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2021年3月31日 (水)

例外としてのブラ1

本日に限って「ブラ1」は、ブラームスの第一交響曲ではなく、ブランデンブルク協奏曲の第一番だ。当時の慣習で曲集を構成する楽曲の数は6と決まっているから、ブランデンブルク協奏が6曲なのは慣習通りである。

ところが、この6曲には長調の曲ばかりが並ぶ上に、1番2番がヘ長調、3番4番がト長調という具合に調性の選択がバランスを欠いている。

そうした6曲のうちとりわけ1番が殊更浮き上がる。この1番だけが、4つの楽章を持つ。バッハが奉職していたケーテンの宮廷楽団で演奏ができない編成になっている。

さらに申せばメヌエットをフィナーレに据える奇抜な配置だ。ほかの6曲に類を見ない4楽章制を採用して、フィナーレに何をもってくるか思えば異例のメヌエットだ。ソナタ大事の古典派目線で申せば、いっそメヌエットを3楽章にしてくれればおさまりがいいのだが。大好きな3楽章がフィナーレにいてくれればもっと好きになっていたに違いない。

2021年3月30日 (火)

1人6役

ブランデンブルク協奏曲は、バッハの人気作品の一つだ。かなりな種類のCDが出ている。特異な編成の6番がお気に入りだと何度も書いてきた。

さてここに、「ルコンセールドナシオン」のCDがある。指揮はジョルディサヴァール。1992年の発売。珍しいのは6番の独奏者だ。2本のヴィオラ奏者を必要とするのだが、うち一人がファビオビオンディになっている。お気に入りのヴァイオリニストなのだが、ここではヴィオラを聞かせてくれるということだ。てことは、ブランデンブルク協奏曲の全6曲すべてにソリストとして出番があるということになる。3番を「独奏ヴァイオリン」と呼ぶかどうかには議論もあろうが、他の4曲ではソリストだ。1番ではピッコロヴァイオリンを操っている。

どうだろう。一人のヴァイオリニストが1番から5番まですべてに独奏を担当し、さらに6番ではヴィオラに持ち替えてという1人6役はあまり見かけない気がする。

首までどっぷりのビオンディ好きの私、脳内ビオンディ補正がかかるせいか、ビオンディの6番がすっかり気に入っている。

 

 

 

 

2021年3月29日 (月)

レーガー編曲

レーガーとはマックスレーガーだ。ブラームスの「4つの厳粛な歌」のピアノ編曲など、ブラームスに親しむ過程でしばしば話題になる。編曲の素材としてはバッハも無視できない。ブランデンブルク協奏曲全6曲をピアノデュオ用に編曲している。

レコードやCDのない時代、有名作品を家庭で手軽に再現となるとピアノ編曲が現実的だったと思われる。

手許にCDがあるので、聴いてみる。作業のBGMとしては悪くないが、音色が単調で退屈だ。トランペットのハイノートなど、苦労してトランペットが出すから楽しいのであって、ピアノだとあっけない感じがする。

一方大好きな6番は、やけに品のいいセレナーデ感が充満する。編成が渋いとか、2本のヴィオラが絡み合うやりとりなど、さっぱり抜け落ちて、午後のカフェさながらのゆったり感が勝ってくる。

ともあれピアノデュオ用だというのに先のストラダール版よりもずっとシンプルな響きで好感が持てる。テクの披露が目的でない感じ。

 

 

 

2021年3月28日 (日)

2枚組の効果

記事「ストラダール」で話題にしたCDのお話。

ブランデンブルク協奏曲のピアノ独奏編曲盤だ。これだけで相当珍しい。細かい内容の話をすると2枚組になっている。ブランデンブルク協奏曲全6曲のうち5番までがディスク1に収録されているからディスク2は6番から始まる。6番大好きの私からすれば大歓迎の割り付けだが、こうなると6番の後には広大な余白ができる。

この余白に収められているのもバッハ作品のピアノ編曲で、元のバッハ作品は下記の通りだ。

  1. チェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052
  2. チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056
  3. オルガン協奏曲第2番イ短調BWV593 (ヴィヴァルディ:op3-8)
  4. オルガン協奏曲第4番ハ長調BWV595
  5. オルガン協奏曲第5番ニ短調BWV596 (ヴィヴァルディop3-11)

上記1番と2番はチェンバロ独奏に弦楽器の総奏がつくのだが、ソロに加えて総奏部分もろともピアノ独奏に編曲するというコンセプトだがら「無伴奏チェンバロ協奏曲」のピアノ転写だ。ストラダールの編曲ではブランデンブルクの6番はおとなしいほうで、ディスク2は進むほどに超絶技巧になっていく。ブゾーニのシャコンヌピアノ編曲に感じた「大げさ感」が思い起こされる。

19世紀は、ピアノの時代。音楽の担い手が、宮廷や教会から市民に移っていく過程で、ピアノが家庭に浸透していく。おびただしい数のピアノ作品が生まれたことは周知の事実で古今東西さまざまのクラシック作品において、ピアノ編曲版には連弾を含めてかなりな需要があったには違いないが、これを弾きこなす層が本当にあったのか心配になる。ブラームスなら絶対に望まないはずの演奏効果。

 

 

2021年3月27日 (土)

ストラダール

August Stradal(1860-1930)は、チェコの作曲家ピアニストだ。ウィーン音楽院で1884年まで学んだ後、ワイマールにわたってリスト門下になった。年代から見てブラームスとウィーンで面識があった可能性がある。リストの高弟として有名で、のちに回想録まで書いている。さらに付け加えるなら他の作曲家の作品をピアノ用に編曲している。バッハ作品は100曲もある。

彼の手によるバッハ作曲「ブランデンブルク協奏曲」のピアノ版のCDを入手した。しかもそれは自動演奏のピアノつまり「MIDI」だ。

いやはや楽しい。記事「無伴奏チェンバロ協奏曲」で書いた通り、イタリアバロックの象徴であるコンチェルトをチェンバロ独奏に転写したバッハに興味をもっているから、すんなりはまる。ブランデンブルク協奏曲が、独奏楽器を取り囲む総奏もろともピアノに転写されてれているというコンセプトはBWV971に始まる「無伴奏チェンバロ協奏曲」と通じるものがある。

2枚組のディスク2冒頭に置かれた6番には驚いた。原曲は2本の独奏ヴィオラをガンバが支えるという古風なスタイルが売り。ストラダールはオクターブあげているから、始まってすぐ面食らう。気の利いたカフェで流れていても気づかないだろう。2本のヴィオラによる掛け合いが醍醐味なのだが、そうしたテイストは薄まる。

 

 

2021年3月26日 (金)

そもそもどうなっているのだろう

バッハのブランデンブルク協奏曲6曲。世の中何番が人気なのだろうか?

CDは大抵2枚組で全6曲がおさめられているから、どの曲もCDの種類は同数になっているはずで、それを人気のバロメーターにはできない。直感では5番あたりか。

私は断然、第6番変ロ長調だ。ヴィオラダブラッチェ2本の渋い独奏楽器、伴奏へのガンバの起用など、やけに特徴的だ。

とりわけ第二楽章が気に入っている。大学4年の頃、ヴィオラのレッスンで真剣に取り組んだころからはまっている。バッハ緩徐楽章の最高峰を形成すると確信している。

 

 

2021年3月25日 (木)

種々の楽器のための協奏曲集

オリジナルはフランス語「Concerts avec plusiurs insturments」と綴る。

バッハはブランデンブルク辺境伯へこの言葉を添えて6曲の協奏曲を献じた。就活の一環だったともささやかれているが、バッハの思いは「いろんな楽器を使ってみました」であった。

19世紀にはいって、バッハ復興が着々と進む中、フィリップ・シュピッタが登場する。バッハ研究の泰斗で、浩瀚な「バッハ伝」の著者であるばかりか、ブラームスの親友だ。

この人こそがこの6曲を「ブランデンブルク協奏曲」と命名したその人に他ならない。「種々の楽器のための協奏曲集」のままであったら、ここまで普及したかどうか疑問だ。CDショップ店頭でのオーラも低次元にとどまっていたことだろう。

 

2021年3月24日 (水)

ブランデンブルク協奏曲300年

バッハは就職活動の一環として6つの協奏曲をブランデンブルク辺境伯に献じた。世にいう「ブランデンブルク協奏曲」だ。自筆譜の表紙には自筆の献呈文がフランス語で添えられており、その日付が1721年3月24日となっている。だから今日は300年のメモリアアルデーだ。昨年末のベートーヴェンの生誕250年に比べれば世の中の扱いは小さかろう。本日このことに言及する人がどれほどいるのやら。ささやかなオリジナリティを発揮して明日から心ばかりの「ブランデンブルク協奏曲」特集を発信する。

 

2021年3月23日 (火)

BWV547

言うまい言うまいと思っていたが、こらえきれずに記事にする。バッハの前奏曲とフーガハ長調BWV547の話だ。後半のフーガがブラームスの第二交響曲の第4楽章に似ている。

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あちらはニ長調でこちらはハ長調だが、移動ドで読む限り一致している。拍子はどちらも2分の2だ。第二交響曲では音価が2倍に拡大されている。その後に続く連続する4度下降もなんだか怪しい。

この手の似ているネタは得てして偶然だ。だからお叱りも覚悟だ。誰かに言われるくらいなら自分で言っておきたいという因果な性格である。

 

 

2021年3月22日 (月)

BWV539

いわゆる「ドリアントッカータ」BWV538と、ブラームスが演奏した記録の残るBWV540の間に挟まれたBWV539は、解説書での扱いも小さく、気にもとめない作品だったが、インデックス作成の過程で聴きなおしてぎょっとした。「前奏曲とフーガ」のフーガの部分がどこかで聴いたことがある感じがした。それもそのはず無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001の第二楽章のフーガそのままだった。

オルガンで弾かれてなんの違和感もない。これを無伴奏ヴァイオリンでと思い立つバッハの着想がすごい。どちらがオリジナルだったにしろ凄いことだ。

2021年3月21日 (日)

リアライゼーション

ブラームスがバッハのカンタータ演奏の実績を積み上げたことは既に書いた。その中でBWV4「キリストは死の縄目につながれたり」が含まれている。「バッハ伝」の著者シュピッタは、同曲の演奏に際し、すでに演奏経験のあるブラームスからオルガンのパート譜の提供を受けた。1874年10月の書簡にそのことが書いてある。

通奏低音を受け持つオルガンのパート譜だ。バロック時代のしきたりに従えば、通奏低音には単音が記され、そこに付与された数字を見ながら、演奏者がアドリブで和音をさしはさむのだが、19世紀のロマン派の時代にあっては、もはや現実的ではなく、だれかがあらかじめ演奏すべき音を記した楽譜を使うことになる。本来アドリブで埋めるべき音を、あらかじめ楽譜に転写しておくことをリアライゼーションという。

シュピッタが所望したオルガンのパート譜には、ブラームスのリアライゼーションが施されていたということだ。シュピッタは同曲の演奏にあたりブラームスのリアライゼーションを採用したのだ。このときブラームスは41歳だが、バッハの校訂者、解釈者、演奏者としての位置づけが確立していた証拠だ。超一級のバッハ学者からリアライゼーションを所望されることの意味は大きくて深い。

ウィーン楽友協会に残されたブラームスの遺品には、「おお永遠の火、愛の源よ」BWV34のフルスコアがある。1875年1月10日の楽友協会コンサートのためにブラームスが準備したスコアだ。その最下段オルガンのパートのみブラームス自身の筆跡であることから、これがブラームスの手によるリアライゼーションだと考えられている。つまり、ブラームスはバッハのカンタータの演奏のたびに通奏低音としてのオルガンパートにリアライゼーションを施していた可能性が高い。

どこかにリアライゼーション・ブラームス版に準拠したCDはないものか。

本日バッハさんのお誕生日。

 

 

2021年3月20日 (土)

小フーガト短調

BWV578を背負う私のバッハ体験の原点だ。中学校の音楽の授業で習った。BWV542で同じト短調を共有する「幻想曲とフーガ」と区別するために「小フーガ」称される。

ピアノレッスンに通っていないほとんどの子供にとって初バッハになるハズだが、数あるバッハからなぜこの曲が選ばれているのか判然としない。なぜだかわからぬまま聴かされている気がする。パイプオルガン初体験でもある。「オルガン」と言われれば足踏みオルガンだと思い込んでいる子供も多かろう。

今しみじみ聴くといいなと思うけれど、何も知らぬ中学生にいきなり聴かせてもあんまりな気がする。このような鑑賞体験を巧みに利用し、JPOPやCMソングなどに取り入れれることが多いのは、「パッヘルベルのカノン」や「四季」と同様だ。

 

 

 

 

2021年3月19日 (金)

ちなみにレーガー

パッヘルベルについてもオルガンインデックス を作成した。作品番号体系の不備を何とか補っての作業だった。面白くて癖になる。ほかに出来る作曲家がいやしないか探した。テレマンはオルガン自由曲の数が少なくてつまらない。ブラームスもだ。オルガン自由曲の数がある程度まとまってくれないとモチベーションが保てない。それでいてそこそこCDが入手可能でないといけない。

バロックではないがレーガーで同じことをすると総演奏時間がえらいことになる。なんと6時間18分だ。バッハの5時間33分を悠々と超える。バッハ側はトリオ6曲を控除しているとはいえ、大したもんだ。8枚組かもしれぬ。

今日はレーガーさんのお誕生日だ。

 

 

 

 

2021年3月18日 (木)

混乱の源泉

BWV596は、ヴィヴァルディの調和の霊感op3-11をバッハ自らがオルガン独奏に編曲したものだ。ブラームスはこれを自ら筆写してまでクララにプレゼントしたのだが、バッハの長男フリーデマンの作品であると考えていた。

このほどそうした錯乱の原因が分かった。1774年頃のことだ。父ヨハン・ゼバスチャンの膨大な楽譜を相続した長男ヴィルヘルム・フリーデマンは、経済的な困窮から遺品楽譜の一部を売却して換金しようと企てた。買い手との交渉の中で、故意か過失か問題のBWV596を自作と位置付ける一方、自作のいくつかを父作とした。相続者本人のこの工作が世間の認識を左右し、同曲は長く「長男フリーデマン・バッハ作」とされてきた。

ブラームスは自ら筆写するほど気に入って、さらにクララにプレゼントまでしたのに、これを「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ」作であるとクララに申告していた。信じ切っていた証拠だ。

2021年3月17日 (水)

調和の霊感

ヴィヴァルディの合奏協奏曲集op3の通称だ。独奏楽器を異にする様々なコンチェルトの集合体である。このうちの11番、「2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲」ニ短調を学生時代に弾いた。ヴィオラで演奏に加わったことがある。

そしてバッハはまさにその作品3-11をオルガン協奏曲に編曲している。BWV596という番号まで与えられているのだ。20世紀に入ってからの研究の結果、バッハ本人の編曲であることが突き止められているが、19世紀には論争もあったようだ。ブラームスはこれを、長男のウイルヘルム・フリーデマン・バッハの手による物と考えていた節がある。

BWV596のブラームスによる筆写譜が現在に伝えられており、おそらく1854年かその翌年にブラームスからクララに贈られたものだ。「愛するクララへ、デュッセルドルフにてヨハネスより」と書かれた表紙には「フリーデマン・バッハ」と添えられているという。

ブラームスは1867年3月17日、ウィーンの楽友協会ホールでの彼自身のリサイタルで、この作品を弾いている。154年前の今日だ。

そしてこの貴重なブラームスの筆写譜は、現在ツヴィッカウにある。ロベルト・シューマンハウスの所蔵だという。1896年5月に逝去したクララの遺品に含まれていたということだ。クララはこの楽譜を40年以上大切に保管していたのだろう。そしてあくまでもあくまでもクララはロベルトの妻だから、ロベルト・シューマンハウスの所蔵になっているのだ。そこにブラームスの思いがどれほど込められていたとしても、シューマン夫妻の結婚生活14年の長さを遙かに超えて保管されていたとしても、クララはロベルトの妻だ。

ヴィヴァルディとブラームスの数少ない接点だが、ヴィヴァルディ、バッハ親子、シューマン夫妻そしてブラームス。この筆写譜には音楽史に名を残す巨星たち6名が関わっている。

 

2021年3月16日 (火)

四季は唐突か

19世紀後半のドイツ音楽界を2分した論争における両陣営の旗印が「標題音楽」と「絶対音楽」だったことはよく知られている。ブラームスは「絶対音楽」の側の首領格という位置づけ。19世紀後半に台頭した「標題音楽」の反対概念だ。「標題音楽」が台頭して来ることによって、初めて成立したのが「絶対音楽」だったように思える。バッハやベートーヴェンが自らの音楽を「絶対音楽」だと考えていたとは思えない。

ベートーヴェンの「田園交響曲」あたりを淵源とする「標題音楽」の流れはやがて交響詩に到達するし、ワーグナーの楽劇にしてもその系統上にあると思われる。私とて「モルダウ」は大好きだ。音楽作品に詞書の付与が当たり前になっていくという図式だ。

日本では初等教育からそうした史観にたった授業になっていることもあって、大衆の側の思い込みは強烈だ。困るのはヴィヴァルディの「四季」だ。田園交響曲以降に台頭したという前提と決定的な矛盾を引き起こす。孤高のヴィヴァルディと解さざるを得なくなる。「標題音楽の先取り」であるかのような。

そうではないのだ。ヴィヴァルディを含むバロック時代には、世の中の事象を音楽で描写することは一般的であった。名高い「四季」は精巧な「ワンオブゼム」だと受け止めねばならない。確かにバッハにはその傾向が希薄だ。それは差し引いてもビーバーには巧妙な猫の描写があるし、シュメルツァーには「カッコー」もある。テレマンは人気の「ガリヴァー旅行記」をヴァイオリン二重奏に転写した。

それら両方に「標題音楽」という表札を掲げようとするところに無理がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年3月15日 (月)

交響曲集「四季」

お隣中国では、物事を4つに分けて分類する思想あった。四神というそうだ。

  • 春、青、東、竜
  • 夏、朱、南、雀
  • 秋、白、西、虎
  • 冬、黒、北、亀

古来こうした組み合わせが申し合わせになっていた。思い当たる熟語も多い。「青春」「白虎隊」「北原白秋」「朱雀門」などが有名である。世の中の事象を抽象化して整理する独特の思想だ。相撲の土俵上四隅の房も確かこの方式だったと思う。

さてさて4つと言えばブラームスの交響曲である。ブラームスが四神思想を考慮したなどとはいくら私でも申し上げるつもりはない。他愛のないお遊びとして4つの交響曲を無理矢理四季にあてはめてみた。単なる思いつきである。

春は第2交響曲だ。春のキャピキャピ感は2番以外ではピタリと来ない。夏は第4交響曲だ。実はこれ苦肉の策。消去法だ。秋は黙って第3交響曲だ。これ以外の選択ではブログ炎上のキッカケになりかねない。残るは第1交響曲で、これが冬だ。第4楽章で春の息吹が感じられる。先の表にこの結果を当てはめる。

  • 春、青、東、竜、交響曲第2番ニ長調
  • 夏、朱、南、雀、交響曲第4番ホ短調 
  • 秋、白、西、虎、交響曲第3番ヘ長調
  • 冬、黒、北、亀、交響曲第1番ハ短調

こうすると冬を先頭に冬春夏秋で「CDEF」つまり「ドレミファ」になる。

日本の花札は12種類、各月に割り振られていて季節感がもう少し細かい。12番まであるジャンルがブラームスにあったら、トライしてたかもしれない。

 

 

2021年3月14日 (日)

組歌「四季」

知名度で申すなら、そりゃあヴィヴァルディにはかなわないが、瀧廉太郎にも四季がある。1900年に発表された組歌「四季」である。

  1. 納涼

上記の四部からなる。それぞれが春夏秋冬を表す。おそらくもっとも名高いのが「花」であろう。「春のうららの隅田川」と歌いだす。中学の音楽の時間に習った記憶がある。冬が雨ではなく雪になるところがイタリアとの違いだ。

2021年3月13日 (土)

op8-9

「創意とインヴェンションの試み」op8のうちの最初の4曲、いわゆる「四季」を除く8曲に焦点を当てた。そのうちの9番ニ短調がop8-9である。実は大のお気に入りだ。独奏はオーボエでもいいことになっている。オーボエで演奏した場合、かなりのハイテクが求められているという。ヴァイオリン独奏版はRV236で、オーボエならRV454になる。ここいらの複雑さを面倒と思うか醍醐味と思うかでヴィヴァルディ度が推し量れるというものだ。

いわくありげなシンコペーションの連続で立ち上げる第一楽章。モーツアルトの同じ調のピアノ協奏曲を思い出す。

我が家所有のCDは下記のとおり5種類しかない。「四季」は20種類くらいあるのに、この曲は5種類ということは、op8全体を録音せずに「四季」だけを取り上げている演奏家が多いということだ。四季はそれほど「ドル箱」ということだ。

  1. イムジチ アーヨ RV236
  2. イムジチ アゴスティーニ RV454
  3. イタリア合奏団 RV454
  4. ヨーロッパガランテ RV236
  5. アルテデラルコ RV454

これらのうちをヴァイオリン独奏で収録しているのは、上記1と4で、残りはオーボエ独奏だ。4のヴァイオリン独奏はもちろんビオンディだ。困った甲乙つけがたい。

 

 

2021年3月12日 (金)

四季の余韻

日本でほぼバロック音楽の代名詞状態となっている「四季」は、「創意とインベンションの試み」op8を構成する12曲のヴァイオリン協奏曲の最初の4曲だ。op8として12曲ひとまとめで出版しているというのに、知名度の落差たるや相当なものである。

op8の残り8曲を話題にする。

<5番変ホ長調「海の嵐」>作品10-1には、リコーダー向けの同名コンチェルトがある。打ち続く16分音符が嵐の描写であることが両者共通だ。シャープなタイトルのせいで割とポピュラーな方だ。

<6番ハ長調「喜び」>オリジナルでは「Il piacere」だ。喜びと和訳されている。四季各曲のように、具体的でないからこの曲のどこが「喜び」なのかわかりにくい。

<7番ニ短調「ピゼンデル氏のために」ザクセンのコンマス、ピゼンデルさんのことだ。

<8番ト短調>

<9番ニ短調>冒頭いきなり印象的なシンコペーションで始まるが、その後もずっとシンコペーションが続くほか、17小節以降の半音の連続も、スラーのかかり方はシンコペーションを示唆する。だから4分の3拍子がそこはかとなくぼかされる。実は大好きだ。独奏オーボエでも可とされている。

<10番変ロ長調「狩」>第二楽章はニ短調だ。変ロ長調に挟まれるニ短調は、なんだかロマン的で、ブラームスのピアノコンチェルトや弦楽六重奏を思い出す。

<11番ニ長調>

<12番ハ長調>これもまたオーボエ許可がある。

 

 

 

 

 

 

2021年3月11日 (木)

あれから10年

東日本大震災 から10年たった。

黙祷。

あの日から今日のこの記事まで一日たりとも更新が滞ることはなかった。感慨深い。

2021年3月10日 (水)

春のドッグレース

「四季」から「春」の第2楽章の演奏家による違いをテンポの観点から論じてみる。同楽章39小節、最後の小節はフェルマータだから除外するとして38小節。4分の3拍子だから114個の4分音符の堆積と見る。CDの演奏時間を実測して、60秒あたりの4音符の数つまり「MM値」を割り出す。試しに我が家のCDについて実測した結果を録音年順に列挙する。

CDの解説書記載のトラックの演奏時間とは別だ。次のトラックが始まるまでの無音の時間も入ってしまっているので、実測して補正したデータを使用する。

各々のCDでヴィオラ奏者の名前が不明なことが多いので、コンマスの名前をキーにする。各ログは以下の通りの構成とする。録音年、演奏時間、MM値、コンマス名。

  1. 1955 02分26秒27 46.8 Felix Ayo
  2. 1959 02分49秒33 40.5 Felix Ayo
  3. 1969 02分51秒14 40.0 Roberto Michelucci
  4. 1977 01分47秒18 63.9 Alice Harnoncourt
  5. 1982 02分39秒51 42.8 Pina Carmirelli
  6. 1982 02分10秒12 52.6 Piero Toso
  7. 1986 02分26秒43 46.8 Giovanni Gugliermo
  8. 1988 02分45秒62 41.2 Federico Agostini
  9. 1991 02分40秒12 42.8 Fabio Biondi
  10. 1992 02分09秒02 53.0 Giuliano Carmignola
  11. 1992 02分50秒58 40.0 Enrico Onofri
  12. 1995 02分55秒69 38.9 Mariana Sirbu
  13. 2001 02分05秒03 54.7 Fabio Biondi
  14. 2002 03分20秒49 34.2 Stefania Azzara
  15. 2004 02分15秒17 50.7 Janine Jansen
  16. 2014 02分30秒55 45.6 Federico Gugliermo

16種の平均は2分32秒MM=44.4となる。1番のアーヨはイムジチの初録音。史上初の「四季」の録音だと取沙汰されているモノラル盤。驚いたことに平均値に最も近い演奏だ。先頭がいきなり平均的演奏となっている。長く四季のスタンダードだったことと関係がありわせぬかと思っている。1959年のアーヨ盤はステレオ録音だ。ぐっと遅いテンポだ。

長く尊敬されてきた録音なのだが、話題の「犬」に関して申すと違和感もある。楽譜上に「他のパートから際立って」とあるにもかかわらず、周囲のパートに溶けている。犬が遠くにいる感じで、しかももやがかかっているかのようだ。

3番目のミケルッチもイムジチだが、そのあたりへの配慮が進んで聞こえ方は改善している。

4番目のアーノンクールは、古楽の先駆けなのだろうと思うのだが、異様に速い。速いだけならまだしも音がパサついている。イムジチとの落差は大きい。「古楽ってこうなんです」と言われれば仕方ないと納得させられていたかも。

5番目カルミレッリもまたイムジチ。イムジチ初のデジタル録音だったような。

9番ビオンディの「四季」がセンセーションを巻き起こしたことがここにも反映する。際立って個性的な犬の描写だ。

 

 

 

 

2021年3月 9日 (火)

sempre molto forte

ヴィヴァルディの「四季」から「春」の第二楽章の冒頭のヴィオラパートに「si deve suonare sempre forte,e strappate」と出てくる。「常に強く、他のパートから際立って」と解される。犬の吠える様子を描写するヴィオラへの指示だ。

この楽章、チェロバスは全休だ。総奏側のヴァイオリンは、付点を伴う音型で木の葉のささやき、独奏ヴァイオリンは眠る山羊飼を描写する。この両者にダイナミクスの指示はない中、ヴィオラにだけ「常に強く云々」と求めているということだ。つまりは「犬になれ」という強烈なメッセージである。「四季」全体の中でも異彩を放つ構成にヴィヴァルディの面目躍如たるものがある。

ヴィオラが目立つという点で「四季」随一の場所。独奏を受け持つヴァイオリニストの名前は必ずCDの説明書に明記されているのだが、ここのヴィオラを誰が弾いているかについてはあいまいなケースも目立つ。合奏に参加するヴィオラ奏者すべてが弾くことは間違いない。

2021年3月 8日 (月)

犬になりきる

大学3年の春だったと思う。オーケストラの団内アンサンブルでヴィヴァルディの四季から「春」を弾いた。トゥッティ側のヴィオラで演奏に参加した。ソロを弾けてしまう頼もしい後輩のおかげである。

中学の音楽の授業で習い、清掃の時間のBGMであった音楽を自分で作るのが不思議な感じだった。

なんといっても第二楽章だ。嬰ハ短調の緩徐楽章で、ヴィオラは犬になる。小節の頭に8分休符を据えて、「ドッドー」と弾く。実音は「Cis」。この楽章チェロやコントラバスは丸ごと休みだから、楽曲構造上はヴァイオリン2パートとソロを下支えする役回りなのだが、ヴィヴァルディの指示は「犬になりきる」ということだ。例の「ドッドー」は音高を代えながら楽章中ずっと続く。

とても楽しかった。

 

 

2021年3月 7日 (日)

ヴィヴァルディとヴィオラ

多作家ヴィヴァルディは、作品の数ばかりではなく取り扱う楽器の種類という意味でも多彩であった。マンドリン、テオルボ、シュリモーという具合にコンチェルトの主役に取り上げている。

ところがだ。ヴィオラにだけはコンチェルトの独奏パートをかあてがっていない。コンチェルトの総奏側の楽譜には欠かさずに出番があるヴィオラなのだが、ソロにはなりえない。

合奏に参加していれば面白いし、見せ場にもありつけるのだが。テレマンにはヴィオラ協奏曲があるし、バッハにはブランデンブルク協奏曲もあるから少しはかまってくれてもよさそうなものだ。

だから「春」の2楽章の犬の鳴き声が貴重になる。

2021年3月 6日 (土)

お買得の極み

アッカルドさんの四季のCDが、某中古ショップで10,800円の高値だと嘆いた。

ところがこれが実はサクッと解決していた。中古ではない普通のCDショップで、アッカルドさんの弾く古今のコンチェルトを集めたDeccaのボックスがサラリと売られていた。お値段は4000円少々。もちろん新品だ。ボックスの外装には「四季」と書いてある。演奏者の欄にはイムジチと書いてある。開けて確認しない限り詳しくはわからぬという巧妙な表示だ。

まあよい。ベートーヴェン、シベリウス、タルティーニに加えてブラームスまでおさめられている6枚組だ。一枚当たり1000円を切るからと自分を説得して購入した。電車の中でさっそく開封してブックレットを読む。

唖然である。

問題の四季の演奏者が「ナポリ国際音楽祭合奏団」と書いてある。録音日や演奏時間から見て、某中古ショップで見かけたディスクに収められた演奏と同じだと思われる。あちらはフィリップスでこちらはデッカだが、音源は同じなのだ。

このお買い得感はいったなんだ。

タルティーニのホ短調のコンチェルトが、望外の収穫だ。キリリ、キビキビで透明。アッカルド大好きに拍車がかかる。

 

 

2021年3月 5日 (金)

幻の四季

ヴィヴァルディの四季には古くからはまっていたから、LPもいくつか持っていた。

 

アッカルドの四季をもっていたのだがCDはない。アッカルドさんは1941年生まれのイタリアのヴァイオリニスト。現代楽器を駆使する名手だ。一時期イムジチ合奏団のコンマスを務めていたから、私が持っていたLPもイムジチとの共演だと思い込んでいたが、このCDがなかなか見つからない。

 

もちろん廃盤で、中古でしか入手できない。某中古ショップでやっと探し当てたと思ったら、10,800円の値段がついていた。ボックスではなく一枚でこの値段だ。マニアが血眼になっているという証拠だが、とても手が出ない。

 

うらめしげに演奏者を見ると、イムジチではない。「ナポリ国際音楽祭合奏団」とある。メンバーの中にイムジチのコンミスの名前もあるから、臨時に創設された団体で、イムジチのメンバーも参加しているのだと思われる。録音は1987年だ。

 

 

 

 

2021年3月 4日 (木)

269-315-293-297

奇妙な数列だ。どこぞのIPアドレスかもと。ヴィヴァルディの作品を整理したリオム番号のルールは編成別調性順だ。このルールの下、名高い「四季」を構成する4曲のリオム番号がこうなる。

  1. op8-1 Edur 春 RV269
  2. op8-2 Gmoll 夏 RV315
  3. op8-3 Fdur 秋 RV293
  4. op8-4 Fmoll 冬 RV297

「op」を頂く作品番号なら「op8-1」から「op8-4」まできれいに整列する一方、ヴィヴァルディを含むバロック時代の特徴として、作品出版をキーにした「作品番号」の概念は機能しない。作品全般を俯瞰しようとした場合「op」では抜けが多くてお話にならないということだ。ヴィヴァルディの場合「op」は12番までだ。op13とop14は疑われている。

ブラームスやベートーヴェンではきっちりと機能する「op」という体系が、バロックでは役に立たないということ。

2021年3月 3日 (水)

FC4 Stagioni

ヴィヴァルディの四季と言えば、クラシック入門のとっかかりになる人も少なくない。私もそうだった。中学の授業で「四季」を聴いてはまった。当時は断固イムジチだった。アーヨかミケルッチ一辺倒。まああまりにも刷り込みが鮮明で、四季以外もイムジチ専門になった。

鑑賞歴が長いだけあって、我が家には「四季」のCDがたくさんある。20種類は下るまい。そこでお決まりのおふざけ企画。四季全4曲おのおの3楽章あるから全12楽章を、別の演奏家を連ねて架空アルバムを作成した。ルールがある。独奏を担当するヴァイオリニストがイタリア人になっているCDに限定した。イムジチのフェリックスアーヨはスペイン人だが、彼だけは例外とする。

  1. 春 第1楽章 Felix Ayo(I musici)
  2. 春 第2楽章   Fabio Biondi(Europa Galante)
  3. 春 第3楽章   Federico Gugliermo(L'arte dell'Arco)
  4. 夏 第1楽章  Giovanni Gugliermo(I solisti Italiani)
  5. 夏 第2楽章   Mauro Lopes Ferreira(Concerto Italiano)
  6. 夏 第3楽章   Piero Toso(I solosti Veneti)
  7. 秋 第1楽章   Federico Agostini(I nusici)
  8. 秋 第2楽章   Antonio de Scondi(Concerto Italiano)
  9. 秋 第3楽章   Enrico Onofri(Il Giardino armonico)
  10. 冬 第1楽章  Julio Franzetti(I solisti Italiani)
  11. 冬 第2楽章   Giuliano Carmignola(Sonatori de la gioiosa Marca)
  12. 冬 第3楽章   Roberto Michelucci(I musici)

アーヨ以外はイタリア人男子が並ぶ。カルミレッリ、シルブなど女子を落としたのにはわけがある。こうして男子名ばかりが並ぶとなんだかサッカーのメンバー表っぽいうえに、強そうだ。ここ日本では「四季」のCDは売れるからイタリア男子限定にでもしないと収拾がつかない。末尾カッコ内に示したのは団体名で、これら団体には「調和の霊感」op3のCDもある。つまり「四季」のセールス目当てではない人たちだ。

 

 

2021年3月 2日 (火)

ラカトシュ

ロビー・ラカトシュさんは1965年生まれのハンガリーのヴァイオリニスト。というよりロマ音楽の大家だ。

そのラカトシュさんをソリストに据えた「四季」のCD発見。周囲が普通の合奏団だから、ノリノリにはならぬのを承知で購入。恐る恐る聞いてみた。ツィンバロンとの二重奏あるいはせめてピアノとの二重奏にでも編曲されているなら別だろうけど、通常の合奏団を従えてできること多くあるまいとタカをくくっていたのだが、ソロの場面では十分に楽しめる。春の出だしは普通でがっかりしたが、ソロの音質でハッとさせられた。

夏1楽章の緩急交代の妙がハンガリー風で一息つける。ハンガリーの夏は暑いのか、2楽章のけだるさは独特。ツィンバロンのトレモロが聞こえる。フィナーレでは本調子に。

普通に始まる秋の1楽章のソロはアドリブがすごい。ピチカート総動員。89小節から105小節目までのねむりの場面で楽譜にない旋律をppで弾く。第二楽章の最大の特色として通奏低音のツィンバロンがひそやかなアルペジオを敷きつめる。まあこれも続く第3楽章の控えめな予言でしかないとあとから気づく。冬の第一楽章では当然歯の根が合わない。

「楽譜にないことを弾く」という意味では冬の第2楽章が頂点だ。ハンガリーロマたるものこうでなくては。フィナーレ120小節目「東風吹かば」の急速なパッセージから逆算された「滑ってころんで」がきれっきれで心地よい。

全体の印象として、チェンバロの不参加が大きく印象を変えていると思う。代わりがツィンバロンであることを味わうとより印象が深くなる。

 

 

2021年3月 1日 (月)

在宅勤務一年

昨年の3月1日から勤務先の指示により在宅勤務に移行した。もう1年だ。

通勤時間の消滅によって降って湧いた時間をCD鑑賞にあてられるとはしゃいでもみたが、冷静に考えるともっと大切なことがある。

母と過ごす時間がグッと増えた。今年86歳、まだまだ元気で主婦業をこなすが、さすがに不安もある。いわば体力の衰えを気力でカバーしている状況だ。加えて昨今のコロナ過だ。母を極力一人にしないことはとてもいいことだ。在宅勤務中私は2階の自室にいて母は1階の居間にいるのだが、同じ屋根の下に居るという安心感は何物にも代えがたい。

不意の訪問者、不審な電話など外的不安に加え、転倒や病気など身体面の不安もある。

そして夕方1時間、母とともにキッチンに立って食事の支度。母のアシストしながら会話が弾む。時には私が調理もする。これがすっかり日課になった。

子供たちの協力はもちろんだが、私の残りの嘱託生活は、母のケアとの両立こそが求められる。母が心身とも元気なうちにその最適解が見つかったという意味で在宅勤務は新たな地平を開いてくれた。

老々介護というには、まだ母は元気だが、体制だけは物心両面で準備しておきたい。私の子供たち3人に対する母の全身全霊の慈しみを思えば不安も迷いもない。

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