ピエタ慈善院
1346年ヴェネツィアで創立。孤児、捨て子、私生児を養育した。男子はやがて退去するが、女子は結婚しない限りここにとどまったらしい。10歳までに音楽教育が始まる。才能のある子どもにより合奏団や合唱団が組織されたという。
1703年ヴィヴァルディが合奏長に就任することで絶頂期を迎える。全盛期のヴィヴァルディが曲を供給しただけでなく、子供たちの音楽的指導にも貢献した。演奏の水準から欧州中に名声が広まり、わざわざ子女を預ける貴族まで現れた。
厳格な規律の中で、優秀な教師と密接な関係を保ちつつ、到達したその演奏は、ヴィヴァルディのいくつかの作品が同院での演奏を前提にすることから相当なレヴェルだと推測されている。
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