美しき9月
シェリング、グールド、アッカルドが9月生まれだとはしゃいだ。その気で考えると9月生まれはなかなか濃い。
- 6日 次女
- 8日 ドヴォルザーク
- 13日 クララ・シューマン、シェーンベルク
- 17日 源実朝
- 22日 シェリング
- 25日 グールド
- 26日 アッカルド
うるわしき9月。
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シェリング、グールド、アッカルドが9月生まれだとはしゃいだ。その気で考えると9月生まれはなかなか濃い。
うるわしき9月。
在宅勤務の定着とともにCD鑑賞に親しむ時間が増えた。とくにグールドだ。我が家にはもともとバッハとブラームスについてかなりCDが堆積していたが、この機会に他の作曲家の作品にも手を伸ばした。
などなどだ。結果からいうと私にとってはバッハとブラームスだけでいいとわかった。ベートーヴェンは高校時代以来ということもあって懐かしく聴けたけれど、その他は取り立ててどうということはなかった。特にバッハは素晴らしいとわかった。バッハのクラヴィーア作品をグールドで今一度聴きなおした感じに近い。曲によっては楽譜を見ながらである。
言葉にならない。
毎年9月末から開催されるミュンヘンのオクトーバーフェストが今年は感染症の影響で中止になった。ドイツでは自国開催のオリンピック以上の関心事だが、4月には中止が決まっていた。世界最大のビール祭りで、その規模からして早々の中止決定には感心しきりだ。消費量が半端でないだけに、ビールの仕込みや食材の調達には時間がかかる。決定を躊躇するとフードロスが出るに決まっている。
オンラインオクトーバーフェストでは盛り上がるにしても量が進むまい。
今更グールドの話なんぞ、ネット上には溢れ返っている。グールドのCDは我が家にはかなり揃っている。バッハ中心にいろいろだ。作品解説の冊子には「グールド本人の歌やうなり声がはいっていますがご了承ください」という趣旨の注意書きがほぼ必ず添えられている。
サルヴァドーレ・アッカルドさんはイタリアのヴァイオリニスト。1941年9月26日のお生まれだ。昨日のグールドに続いて本日はお誕生日である。現代ヴァイオリンの演奏家としてシェリングとならぶ大好きなヴァイオリニストの双璧だ。我が家のCDコレクションは下記のとおり。
こんなもん。どれも好き。気が付けばこんなにという感じだが敢えて申せば上記3と4のソナタだ。もうなんだか絶妙。もちろんチェンバロとのアンサンブルだが、いわゆるバロックバイオリンではない。「端正」とか「清潔」とかいろいろ思いうかぶけれどどれも不完全だ。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番をめぐるバーンスタインとのやりとり。そのブラームスのピアノ小品の演奏、新旧のゴールドベルク変奏曲をはじめとするバッハ作品のキラメキ。
今までだってずっとグールドには一定の敬意を払ってきた。超生意気に言えばどちらかと言えば好きな部類の演奏家だ。
しかし心をもっとも揺さぶられたのは、チェロのレナードローズと録音したバッハのガンバソナタだ。2人の演奏家のアンサンブルでありながら、ピアノの両手とガンバによる事実上のトリオソナタという曲本来の来歴をカラリとあっけなく音にしてくれるとでも申せばいいのだろうか。ピアノの左右の声部がくっきりと聴こえる。加えて本人のハミングを交えた四重奏だというジョークも一笑に付せない説得力がある。
鍵盤楽器のためのバッハ作品では、チェンバロ演奏が好きなのだが、グールドだけは例外だ。ガンバソナタだけではない。ラレードとのヴァイオリンソナタも同じ意味で同列。
彼は1932年9月25日のお生まれ。今日は誕生日だ。
ブラームスが晩年に至って人生を振り返る中つぶやいた言葉にバッハが出てくる。
大好きなヴァイオリニスト。「Szeryng」は、グリュミューほどではないが癖のあるスペリングだ。私の史上初がいくつも彼のLPになっている。
ロシア連邦最高峰。標高5642mだ。欧亜の境界にという微妙な立地にあるけれど欧州最高峰扱いとなる。
本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来5642本目の記事である。
音名のネーミングのお話。欧米諸国はアルファベットが基本。日本語では「イ」からイロハ順に「ト」までの7文字だ。アルファベットだと「A」から「G」までの7文字だと思いきや、ドイツ語だけは「H」を用いる8種類になっている。
これには「悪魔の音程」ともいわれる増4度音程にまつわる複雑な経緯があると聞く。増4度はピアノの白鍵で申すなら「FとH」が作る音程だ。黒鍵を用いない限り増4度はこれだけだ。欧州では古来不吉と言われ何かと忌避されてきたのだが、何故ドイツでだけ「H」を用いたのか謎も多い。詳細は専門家に譲るとして、私は日ごろドイツ語の音名を愛用している。
何が嬉しいと言ってドイツ語の音名を愛用すると「H」が使える。
ああ。
BACHのスペリングが全て音名に存在するのはドイツ語のみだ。他の言語では「H」を用いないために「BACH」が完成しない。
偶然にしては出来過ぎだ。
黙って以下のリストをご覧いただく。
バロック作曲家をウィキペディアで検索し、「Johan」で始まる作曲家を一覧にした。ドイツ語圏作曲家で「ヨハン」のつく人が多いとわかる。バッハの息子たちの中にもいるが、バロックに該当しないから漏れている。この現象は特に作曲家に限ったことではないと知りつつ、思い余って記事にした。
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に関する話題だ。ご存知の通り、クラヴィーアの鍵盤上の12種の音全てについて、それらを主音に長調短調を網羅した24曲の前奏曲とフーガからなっている。バッハが残した自筆の楽譜帳の1ページ目には、もちろん自筆の標題が鎮座している。その標題において長調・短調という部分が独特の言い回しをされている。長調という部分は「長3度つまりドレミ」と表現されているし、短調に相当する部分は「短3度つまりレミファ」と表現されているのだ。
黒鍵を全く使わないとすれば、連続する3音の両端が長3度になるのは「ドレミ」か「ソラシ」か「ファソラ」に限られる。我々は調性の話をする際には、判り易さに配慮してハ長調を例にとる場合が多いから、これを「ドレミ」に代表させるのは理解できる。
問題は短調だ。黒鍵を使わない前提で、連続する3つの音の両端が短3度になるのは以下の通り4種類ある。
このうち「ミファソ」と「シドレ」は2音目がいきなり半音の「フリギア状態」なので脱落だが、「ラシド」と「レミファ」は甲乙つけがたい。長調で「ソラシ」を選ばずに「ドレミ」にした趣旨からすれば、「ラシド」でもおかしくないのに、短調代表に「レミファ」を選んでいるのが不思議に感じる。
ここまで考えてはたと思いついた。バッハにとっては「ラシド」も「レミファ」も調号なしの調なのではないかということだ。私はかつてこのことに記事「ドリアンリート」や「ドリアンブーレ」で言及してきた。フラット系の短調の曲に最後のフラットを省いた調号を用いるケースが頻発する傾向のことだ。調号なしからは旋律的短音階にも和声的短音階にも臨時記号一個でたどり着くのだ。長調を「ドレミ」、短調を「レミファ」とする言い回しと同根と感じる。
現在では一般に、調号なしの短調としてはイ短調を想起するのが自然だが、バッハの時代はニ短調もその候補だったのかもしれない。
1992年に音楽之友社から出された本。ハーバード・クプファーベルクというアメリカ人が著者で、その和訳だ。短いコラムの堆積でサクサク読める上に、最初から順番に読むとそれがバハの生い立ちのトレースにもなっている。切り口も語り口も斬新で、驚きのネタにあふれている。
著者の苗字の綴りは、Kupferbergだ。おそらくドイツ移民の子孫だ。ドイツ語だと解するなら「銅山」の意味である。古書店で購入したが1600円。もともと1400円なのに古書で値上がりしている。つまり引く手あまたということだ。読んでみてそれも納得だ。
還暦を自ら祝う「令和百人一首」で壮大な脱線をして、現在リハビリ中だ。気が付けばバッハの力を借りている。ようやく温まってきた。この流れで第二バロック特集に進むことにしている。
しかしまあ、バロックネタを発信することを最早脱線と称する気はない。ブラームスと直接関係のない記事であってもだ。同時にいちいちバロック特集というタイトルを掲げずに、息をするようにバロックネタを吐くことにしている。今やそこに後ろめたさを感じなくなった。バロックとりわけドイツ系、なかんずくバッハならばブラームスのお眼鏡にかなう。
バッハの残した器楽作品が何かと6曲一組だと述べてきた。加えて記事「トッカータ」では、元来7曲のトッカータのうち、7番ト長調が様式的に浮いていることを根拠に、「やっぱり6か」と色気を見せておいた。
現代に伝えられているバッハの作品は、厳密な出版管理の結果ではない。ブラームス作品は、出版が作曲者本人に管理されていたから、残された作品の全貌がそのまま「残したいと欲したブラームスの意図」を反映しているのに対し、バッハはかなり多くの作品が散逸している。現代の愛好家が参照可能な作品リストは、「運よく散逸を免れた作品」のリストであるとも言い換え得る。
だから、器楽作品が何かと6曲一組が多いとドヤ顔で指摘したところで、「それは、必ずしもバッハの意図ではないでしょ」と、鋭い突っ込みを誘発する。ブランデンブルク協奏曲を6曲としたのはバッハ自身だし、ヴァイオリンやチェロのための無伴奏作品が6曲であることも、おそらくバッハ本人が絡んでいるにしてもだ。
問題を言い換えることにする。
「散逸を免れた結果残る作品が何故いつも6曲なのか?」ということだ。
即興的な小品を意味する「トッカータ」は、バッハの初期鍵盤作品として知られている。BWV番号で申せば910から916までの7曲である。何かにつけ例外のト長調BWV916を除いて、序奏→フーガ→間奏→フーガという枠組みになっている。音楽之友社刊行の作曲家別名曲解説ライブラリー「バッハ」には、これら7曲は収録されていない。嬰へ短調BWV910以外には、自筆譜が残っておらず、他者の写譜が頼りの危うさが名曲扱いされていない原因なのかもと勘繰るばかりだが、どうしてどうしてこれが相当楽しめる。
バッハが「6」を好んでいたかのような話題が続いた。
今度はヴィヴァルディに飛び火する。ヴィヴァルディ生前の出版は作品番号にして1から14である。
これら作品番号について調べると驚かされる。各々を構成する作品の数はどれも「6」か「12」だ。さらにこのうち作品13と14はヴィヴァルディ本人が関知していなかったということなので、本人関与は12までということになる。
出版に際して6か12にこだわるのは当時の慣習だということなのだろう。
昨日の記事「6がお好き」の続き。
昨日列挙した収録曲6曲からなる曲集8つを子細に調べる。これら8つの曲集のうちブランデンブルク協奏曲のみがその成り立ちついて細かくわかっている。ブランデンブルク辺境伯への就職活動の一環で、既存の曲から急きょ選ばれたとされている。
だからかもしれないが、上記の中では例外的なことが多い。ブランデンブルク協奏曲以外の曲集は6曲の中に同じ調が現れない。これに対してブランデンブルク協奏曲は1,2番がともにヘ長調、3.4番がともにト長調になっている。
6曲の中の長調の短調の構成は「3:3」「2:4」「4:2」のいずれかであるのに対し、ブランデンブルク協奏曲は全部長調という極端な構成になっている。
ブランデンブルク辺境伯への献呈を思いついたときに、手持ちの作品を急ぎ選んで6曲取りまとめたことの証拠になるのかもしれない。
バッハの作品全体を統御するBWVナンバーは、作曲や出版の順ではなく、ジャンル毎に配列されている。カンタータから順序列挙されていて、人の声が入っている作品が優先されている。本日の話題は器楽曲つまり人の声の含まれぬ作品に限定する。BWV番号としては525番のオルガン作品以降を話題にする。
まずは以下のリストを眺めてほしい。
末尾に添えたBWVナンバーをよくよく見ると、これら全て6曲一組になっている。6の倍数にまで広げれば平均律クラヴィーア曲集が加わることになる。フルートとチェンバロのためのソナタとフルートと通奏低音のためのソナタの合計は6になる。
現在伝えられているバッハ作品は作曲全体のすべててはないから、断言は難しいが、バッハが意図して曲集としてまとめる場合「6」にこだわっていた可能性があるとおもいきや、これはバロック時代の作品出版の慣例に従っただけらしい。
バッハの11番目の子供にElisabeth Juliana Friederica (1726-1781) がいる。バッハの四女で、母アンナマグダレーナにとっては4人目の子供。彼女はヨハン・クリストフ・アルトニコルに嫁ぐ。娘婿アルトニコルは、晩年のバッハのよき証言者として知られている。この夫婦の間には3人の子供がいたが、1749年に生まれた長男は「Johan Sebastian」と命名された。祖父大バッハの没する1年前のことだ。
一般に「ヨハンゼバスチィアン2世と言えば、1748年に生まれたカールフィリップエマニュエルの次男を指すことが多いが、もう一人いたということになるのだが、外孫なのでヨハン・ゼバスチャン・アルトニコルとなる。つまりJSAだ。
残念なことに、こちらのヨハンゼバスチャン君は1歳になる前に亡くなっていた。
いつも子だくさんと言われるバッハの子供たちを出生順に一覧化しておく。没年マイナス生年の数値を末尾に置く。ついでに女の子を赤文字にしておいた。
<母マリア・バルバラ(1684-1720)>
<母アンナ・マグダレーナ(1701-1760)>
20人のうち父親であるバッハ本人より後まで生きたのは9人。うち女の子が4人だから、必ずしも女子が長生きとは言えない。男の子5人のうち、なんと4人が音楽史に名を残すという高確率だ。早世した男の子が長生きしていたら、この数は増えているはずだ。唯一漏れたNo09ゴットフリート・ハインリッヒでさえ音楽的才能があったと伝えられており、「アンナ・マグダレーナバッハの音楽帖」No16aが、彼の作品だとされている。
驚嘆すべきは母アンナ・マグダレーナだ。最初の子を1723年に出産した後、1729年まで毎年出産している。1730年一年おいて、1731年から3年連続となり、最後の出産は41歳だ。母として妻として家庭を切り盛りした上に、夫バッハを音楽的にも支えながらである。「アンナ・マグダレーナバッハの音楽帖」収載のBWV841は彼女の作品である公算が高いという。
「偽作」とはあまり好きな言葉ではない。勢いで私自身が使ってしまうこともあるが気持ちのいいモノではない。
現在となっては無名となってしまった作曲家Aさんがいたとする。そのAさんの作品Bが長い年月の中でヨハン・セバスチャン・バッハの作品だと思われてきたとしよう。大作曲家バッハには膨大な研究の厚みがある。その成果の一つとして、ある日バッハの作品と思われていた「作品B」が、実はバッハの手によるものではなく作曲家Aさんの作品であったとこが証明されたとする。
このとき以降「作品B」は偽作であるとされる。
長らくバッハ作品だと思われてきたことについて、作曲家であるAさんに責任はない。後世の手違いが原因だ。そして実直な研究の結果、真の作曲者が突き止められたことは喜ばしい。けれどもその結果作品Bに奉られる「偽作」という言葉は残念でならない。文字数の節約など考えずに「バッハの作品では無かった」とだけ表現すればよい。作品が厳然として存在するのだから偽作呼ばわりは変だ。
「偽作」という言葉にはある種の方向性を感じてしまう。上から目線さえ疑われる。しかもそれはバッハから作曲家Aへの上から目線ではなく、「偽作」という言葉を使う者から作曲家Aさんへの上から目線だ。その作品Bの出来映えがバッハの作品群に比べどれほど劣っていようとも、ハッキリ言って失礼な話だし大きなお世話だ。事実は「作品Bは作曲家Aさんの真作」だということに尽きる。わざわざ「バッハの偽作だ」というのは、筋違いだと感じる。後世の混乱のツケがバッハや作曲家Aさんの2人にまわされている感じだ。
イ長調ピアノ三重奏曲は20世紀に発見されて以来、ブラームスの作品だという説がある。一方でマッコークルは「怪しげ」という判断だ。私も偽作という言葉は慎みたい。たとえブラームスの作品でなかったとしても無名の誰かの真作だ。
「正規の教育」
難解ここに極まるという表現がふさわしい。「正規の教育とは何か」という問いに正確に答えることは難しい。感覚的な話で恐縮だがその多くは「正規の教育を受けていない」と用いられる気がする。
さてブラームスだ。おそらく彼の最初の教師は父親だ。つまり上記8だ。さらにコッセルとマルクセンという2人に師事した。これは上記7である。伝記を読む限りコッセルとマルクセンという2人の教師の教授法は、伝統的かつ体系的かつ徹底的だと読める。おそらくこれがブラームスにとっての「正規の教育か」なのだ。もっとも大きいのはおそらくは上記9の見よう見まねだ。これはおそらく独学と区別しにくい領域だと感じる。先輩の残した楽譜をただただむさぼり読むのはきっとここだ。
上記6は大きなヒントだ。
伝記を書こうと志し、対象の人物の偉さ偉大さを強調せねばならなくなった時、「正規の教育を受けていない」と加えることで手軽に主人公の苦学振りを仄めかすことが可能だ。上記の通り定義の甘いこの言葉は大変重宝だ。
「正規の教育」が最高の効果をもたらすとは限らないし、「最良の教育」と必ずしも一致しないことは確かである。
「正規の教育」って何だろう。
バッハのフーガに親しんでいると「鏡像フーガ」という言葉にぶつかる。「フーガの技法」BWV1080の第12曲が有名だ。チェロソナタ第1番の終楽章の元になった第13番も実は「鏡像フーガ」を形成する。
元になるフーガに対して音型ばかりか4声の声部までも上下逆さにしても音楽として破綻しないフーガのことだ。鏡に映したかのようだから鏡像というのだ。
対位法の極致だ。
さすがにブラームスには鏡像フーガは無い。でも鏡像を実感出来る場所が無いわけではない。
第2交響曲第4楽章だ。第一主題の第2句とでも申すべき場所。9小節目のヴァイオリンとヴィオラの音型をご記憶いただきたい。3つの連鎖する4度下降が特徴だ。この部分は当然再現部の中にも現われる。252小節目だ。チェロとヴィオラが3つの連鎖する4度上行の旋律を奏する。第一主題第2句を提示部と再現部で比較すると、まさに鏡像の関係になっている。ヴィオラはオーケストラ全パートの中で原型と鏡像両方とも演奏することが出来る唯一のパートになっている。この第2交響曲で学生オケデビュウのヴィオラ初心者だった私は、これに気がついて愕然とした。
「ブラームスって凄い」と。
それからほぼ1年半後にありついた第一交響曲の中にも鏡像があった。42小節目からヴァイオリンで提示される第一楽章第一主題の鏡像が、161小節目の小結尾主題においてチェロとヴィオラに現われるのだ。ひよっこの私には荷が重い曲だったが、これに気付く前と後では音が違っていたハズだ。
バッハのクラヴィーア作品の一つでニ短調BWV903を背負っている。「半音階的」というのがロマン派諸氏の琴線に触れたのか、バッハが忘れられていた時代にも、例外的に人気があったという。ブラームスの伝記の中でもブラームスのお気に入り作品の一つして言及されていることが多い。
「半音階的」というネーミングの元になったのが、後半のフーガの主題だ。「A-B-H-C」という具合に半音上昇が3回連続して立ち上がる。何と言ってもこれは「BACH」のスペルを並べ替えた代物だ。このあたりの曰くありげなところが、ロマン派好みだと思われる。3小節目には「E-F-Fis-G」も現れて半音の上行を強調するしかけになっている。
実はこの一連の半音進行を聴くと思い出す作品がある。「H-His-Cis-Cisis-Dis」と立ち上がるインテルメッツォop116-6には、この手の半音進行が入れ替わり立ち替わり現れる。拍子も同じ4分の3だ。2つ目のHisが、同時に鳴らされる「H」と7度でチャーミングに衝突するのを楽しむ音楽だ。もちろんこちらはフーガにはなっていないが、ブラームスのバッハラブの反映かもしれない。
10代からブラームスはバッハに親しんでいた。それは一生背負うブラームスのキャラクターの一部になった。
だから、10代でのコンサートで弾いた中にも「バッハのフーガ」が出てくる。「バッハのフーガ」はピアニストとしてのブラームスの重要なレパートリーでもある。楽友協会の音楽監督在任中の選曲にも「バッハのフーガ」が現われるし、クララのとの最後の対面でも「バッハのフーガ」が弾かれたとされている。
ところが、愛好家として残念なのは、数ある「バッハのフーガ」のうちのどれなのか、さっぱり明らかでないことが多いのだ。ブラームスの伝記は本人が日記を残していないこともあって、多くの親しい知人たちの証言の堆積と言ってもいい。「バッハのフーガ」が弾かれたことを証言する知人の多くが、具体的にどの作品かに言及していないと思われる。BWV番号という便利なものが無かったことが大きい。最近不備も指摘されるBWV番号だが、膨大なバッハ作品の固体識別への寄与は計り知れない。弾かれた作品が「バッハのフーガだな」とまでは判っても「どれ」と断ずるのは相当難しいのだと思う。
さらにクラヴィーア用のフーガばかりでなくオルガン用のフーガもピアノで弾かれた可能性もあるのだから固体特定は輪をかけて難しくなる。
「半音階的幻想曲とフーガ」はむしろ貴重な例外と解するべきかもしれない。
「フーガ」の正確な定義など、どこかのサイトをあたってくれと申し上げたい。わしゃ知らん。定義はわからん癖に、楽曲の中にフーガっぽいところが現れると「あ、フーガっぽい」と感じる。おかしなことだ。
世の中では「対位法の極致」と呼ばれているそうだ。だから対位法を極めた人は、フーガを書きたくなるのだと思う。ブラームスをしんがりに従えてドイツ3大Bを構成するバッハとベートーベンもそうらしい。創作生活の土壇場に至って、神懸かったフーガを書いている。バッハはBWVナンバーのしんがり「フーガの技法」だ。最近の研究ではどうも最後の作品ではないらしい。ベートーベーンには弦楽四重奏曲第13番のフィナーレとして書かれた「大フーガ」がある。よく言えば神懸かりで悪く言うと狂気かもしれない。楽想がフーガを求めているというより、作者がフーガで実験したいという気配さえ感じてしまう。
ブラームスとて、フーガを軽視してはいない。していはいないが、フーガそのものが作曲の目的であることは少ない。作品番号付きの楽曲では、タイトルに「フーガ」の文字が躍るのは作品24の「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」ただ一つだったハズ
ピアノ協奏曲第1番第3楽章、ピアノ五重奏曲第3楽章を筆頭に、器楽作品の中に「フーガっぽさ」を感じさせる瞬間も多い。わき上がった楽想を作品に転化する際のツールにフーガの手法が使われることはあっても、獲得済みの技法の開示が目的とはならない。
フーガを使わねばならない必然性といつもセットになっている。ブラームス大好き。
ブラームスが過ごした19世紀後半はいわゆる「バッハルネサンス」で、バッハの功績が再評価された時代なのだが、バッハの時代に主流だった楽器が衰退していたケースもある。バッハ時代のクラヴィーアは、本来「チェンバロ」のはずだが、構わずピアノで演奏された。ブラームスは幼いころからバッハをたたきこまれたが、クラヴィーア曲の演奏はピアノだった。
はたしてブラームスはチェンバロを弾けたのか?これは興味深い疑問だ。
その疑問への答えは「YES」だと思っている。その根拠は、バッハの宗教作品の通奏低音に「オルガンの代わりにチェンバロは可能か」と当代の専門家に発した質問だ。ブラームスは現実問題としてカンタータの通奏低音にチェンバロを想定していた。少なくとも「ピアノはもってのほか」という認識だったと推測する。ジンクアカデミー指揮者としてバッハのカンタータを頻繁に取り上げたブラームスは解釈と楽器の起用をとことん考えていたはずである。
チェンバロについての相当な情報なしに先の質問が発せられるハズはない。ブラームスはクララがピアノで弾くバッハに心酔していた一方で、チェンバロも弾けたと想像する。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う、働き方改革により我が勤務先が従業員に在宅勤務を命じたのは今年の3月だった。だからもう半年が経過したことになる。
オフィスにいるのと同じ環境が自宅でも保証されている。決算処理、会議、各種支払いなど従来出社必須と思えた業務があっさり在宅でこなせた。目から鱗の連続だった。以下そうした変化を列挙しておく。
時間とお金の使い方が完全に変わってしまった感じがする。一方で母は元気だ。基本的に家族が家にいると安心するということだ。これだけ見てもアパレルや外食などの業界の苦労がわかる。
「わが片足墓穴に入りぬ」というカンタータ156番だ。片足を墓穴にとは相当なピンチだ。1723年1月23日に初演されたと目される。
この第1曲のシンフォニアが、チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調の第二楽章と同じ音楽だ。バッハお得意のパロディーと解される。つまり恋するガリアの原曲ということになる。
編成は弦楽合奏とオーボエだ。オーボエで吹かれてピッタリくるわけだ。
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