ケンペル
ウエストファーレン・レムゴ生まれの医師。鎖国真っ只中の元禄時代に日本を訪れて、オランダ商館医師として2度に亘って江戸に赴き、将軍綱吉と謁見した。彼の死後出版された「日本誌」は英語版、フランス語版、ドイツ語版ともに広く人々に読まれた。
帰国後1698年にデトモルト侯の侍医として召されて1716年に没した。彼の遺品は英国の収集家の手に渡ったが、一部の日常品はそのままデトモルトの宮殿に残されて現在に至っている。
ブラームスは1857年から1859年までの3年間毎年9月から3ヶ月間デトモルトの宮廷に勤務した。合唱団の指導や貴婦人たちへのピアノ教授がその職務だったが、比較的時間に余裕があったとされている。
だから、ブラームスがデトモルト宮所蔵のケンペルの遺品、日本の調度品や食器を見た可能性は排除できない。
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