ピカルディという習慣
ピカルディ終止の採用不採用がランダムで、その基準がさっぱり推測できないのをいいことに毎度毎度の妄想がある。
ピカルディ終止は短調作品のエンディングにおける常識だったのではあるまいか。「短調=ピカルディ終止」ではなかったか。作曲家と演奏家の分離が進む前、作品の出版が前提となる以前、短調作品は終止和音の第3音を半音上げるという記譜がなくても、習慣として同主長調への読み替えが行われていたのではないか。
作曲と演奏の分業が進み、作品を紙へダウンロードする習慣が広く普及するのと並行して、「楽譜通り」が何かと珍重されるようになった結果、習慣であったピカルディを記譜するようになったなどどということはあるまいか。
通奏低音が単音と数字だけを見て、他の音を即興で補うことが当たり前だったのを、19世紀以降、あらかじめ校訂者が楽譜に落としておくようになったリアライゼーションと同根とは考えられまいか。
記譜上明記されたピカルディ終止を無視して短調のまま終えることは、慎まねばならぬ一方で、記譜上ピカルディになっていない短調作品を演奏家独断でピカルディ終止に導くことには酌量の余地を認めたい。
« パッヘルベルのピカルディ | トップページ | トリオの人数 »
コメント