種々の楽器のための協奏曲集
オリジナルはフランス語「Concerts avec plusiurs insturments」と綴る。
バッハはブランデンブルク辺境伯へこの言葉を添えて6曲の協奏曲を献じた。就活の一環だったともささやかれているが、バッハの思いは「いろんな楽器を使ってみました」であった。
19世紀にはいって、バッハ復興が着々と進む中、フィリップ・シュピッタが登場する。バッハ研究の泰斗で、浩瀚な「バッハ伝」の著者であるばかりか、ブラームスの親友だ。
この人こそがこの6曲を「ブランデンブルク協奏曲」と命名したその人に他ならない。「種々の楽器のための協奏曲集」のままであったら、ここまで普及したかどうか疑問だ。CDショップ店頭でのオーラも低次元にとどまっていたことだろう。
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