玄人筋
バッハの受容史を語るとき、「バッハの死後、一般聴衆からは忘れられていた」とされている。当時は息子たちこそが「バッハ」とされていたのだと。「一般聴衆からは」というところが強調されておらず、「忘れられていた」が強調されているニュアンスである。
だから、つまり忘れていない人々もいたということだ。誰が忘れていなかったのかというと、音楽の専門家たちの間では評価されていたということだ。一定の見識をもった音楽家・玄人筋はその価値を認めていたという。プロの音楽家はもちろん見識あるアマチュアも含まれている。その層が律儀に写譜をしたおかげで伝承されている作品も少なくない。
ウィーンの貴族ヴァンズヴィーデン男爵がその好例だ。彼はバッハの価値を認めていたばかりか、その作品を演奏する室内オーケストラまで組織していたという。モーツアルトは父に連れられれ8歳で訪問したロンドンで、バッハの息子ヨハンクリスチャンの音楽に接したことは確実だが、父ヨハンセバスチャンを知ったのはおそらくヴァンズヴィーデン男爵の屋敷が最初だったと目される。モーツアルトは男爵家の室内オーケストラために「平均律クラヴィーア曲集」の中からフーガいくつかを選んで編曲している。
本日はモーツアルトさんのお誕生日。
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