たいそうなコストダウン
本場イタリアでは、当初コンチェルトの演奏にかける人員は最少だった。独奏ヴァイオリン1本の場合、トゥッティ側はヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、チェンバロ1合計6.ソロを入れても7名だ。ヴィヴァルディは、トゥッティ側に増強の必要がある場合そう記しているから、逆に申せば何も書いていなければ最小のメンツで演奏されることを認めていたことになる。
それでも音楽好きの領主が、自前の楽団で演奏させようと欲すれば、7名の楽士が必要となる。お金に換算すれば7人分の人件費となる。
バッハの時代、現在のドイツの領域は、均分相続の伝統のせいもあり、国が兄弟の数だけ細分化されていくから小国ばかりになる。土地が狭いだけならともかく、たいていの場合お金もないのだ。日本で申す都道府県ほどの広さもない小国が、自前の宮廷楽団なんぞはなから無理な相談である。
1708年からバッハが奉職していたワイマール公国もそうした小国の一つだ。ここの王子様はオランダに留学していた。元々王子はイタリア音楽にぞっこんで、コンチェルトまで作曲するほどだ。加えてアムステルダムには当時有名な出版社があり、流行の最先端にあったイタリアの協奏曲集を手掛けていた。とくにヴィヴァルディの「調和の霊感」はベストセラー状態であった。
留学中の王子は、最先端のイタリアンコンチェルトにほれ込んだ。帰国してもその熱意は収まらず、何とか聞きたいと考えた。CDもDVDもない時代だ。楽譜だけでは飽き足らないとして不自然ではない。ましてや自作のコンチェルトも聞いてみたいのだ。ところが小国ワイマールには楽士を雇おうにも先立つものがない。思案の結果が、コンチェルトもろとも独奏チェンバロに転写することだ。
そこに若きバッハがいた幸運を後世の愛好家は噛み締めるべきだ。編曲ばかりか演奏までこなしてしまうバッハを雇用しているのだから、楽士7名の人件費は単純計算で7分の1で収まる。これを大コストダウンと言わずになんというか。
かくして王子はバッハにイタリアンコンチェルトの編曲を委嘱する。文字通り次から次だ。ヴィヴァルディ、トレッリ、マルチェルロらのヴァイオリン協奏曲が次々と「無伴奏チェンバロ協奏曲」に転写されたばかりか王子本人の作品まで含まれていた。誰からの転写でもないバッハオリジナルの「イタリア協奏曲」BWV971に続くBWV972から987までの一連の編曲作品はこうして生まれた。
バッハの旺盛な研究意欲の賜物などと位置付けると本質を見誤る。バッハはイタリアンコンチェルトのエッセンスをちゃっかり習得したのはむしろコストダウンプロジェクトの副産物に違いない。
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