ノーインジケーション
「No Indication」だ。バッハやヴィヴァルディに限らずバロック時代の作品を収めたCDのブックレットを眺めているとよく見かける。楽章ごとにトラックがあてがわれている中、楽章冒頭にテンポを指定する用語が配置されていないことがあるからだ。
ブラームスにおいては楽章冒頭に「Allegro」「Andante」など楽語が配置されるのが普通だ。むしろ必須でさえある。ベートーヴェンやモーツアルトにしても同様だ。
ところが、バロックになるとかなりな数の「無表示」が存在する。無表示とまでいかなくても、表示がテンポや表情の指定になっていないケースもある。「Allmande」「Corente」「Sarabando」など、舞曲名称だけでテンポ指定がない場合もある。各々の舞曲には慣習に由来する標準的なテンポがあり、その慣習から逸脱する場合に限って、テンポ用語が付与されるのかとも推測するが不可解。
思い当たることと言えば、バロック時代には作曲と演奏が未分化だったことだ。作曲家自身が演奏する場合、テンポ表示など書かなくてもわかるのだ。けれどもこの解釈は「それなら全部書かなければいい」という指摘に反論できない。
譜面をよくみれば非常識なテンポになるはずがないという類の確信の存在、いわば「音楽的な常識」が透けて見える。「コンチェルト」の体裁が「急緩急」の3楽章形式として確立して以降、テンポ表示はますます不要になった感がある。直感で申し訳ないが、コンチェルトの第一楽章に「無表示」が多い気がしている。
ブログ「ブラームスの辞書」としては無表示は困る。作曲家の意思表示としての音楽用語を分析することこそが、「ブラームスの辞書」という発想の根源だからだ。無表示はお手上げとも映るが、無表示の出現状況を作曲家別、曲種別に集計すると何かわかるかもしれないとは思うが未着手である。
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