驚いてばかりもいられないので「同時に古典へのリスペクト」と私が切り返すとブラームスさんは立ち上がって私をハグしてくれた。鴎外先生は笑いながら「ディスタンス、ディスタンス」と言っている。
「ブラームス先生を筆頭とする欧州の古典音楽の作曲家たちの話題なら一晩中語っていられるのだから、自分の国の歌人についてそれが出来ないのは文化的に恥ずかしい」というと鴎外先生は小さくガッツポーズを作ってくれた。「古今の優秀な作品に数多く触れてそれについて語れることは生涯の宝になる」「これらを出来るだけ暗記しておいて、ふさわしい場面で思い出せることが人生を豊かにする」などと巨匠二人の前で調子に乗ってしまった。
「古典古典古典じゃな」と鴎外先生がポツリとつぶやく。「古典を知り尽くした上でないと乗り越えることも出来ん」「壊すべき古典のない無手勝流では、やがて廃れる」と堰を切ったようだ。「陸軍用語の前衛、フランス語でいうアヴァンギャルドは、芸術用語としては危うい」「軍隊用語なら奇襲を受けぬよう本体に先行する小隊の意味で、本隊は必ず前衛の後を追うものだが、芸術は単なる異端との境目が曖昧だ。用心せねばな」と陸軍ネタにはやけに明るい鴎外先生だ。「だからじゃ」とブラームス先生が割り込む。「わしがドイツバロックにのめり込むのも同じ理屈だよ」「未来の音楽には興味はなくて、ただ未来に残る音楽を書きたいと思ったら歴史を顧慮せざるを得ぬ」「わしなんぞはけして筆頭ではないんだよ」
いやいやさすがに今年は来ないかと思ったら、悠然とやってきた。二人連れだ。二人ともマスクをしている。ブラームスさんが「俺は煩わしいから、いやだと言ったんだが、連れが厳しくてな」と後方の紳士を紹介してくれた。「ベルリンの森です」といって手を差し出してきた紳士は、森鴎外先生だ。道理でマスクにうるさいわけだ。「何しろ軍医殿だからな」とブラームスさんは神妙にしている。母が消毒用アルコールを二人に差し出した。ブラームスさんは「感染症と言えばコレラだな」と訳知り顔だ。1848年にパンデミックがハンブルクを襲ったことを指しているようだ。「20世紀に入ってからはスペイン風邪などもあった」と鴎外先生が付け加えた。
「そんなところで立ってないでこっちで喉の消毒をしよう」と私が招き入れた。鴎外先生はドイツ語堪能なので道中話が弾んだようで、ブラームスさんが感染症にもやけに詳しくなっている。「あんたの家族は大丈夫か」と心配顔だ。「なんとか」と答えると頷きながら「土産だ」と言って紙包みを差し出す。次女がそそくさと開けると中身はマスクだった。「天国は密なのだが誰もしていなくてな」と。「全部布製手作りだから」とやけにどや顔だ。家族全員の分が揃っていると母が涙目でお礼を言っている。娘たちは「マスクかわいい」といって盛り上がっている。食事などのために一瞬はずしたマスクをおしゃれに収納できるケースには感心しきりだ。なんでもマスクに直接触れずに脱着が可能だとか。
さあさあ「うがいうがい」と長男がビールを持って入ってきた。ブラームスさんは「ご家族お揃いか」と嬉しそうだ。私が「いやいやこれこそが在宅ですよ」と説明すると鴎外先生が感心しながらブラームスさんに説明している。さてとばかりに鴎外先生とブラームスさんがマスクをはずすと長女が笑った。「お二人とも立派な髭なので」と珍しそうだ。
「ホッホコローナ」とブラームス先生がジョッキを手に立ちあがった。「御一同起立」を意味する学士会用語だ。勢いにつられて母まで立ち上がった。鴎外先生の「プロジット」の声が高らかに鳴り響いた。
ブログ開設15周年記念事業だ。名刺新調に続く第二弾。こちらはお金がかからない。ブログ上管理人の私はハンドルネーム「アルトのパパ」を名乗ってきた。還暦も過ぎたし、子供たちも成長したことだし、いつまでも「パパ」ではあるまいと考えてこれを改めるとこととした。
新しいハンドルネームは「実朝の弟子」である。ブログタイトル「ブラームスの辞書」を改めることはないし、運営方針にも変更はない。「実朝」は申すまでもなく「源実朝」のことだ。還暦記念企画「令和百人一首」の末尾で源実朝への愛情を告白し、彼を生涯の歌人と決めた。ブログタイトルには生涯の作曲家「ブラームス」が入り、ハンドルネームには生涯の歌人の名前が入るということだ。2033年5月7日のゴールまでこのハンドルネームで突き進むことになるはずだ。
本日から徐々に設定を変えて行く。
昨日誰かが110万アクセスのキリ番を踏んだ。2005年5月30日のブログ開設以来のアクセス数が110万に到達した。
本日は書籍「ブラームスの辞書」刊行から丸15年の記念日だ。
私はまだ45歳だった。相当な昔のはずだがあっという間だった。2033年なんてすぐやってくる。
今年1月10日にカテゴリー「令和百人一首」を立ち上げてから6ヶ月たった。和歌で半年凌いだということだ。ブログ「ブラームスの辞書」のゴールに必要な記事10252本のおよそ1.7%を稼いだことになる。脱線逸脱を承知の暴挙だったが、意外と楽しんだ。がそれは図らずもコロナウイルスの蔓延と重なった。心を痛めつつも記事を発信し続けた。
世の中を支える医療従事の皆様方にささげたい。
ブログ「ブラームスの辞書」開設15周年を記念して名刺を新調した。従来の名刺が切れたわけではないが、記念のために更新した。書籍「ブラームスの辞書」のカバーデザインをプリントしたデザインを改め、シンプルにした分、紙の手触りと質感にこだわった。
1月に60歳に達した。
そこでこの先5年のブログ運営の目標を考える。仮に2025年1月末日までの間にブログ記事の備蓄をどれだけ伸ばせるだろう2033年5月7日のブラームス生誕200年のメモリアルデーまでブログ更新を継続するという大目標達成に必要な13年分の記事を備蓄するにはどれほどのペースが要るのだろう。
5年で4870本の記事が必要だ。今の備蓄がおよそ2年分あるので新たに4000本の記事をひねり出さねばならない。5年で4000本ということは、毎日およそ2.2本。微妙だ。
バロック特集の記事備蓄の最盛期には一日4~5本の記事を思いついていたが、半年1年にならすと2~3本がいいところだ。毎日2本では足りないところが厳しい。大型企画の2本や3本作りこまねば届くまい。だからである。無理を承知の「令和百人一首」で本数を稼いだということだ。
ブラームスを生涯の作曲家と決めて40年。そのうち15年をブログ「ブラームスの辞書」と歩んできた。ブラームスを起点に下記のようにさまざまな領域への展開も進んだ。
そしてこの度の「令和百人一首」である。源実朝の就任試験だった。実朝を生涯の歌人とするかが問われたが、彼は試験をパスした。晴れて源実朝は私の生涯の歌人となった。これ以降、実朝とブラームスを和洋の両輪として知識を吸収し、横展開を図ることとする。
まずは古典和歌だ。音楽ではすでに「壊すべき古典」を持っているつもりだから、実朝を起点に日本文化の中にそれを求めていく楽しみな作業だ。
「令和百人一首」は、還暦、令和改元の他にもう一つ「ブログ創設15周年」の記念企画でもあった。1月10日に立ち上げて7月10日の「刊行記念日」まで、記事がつなげるかがポイントだった。つなげる手ごたえがあるから1月10日スタートにしたということだ。100首を一日二首ずつ公開する記事だけでは50日分でしかないのだが、そこからの派生記事で130日と少々持たせた。音楽記事からの壮大な逸脱ではあるが、還暦の脳みそへの大きな挑戦であり、よい刺激となった。
こうでもして稼がないと2033年5月7日までつながらないという切実な事情がある。
大学オケの仲間と野球をやった。これが意外と盛り上がる。後の飲みとセットだったせいでもある。当時のモットーは「ベルリンフィルより野球がうまくて、ヤンキースよりアンサンブルがうまい」というものだった。ベルリンフィルにしたのは訳がある。アメリカのオケたとえばシカゴ響だと。野球で負けてしまいかねないと危惧してのことだ。「ベルリンフィルよりサッカーがうまくて、バイエルンミュンヘンよりアンサンブルがうまい」としてしまうと、サッカーでベルリンフィルに勝てるかいう難問も生じる。こんなことを飲みながら議論した。頭がいいんだか悪いんだかわからん。
私のブログのポジションをこれに習って考える。
「ブラームスより和歌に詳しくて、実朝より音楽に詳しい」という図式が浮かび上がる。つまりよくあるポジションということだ。けれども、ブラームスと実朝を両輪に据えたブログはそう多いとは思えない。
これから本ブログにおける実朝の位置づけを上げて行くことにする。
昨日の記事で書籍版「令和百人一首」の画像を公開した。A4版フルカラー120ページ。眺めているうちに妄想が始まった。
これをテキストにゼミの講師がやってみたい。「和歌史」「日本史」のゆるやかな融合。年間20~30コマくらいか。少人数の若人と語り合ってみたい。試験だレポートだ単位だと堅いことを申す気はない。各自が自選百人一首を作ることがゴールで、それをまた批評しあう。
議論の過程で、天皇制、武士政権、文学史、連歌などさまざまな領域に脱線もするだろう。受験日本史との差異を実感するだろう。「ブラームスの辞書」をテキストに音大でブラームス学を講義したいという発想と同じだ。
何も今年に限っての話ではない上半期総括ネタだ。2020年上半期はブログ「ブラームスの辞書」始まって以来の波乱の半年となった。
まだパンデミックは終わっていない。還暦記念のはずの「令和百二一首」への逸脱は、おそらく100年に一度あるかないかの危機とかぶっていたということだ。
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