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このほど中古CDショップをうろついていて、興味深いCDを購入した。
バッハの残したカンタータのうちクリスマス関連の作品を集めた4枚組だ。収録は以下の通り。
指揮はヘルムート・リリンクさんで、テノールにペーター・シュライヤーがいる。つまり古い録音だということだけれどとても満足だ。どの曲もフィナーレが「さあみなさんご一緒に」と言わんばかりのシンプルなコーラスになっている。
これで700円だからたまらん
いくらなんでも、本企画にぴったりのCDが出ているはずもなく、仕方なく手持ちの音源を編集してプライヴェートCDを作成した。ジャケットまで手製である。
さすがにクリスマスそのものという作品は多くない。クリスマスっぽく聴ければよしとばかりに少々強引に集めてみたから説明が要る。
オリジナルは「Vom Himmel hoch,da komm ich her」という。由緒正しきルター作のクリスマス用コラールだ。
ブクステフーデとテレマンには引用がない。
クリスマスコラールの決定版という位置づけと申してよい。その証拠にバッハのクリスマスオラトリオには何度となく登場する。日本での喧騒は12月25日で終わるが、ドイツでは年明け1月6日までがクリスマスで、ツリーは6日までは維持される。
BWV248を背負うバッハの代表作。1734年の完成とされている。
クリスマスオラトリオと一括で呼びならわされてはいるが、事実上6曲の教会カンタータの集合体とみなし得る。全6部の合計演奏時間は3時間弱だ。我が家のCDは3枚組になっている。1回の演奏会で全てというのはいささかもたれる。1日で全部通して演奏されることが前提になっているわけではない。初演ではキリストのお誕生日つまりクリスマスから翌年の1月6日までに6日に分けて途切れ途切れに演奏されたらしい。
1863年5月にウイーンのジンクアカデミーの指揮者に就任したブラームスは、翌年3月の演奏会で、このオラトリオから1,2,4,6部を抜粋して演奏している。何とこの演奏がクリスマスオラトリオのウイーン初演であった。ブラームス在職中のジンクアカデミーは、メンデルスゾーンによるマタイ受難曲の蘇演を契機に始まったバッハ再評価運動の推進役となった。ブラームスがその重要な牽引役だったことは言うまでもない。
クリスマスネタではあるけれど、どうにも渋い話題である。
CDのタイトル。CDオリジナルは「Luthers weihnachtslieder」という。
ルター作曲のコラールのうち、クリスマス関連の作品を、同時代の作曲家たちがアレンジしたものを集めたCDである。クリアなコンセプトですがすがしい。
作曲家たちを登場順に列挙しておく。
それにしても演奏者だ。Winter、Siedlaczek、Kebowは歌手たちとしてすんなりだが、末尾のSimone Eckertさんは指揮者だろうか。その肩書「Hamburger Ratsmusik」が気になる。ハンブルグ市音楽監督なのかもしれない。
ミュンヘンの聖ボニファティス教会で収録されたオルガンによるクリスマス曲集を買い求めた。ブラームスの「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122から8番が採用されているだけで大して確認もせず即買いだった。
中身を見てみた。
聴いてみて驚いた。ブラームスより後には、20世紀の作曲家の作品が並んでいる。11番目「目覚めよ呼ぶ声がきこえ」がある。繊細だ。ほんとに美しい。21番目はバーバーの作品「きよしこの夜」の主題によるコラール前奏曲だ。
そしてそして最大のお気に入りは16番「ベツレヘム」である。「キリストの生誕」と題された3つの曲集のフィナーレだ。ラスト近くに「きよしこの夜」が現れる。おそらくキリスト生誕の瞬間の描写だ。これには参った。心洗われるばかりの「きよしこの夜」だ。
クリスマス関連の作品を集めたCDなんぞ珍しくもない。単一の作曲家の作品に限るという制約を設けても、教会オルガニストならそこそこの作品がそろってしまうものだ。バッハ、ブクステフーデ、テレマン、プレトリウス、シュッツ、パッヘルベルなど、オルガン作品とカンタータをざっと探すだけでCD1枚分くらいは苦労なく見つかる。
本日の1枚は、バッハ、テレマン、ブクステフーデのクリスマスカンタータを1枚に収めたCD。
見ての通り、バッハを中央に据えたシンメトリーな収録。我がブログ的にはパッヘルベルがいないのが惜しい。
ブラームスの「2つの歌曲op91」は、ヨアヒムの長男出生を祝して作曲された。独唱をアルトと指定しているほか、伴奏にはピアノに加えてヴィオラが参加するという珍しさだ。
そのうちの2番「宗教的な子守歌」は、古いクリスマスの子もり歌「Joseph,Lieber Joseph mein」を定旋律として採用しヴィオラに受け持たせる一方、アルト独唱にはブラームス自らの旋律を歌わせるという凝った構造になっている。
このほど興味深いCDを入手した。
クリスマスにちなんだ作品が、アンサンブルあり合唱ありでいろいろ取り混ぜられ13曲が収められている中の7曲目が、「Joseph,Lieber Joseph mein」だった。店頭で発見して、半信半疑で購入し、帰宅して再生したら思った通りだった。ブラームスのop91-2冒頭でヴィオラが奏でる旋律そのままが清らかなコーラスでが現れた。知識として「古いクリスマスソング」だとはわかっていたが、こうして実際のCDに収められているのを手に取ると、ひときわ味わい深い。
BCJとは「Bach Colllegium Japan」の略だ。日本を代表する古楽アンサンブル。バッハのカンタータ全集はとくに名高い。リーダーの鈴木雅明先生はオルガンの名手としても名高い。我が家にはいくつかCDもある。
バッハを中心に据えたバロック特集を延々と展開してきているのに、BCJには今まで言及がなかった。私ごときが取り上げなくてもネット上での評価は安定している。
ところが、彼らのクリスマスキャロル集には何としても触れておきたい。演奏もさることながら、選曲と言い、時折オルガンのソロを挟みながらの配置と言い、何から何まで素晴らしい。いくつかのキャロルが日本語で歌われているのもうれしい。
昨日に続きベートーヴェンの話題。
ブログ「ブラームスの辞書」は2033年5月7日ブラームスの生誕200年の日まで、途切れずに記事を更新し続けることを目的にしている。あと13年、4524本の記事をひねり出さねばならない。
ベートーヴェンは、ブラームスにとっての位置づけの大きさや高さに比して、取り上げた回数が極端に少なかった。中学高校でベートーヴェンに没頭していたにもかかわらず、半ば意識的にベートーヴェンを避けてきた。
昨今のコロナ禍の影響がこんなところにも出てきた。感染拡大によって定着した在宅勤務により、バッハ→グールド→ベートーヴェンという順序でピアノ作品を聴く流れになってきた。高校時代にのめりこんだピアノソナタを今懐かしく聴いている。32曲どれを聴いても懐かしく感じる。同時に10代の自分がベートーヴェンのピアノソナタの何に惹かれていたのか思い出せずに苦笑している。
大学2年以降ブラームスにのめり込み、そこからドヴォルザーク、バッハ、ドイツバロックへと興味を広げた末、還暦を過ぎてまたベートーヴェンを聞きなおすというのも悪くない。
ブログ記事確保の意味でも、この先きっと、楽聖ベートーヴェンの力を借りる日が来る。
コロナウイルスの感染拡大さえなければ、今年はこの話題で盛り上がっていたはずだ。我がブログはブラームスを主人公としているだけあって、ベートーヴェン先生の位置づけは低くない。がしかし本日この記事を入れて5727本も堆積した記事の中でカテゴリー「304ベートーヴェン」に属する記事はまだ48本しかない。500に迫るバッハはもちろん、300に迫るドヴォルザークにも遠く及ばない。
いやむしろ、ベートーヴェンを48回しか取り上げずに5727本積み上げたことが奇跡的であると捉えなおすべきだろう。
本日私ごときが取り上げずとも、世界中で話題になっている。お誕生日おめでとう。
2014年発売のRIAS KAMMERCHOR演奏による「Stille Nacht...」とタイトルされたCD。音源は1972年から1986年にかけてなのだがリマスタリングされたのが2014年だという。アカペラ基本ながら、ときどきコントラバスが加わるという渋い編成だ。テキストはドイツ語かラテン語。
構成は以下の5部分からなる。
いやはや興味深い。まずは落ち着いて順序だてて説明する。一部を構成する作曲家は下記の通り。
バッハやヘンデルに先行するドイツの作曲家たち。ブラームスの目尻が下がるメンツだ。
第2部ロマン派の部にハインリヒヘルツォーゲンベルクがいた。ライプチヒバッハ協会の設立発起人の一人なのだが、作品にについてブラームスはダメ出しの連発で、なかなかCDにありつけなかったがこんなところでとうとう発見だ。
とりわけ楽しい3部。フランス、オランダ、ポーランド、スウエーデン、ユーゴスラヴィア、スペイン、スイスの民謡を1937年に編曲したもの。
20世紀の作品が9曲続いた最後に大定番の「きよしこの夜」がおかれているのだが、編曲者を見て驚いた。オイゼビウス・マンディチェフスキーだ。ブラームスの弟子。ウィーン楽友協会の司書を務めた音楽家で作曲家でもあった。
ヘルツォーゲンベルクとマンディチェフスキー、ブラームスのお友達が2人も紛れ込んでいた。
ご紹介するのは2枚。
まずは左側から。全てブクステフーデ作のオルガンカンタータ、合唱の間にオルガン独奏がはさまれる。「In Dolci Jubilo」が据えられる。カンタータにしろ合唱にしろ同曲がちりばめられる。
そして右側はずばりタイトルが「In Dolci Jubilo」になっている。副題は「ブクステフーデと仲間たちによるクリスマス音楽」とでも解されよう。
いやはや華麗だ。ハンザ都市リューベックの栄光を反映したメンツ。すべてみなオルガンの巨匠でもある。侍降節からクリスマスを経て新年に至る流れが上記8名の15曲でトレースされる仕組みである。その頂点10曲目でブクスデフーデの「In Dolci Jubilo」が置かれている。
テレマンのカンタータを収めたCDを入手した。タイトルが「Gottesdienst」となっている。「礼拝」のことだ。教会暦上の行事用に作曲されたカンタータ集という触れ込みだ。バッハが残したおよそ200の教会カンタータを、そうしたノリで収録したCDはショップ店頭にあふれているのだが、テレマンとなると珍しい。
4枚組をさっそく入手して聞いてみた。
このうちのディスク1が、クリスマス関連のカンタータ集になっている、待降節からクリスマスを経て、公現祭に至る流れを作品でトレースしている。
いやあ楽しい。
3度あるのだ。まったくその通りだ。お気に入りのヴォーカルアンサンブル「Singer pur」のCDのことだ。すでに「SOS」「Letztes Gluck」の2つを絶賛する記事を書いたが今日はその第3弾。「Drei Schiffe sah ich segeln nach Bethlehem」というCD。
ドイツのクリスマスキャロルを集めたアルバムだが。事実上「クリスマス関連民謡集」という体裁になっている。最も古い曲で16世紀のものまである。編曲が巧妙なのは今までと一緒。男性5名にソプラノ1という一見アンバランスな編成から、息を呑むアンサンブルがこれでもかこれでもかと繰り出される。日本でおなじみのクリスマスソングもあれば初耳もある。ブラームスの「49のドイツ民謡集」WoO33と一致するものもある。
クリスマスキャロルであることを忘れて単に彼らの絶妙なアンサンブルを浴びるという目的で聴くのも悪くない。
バンベルク出身の5人姉妹によるヴォーカルユニットの名前だ。メンバーは以下の通り。
Tschuschkeさんちのお嬢さんたちである。
彼女たちのCDを店頭で手に取って吸い込まれるように購入した。「Adventslieder」(待降節の歌)というタイトル通り、待降節をテーマにした古今の歌が、女声五重唱で次々と歌われる。既存の賛美歌を題材にミヒャエル・プレトリウスあたりから現代の作曲家まで総出で編曲した歌集だ。
驚くべきは9曲目に鎮座する「Es kommt ein schiff,geladen」だ。編曲者はヘルムート・ヴァルヒャである。 言わずと知れたオルガンの巨匠だ。
オリジナルは「Gottes Sohn ist kommen」という。クリスマスを待つ間のコラール。
コラダス分類では「12」この二人が採用しているというパターンは多い。
オリジナルでは「Nun komm,der Heiden Heiland」という。
惜しくもテレマンには引用がない。
クリスマスを待つ待降節用のコラール。
バッハの声楽作品に深く立ち入るとき、キリスト教とりわけプロテスタントの知識は必携と化す。わがブログでの言及が器楽に厚いのは、そこがネックになっているからだ。バッハに限らずバロック時代におけるキリスト教の音楽への影響は、現代人、特に我々日本人の想像を軽々と超えていると心得ていい。
人々のもろもろの行動や、イベントが教会歴の下敷きの上になりたっていた。イエスの生涯を1年になぞらえるという趣旨とみていい。
だいたいこんな感じ。このほかに「聖人の日」がある。
教会歴は待降節から立ち上がる。12月25日から数えて4つ前の日曜日だから移動祝日である。11月29日前後となる。この時点で暦はリセットされる。三位一体後第27日曜日が、待降節より後になる場合、なかったことになるのはそのせいだ。
ドイツのあちこちの街でクリスマスマーケットが開かれ、わくわくとクリスマスを待つ4週間が始まるのだが、今年ばかりは新型コロナウイルスのために中止となるケースが多いと聞く。だからせめてブログ「ブラームスの辞書」上でクリスマス特集を開催する。
バッハのBWV140として名高い「目覚めよと呼ぶ声がきこえ」は古来親しまれていると見えて、これを題材に有名無名さまざまな作曲家たちがオルガンコラールを仕立てている。
バッハ以降最大のオルガン作曲家と目されるマックス・レーガーにもあった。「30の小さなコラール前奏曲」op135の25番目だ。
心洗う一品。
バッハのカンタータ「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140の初演日が、とても珍しい三位一体節第27の主日だった周辺を調べて興味深いCDを入手した。
ドイツ語原文で「Wachet auf,ruft uns die Stimme」というカンタータをブクステフーデも作っていた。「BUXWV100」と「BUXWV101」の2作だ。後者には偽作説も取り沙汰されている。
バッハのBWV140は、下記の7曲からなりたつ。
バッハの構成からレチタティーヴォとアリアを除いた形だ。
ブクステフーデがリューベックのマリア教会のオルガニストだった時代に演奏されたものと思われる。1668年から1707年の在任中、復活祭が3月26日以前だった年は、4回だけだ。1674年、1690年、1693年、1704年である。このうちのいずれかまたはすべてで演奏されていた可能性が高い。
BWV645はコラール「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」をバッハ自身がオルガン独奏用に編曲したものだ。いわゆるシュプラーコラールの中に含まれる。それをブゾーニがピアノ独奏用に編曲している。ブゾーニ先生についてはシャコンヌのあられもない編曲を知っているから、怖いもの見たさではあったが、これが意外と普通。
我が家にあるのはペーター・レーゼルのCDだ。ブラームスラブのレーゼルさんということもあって安心して聴ける。
カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」の白眉は第4曲のコラールにある。編成は、独唱テノールに第一第二の両ヴァイオリンにヴィオラと通奏低音が付き従う形。弦楽三部と通奏低音を伴奏に従えてと申すよりもむしろトリオソナタだ。
第一第二のヴァイオリンとヴィオラは全74小節を貫いてユニゾンとされる。
上記はベーレンライター社から刊行されている新バッハ全集だが、ハ音記号で記譜されたパートには、両ヴァイオリンまで併記されている。この状態が最初から最後まで一貫して維持される。だからご覧の通り、楽譜の見てくれはトリオとなる。事実上3パート合同の弦楽器パートは、ヴィオラ御用達のハ音記号なのだが、C線を必要とする音は巧妙に回避されている。
理屈は邪魔だ。B音のアウフタクトから深々とえぐって立ち上がる旋律の色艶は比類がない。主旋律として表舞台に出たかと思えば、テノール独唱の脇役に引きこもる。その間、力強いユニソンが一瞬たりとも崩れることはない。
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