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2020年9月 9日 (水)

偽作呼ばわり

「偽作」とはあまり好きな言葉ではない。勢いで私自身が使ってしまうこともあるが気持ちのいいモノではない。

現在となっては無名となってしまった作曲家Aさんがいたとする。そのAさんの作品Bが長い年月の中でヨハン・セバスチャン・バッハの作品だと思われてきたとしよう。大作曲家バッハには膨大な研究の厚みがある。その成果の一つとして、ある日バッハの作品と思われていた「作品B」が、実はバッハの手によるものではなく作曲家Aさんの作品であったとこが証明されたとする。

このとき以降「作品B」は偽作であるとされる。

長らくバッハ作品だと思われてきたことについて、作曲家であるAさんに責任はない。後世の手違いが原因だ。そして実直な研究の結果、真の作曲者が突き止められたことは喜ばしい。けれどもその結果作品Bに奉られる「偽作」という言葉は残念でならない。文字数の節約など考えずに「バッハの作品では無かった」とだけ表現すればよい。作品が厳然として存在するのだから偽作呼ばわりは変だ。

「偽作」という言葉にはある種の方向性を感じてしまう。上から目線さえ疑われる。しかもそれはバッハから作曲家Aへの上から目線ではなく、「偽作」という言葉を使う者から作曲家Aさんへの上から目線だ。その作品Bの出来映えがバッハの作品群に比べどれほど劣っていようとも、ハッキリ言って失礼な話だし大きなお世話だ。事実は「作品Bは作曲家Aさんの真作」だということに尽きる。わざわざ「バッハの偽作だ」というのは、筋違いだと感じる。後世の混乱のツケがバッハや作曲家Aさんの2人にまわされている感じだ。

イ長調ピアノ三重奏曲は20世紀に発見されて以来、ブラームスの作品だという説がある。一方でマッコークルは「怪しげ」という判断だ。私も偽作という言葉は慎みたい。たとえブラームスの作品でなかったとしても無名の誰かの真作だ。

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