ドイツ農民戦争
1524年南部のシュヴァーベン地方で始まった農民反乱。宗教改革に力を得てという側面もあるらしい。うーんと単純化するなら「聖職者の独身が聖書に根拠がないということで、聖職者が結婚できるなら、聖書に書いていない年貢はどうするねん?」という姿勢だ。
当初農民に同情的だったルターは、反乱が過激化するにつれて鎮圧に同意するようになる。農民の落胆は大きく、これをきっかけにプロテスタントに見切りをつけた農民も多かった。今なお南部にカトリックが多い理由をここに求める研究者もいるくらいだという。
1648年ウェストファリア条約によるカトリックとプロテスタントの色分けは、単にこうした結果の追認に過ぎない。
いつも楽しく読んでいます。冒頭「何部収」は、「南部州」?
投稿: プータロ | 2020年10月21日 (水) 11時23分