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2021年6月30日 (水)

ドイチュ番号

シューベルト作品を整理した音楽学者オットー・エーリヒ・ドイチュ(1883-1967)に因んでドイチュ番号と名付けられたシューベルト作品整理の体系のことだ。シューベルトにおいて「op」つまり作品番号は、必ずしも作曲順ではなく、出版順だ。また未出版や異稿、断片も多く作品全体を俯瞰するには機能不足である。その点を補うのがドイチュ番号で通常「D」と略記される。バッハでいう「BWV」やモーツアルトの「K」に相当する。D番号はほぼ作曲順で、最大値は990番だという。

生みの親ドイチュは、オーストリア人でシューベルト研究の泰斗。1914年に著した「フランツ・シューベルト-その生涯の記録」は、シュピッタの「バッハ伝」に比肩する金字塔だ。1939年には英国に亡命したが、その後もケンブリッジで研究を進め「シューベルト全作品の主題の年代順による目録」を1951年に出版にこぎつけた。これが「D番号」の根拠になっている。これによりシューベルトの受容が急速に進んだことは周知の通りだが、ドイツ語版の発行は1978年までずれこんだ。

この先ブログ上でシューベルトネタをこね回すにあたり、「D番号」のお世話になる関係で早い段階での言及は必須である。ちなみに「美しき水車小屋の娘」はD795、「冬の旅」はD911、「白鳥の歌」はD957である。個別の曲は末尾にハイフンを介して子番号が付与される。「菩提樹」はD911-5、「セレナーデ」はD957-4という要領だ。異稿は末尾にアルファベット小文字を付して区別する。断片を含む未完作品にも番号が律儀に与えられていたり、現在では他者の作品と判明している作品があるのはバッハのBWVと同じだ。

 

 

2021年6月29日 (火)

探索の音源

歌曲をキーにシューベルトを探索するにあたって必須なCDを買い求めた。

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都内某中古ショップにてゲット。21枚組4600円というハイコスパ。ドイツ版ゆえ日本語解説がない。時間とお金の制約もあってさまざまな演奏家をあれこれ聞き比べるというのは現実的でないとなると、御大ディートリヒ・フィッシャーディースカウが穏当なところだ。シューベルト歌曲全集というふれこみながら一部収載漏れもあるし、パンフには歌詞も載っていないが、ドイチュ番号とドイツ語のタイトルと作詞者だけで十分機能する。パンフ巻末の索引は、タイトルと歌いだしでディスク番号とトラック番号にたどり着く優れもの。

ところでご覧の通りフィッシャー・ディースカウさんお若い頃の写真なのだが、誰かに似ている。

最近大ブレークのMLBロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平に似てはいまいか。新たな視点、しかも旬。

2021年6月28日 (月)

ポストシューベルト

音楽之友社刊行の作曲家◎人と作品シリーズ「ブラームス」の240ページ、あとがきの中で著者・西原稔先生は「シューベルトの後継者」という位置づけについて、今後研究が進むことに期待感を表明しておられる。含蓄がある。

私ごときの手には余るのも承知の上だが歌曲をキーに、シューベルトと大好きなブラームスの関係に深入りする。

2012年4月9日の「平均律歌曲集」の修正をきっかけに始まった第二次歌曲特集は、シューベルト探索開始ののろしであった。

2021年6月27日 (日)

歌曲から室内楽へ

ヴァイオリンソナタ第一番ト長調op78は「雨の歌」と呼ばれている。第三楽章の主要主題が歌曲「雨の歌」op59-3の旋律をそっくりそのまま採用しているせいだ。歌曲オリジナルは嬰へ短調だが、ヴァイオリンソナタへの移植にあたってト短調に移調されているものの、雨脚の描写かとも思われる伴奏の16分音符までそっくりである。

歌曲旋律の室内楽への転用はシューベルトにまばゆい前例がある。「ます」と「死と乙女」である。どちらも変奏曲の主題となっている。

シューベルト大好きのブラームスが真似したのかもしれない。

やっと、シューベルトにたどり着いた。

 

 

 

2021年6月26日 (土)

Mondnacht

ドマイナーで思い出した。

「月夜」と訳される。テキストはアイヒェンドルフだ。1854年の作とされるブラームスの独唱歌曲。何故かブラームスは出版を認めなかった。だから作品番号が無い。WoO21となっている。変イ長調、8分の3拍子、全長65小節。楽譜にして見開き1ページの小品だ。

アンダンテで可憐に歌われるが「声のパートに対する言葉による指示が頻繁に現われる」「音楽用語の使用密度が高い」など、初期歌曲の特徴をキッチリと備えている。

「ブラームスの辞書」が対象を作品番号のある作品に限定しているのが、いかに不当であるかの証明だ。こんなに短い作品なのに生涯でここだけの用語が下記の通り存在し、これら全てが「ブラームスの辞書」に収録されていない。困ったものだ。

  1. legato il basso 21小節目のピアノ左手 「低音部はレガートで」 右手の細かい音符に対し左手は、4小節またはそれ以上のフレージングを守れという意図だろう。
  2. crescendo e con anima 37小節目 「だんだん強くかつ生き生きと」
  3. sostenuto e crescendo 48小節目 「ゆっくりと、かつだんだん強く」 声のパートにもある。39小節目の「sostenuto」と並んでピアノ以外のパートに「sostenuto」が付与される珍しいケースの実例になっている。
  4. poco a poco sin al Fine 57小節目。その直前に置かれた「dim e rit」を受けた表現だと思われる。曲の終わりまでかけて「dim e rit」を継続せよと読める。早く遅くし過ぎるな、早くダイナミクスを落とし過ぎるなという警告とも受け取れる。

ブラームス本人に出版の意図がないからこのような表現が放置されたという可能性も残る。出版する気ならもっと推敲を入れて表現を整理していたかもしれない。

フィッシャーディースカウにかかるとこれまた可憐だ。

2021年6月25日 (金)

コロラトゥーラonブラームス

「目隠し遊び」op58-1の話。はっきりいってブラームス歌曲の中でもドマイナーな存在だ。この度、第二次歌曲特集にあたって所有CDを聴きまくっていて発見した。

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「目隠し遊び」とはすぐに目の前からいなくなる恋人を軽く嘆くという風情の歌。イタリア民謡の独語訳に曲を付けた。16小節目に現れるフレーズがコロラトゥーラ風だ。

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オペラを書かなかったブラームスはコロラトゥーラとは無縁のはずなので貴重だ。イタリア民謡だからなのと、不実な恋人を嘆くにはぴたっりくる。せせこましい16分音符の動きもはまっている。この手のドマイナー作品を歌っても不思議な説得力があるのが、フィッシャーディースカウだ。ベスト24 には惜しくも漏れたが、思い余って記事にする。

2021年6月24日 (木)

枯渇の原因

2月4日にこちらで示した備蓄減少への危機感だが、その原因には思い当たる節がある。

2020年1月還暦記念企画として「令和百人一首 」を公開した。ブラームスとは無関係の和歌ネタを延々と連ねた。会期は半年だが、準備まで入れれば1年半になる。音楽と無関係の記事を連ねたことで、音楽系の脳みそが委縮したことは否定できない。

後鳥羽院、藤原定家、源実朝あたりのたたりかもしれない。お祓いが必要かも。

2021年6月23日 (水)

ワクチン企画

2月4日の記事「備蓄緊急事態 」で、ブログ「ブラームスの辞書」の記事備蓄が600を切ったと危機感を表明した。そこから決意を新たに準備したのが「第二次歌曲特集」である。ブラームスとはあまり関係のない企画が続いた流れを断ち切って脳みそをリセットする狙いがあった。備蓄緊急事態に対するワクチン的切り札の企画である。

本日現在の記事の備蓄は570だ。600を切ったと騒いだ日から4ヶ月半経過しているから、記事を思いついていなければ、135本減じられて465本の備蓄になっていたはずのところ、570本の備蓄ということなので105本は記事が書けたということだ。備蓄の食いつぶしに歯止めがかかったという点では効果があった。

一方新型コロナワクチンの接種は、85歳の母が先日二回目を終えた。今日で7日経過するが、問題は発生しなかった。私や子供らの接種はまだ先になりそうだが、備蓄減へのワクチンだけはそろそろ効いてきている。

2021年6月22日 (火)

弾き手の性別

演奏者の姿が見えないまま、演奏だけを聴かされた場合、聴き手は演奏者の性別をどの程度当てられるものだろうか?

話をピアノ演奏に限定すると、ブラームスはどうやらこの「弾き手の性別当て」を特技にしていたらしい。しばしば友人の間違いを指摘して「これだけは絶対に自信があるね」と自慢していたというエピソードを親しい知人が証言している。演奏する曲は自作に限った話ではなかったようだ。コツや種明かしは一切されていないが、ブラームスはかなり自信たっぷりである。

音に何らかの痕跡が現われて、ブラームスはそれを聞き分けていたということなのだろうが、私は全く自信がない。CDやパソコンのお陰で聞き比べは簡単に出来るのだが、演奏者名はおろか性別も当てられない。

さすがに歌曲ならば間違えることはないが、こればかりは自慢になるまい。

2021年6月21日 (月)

プラシーボ

「プラシーボ」を敢えて訳せば「偽薬」とでも言うのだろう。小麦粉を風邪薬の袋に入れて飲ませたら頭痛が止まったという類の効果のことを「プラシーボ効果」というらしい。薬だと思い込んで飲むことで本来あるはずのない薬効が現われてしまうことだそうだ。「鰯の頭も信心から」に近い話である。

人間の感覚というのはデリケートである。最強の鎮痛剤であるモルヒネでも止まらない痛みがある一方で、約4割の痛みがプラシーボでも和らぐという。3連休明けの月曜の朝の腹痛はモルヒネでも止まるまいと思われる一方、小麦粉で頭痛が止まることさえあるのだ。ましてやその薬が、信頼する医者の処方したものだったら尚更だし、幼い頃母親が塗ってくれた赤チンも最強だった。ラグビーの試合中にお目にかかるヤカンの水も相当なものだろう。人間の思い込みとは恐るべしなのである。

風邪薬と思い込んで飲む小麦粉にそのような効果があるなら、誰某と思い込んで聴く、ノイズだらけのCDにも一部のマニアを熱狂させる効果があるに違いない。指揮者や器楽奏者の場合には強烈で華麗なプラシーボ効果が期待できる。何かと盛り上がる演奏家ネタは、演奏だけを聴いて演奏家を聞き分けられることが望ましかろうが、私は耳がよくないのでそこが思うに任せない。幸いなことにベートーヴェンとブラームスなど作曲家はほぼ聞き分けられる。

昨日の記事「歌は希望 」で述べた通り、声楽の場合、演奏家が男か女かは100%わかる。器楽ではそうもいかない。男女の見分けさえ付かないのにどうして演奏者を正確に当てることができようか。ピアニストでわかるのはグールドくらいだが、ハミングが決め手の時もあるから自慢にもならない。歌曲はこんな私でも高い確率で演奏家を当てることが出来る。フィッシャー・ディースカウ、ヘルマンプライに白井光子はわかるのだ。アメリングだってわかる。訓練を積めばわかる人はどんどん増えそうだ。

だから歌は希望。

 

 

 

2021年6月20日 (日)

歌は希望

ブラームス歌曲ベスト24選定のためにと我が家のブラームス歌曲のCDを聴きまくった。それが記事備蓄の減少に歯止めをかけたと喜んだ。もう一つ歌曲ならではの喜びがある。歌曲作品は高い確率で歌い手が判るのだ。聴いただけで歌手を当てることが出来る。器楽や指揮者ではそうはいかない。CDのジャケットに書いてある演奏家を読んで、その先入観が感想に与える影響が小さくないと見る。ヴァイオリンは、シェリング、アッカルド、ビオンディを大好きと繰り返してきたが、100%演奏を聴き分けられるかと真顔で問われると分が悪い。ピアニストもだ。聞き分けられもしないのに好きも嫌いもないのだが、歌手の場合その後ろめたさはかなり減じられる。

少なくとも男性か女性かは100%わかる。器楽ではありえなかったことだ。訓練を積めば演奏者もわかる。大好きな演奏家ならかなりの確率となるから、ブログで歌曲ネタを振り回して記事数を稼ぐには好都合だ。

歌には希望が持てる。

2021年6月19日 (土)

ピアニシモの魔術師

ブラームス歌曲の私的ベスト24 を好みの演奏で選ぶ過程を楽しんだ。フィッシャーディースカウとヘルマプライの2人だけでもほぼ作れてしまうのだが、女声が全く入らぬのもいかがなものかと思い詰めて、白井光子先生を選んだ。見ての通り日本人なのだがドイツで研鑽を積んだひとかどのメゾソプラノという評価だ。この度24曲のうち下記8曲をお任せするに至った。

  1. エーオルスのハープに寄せて op19-5 
  2. 子守歌 op49-4 
  3. 君の青い瞳 op59-2 
  4. 野に一人いて op86-1 
  5. 野を渡って op86-3 
  6. サッフォーの頌歌 op94-4 
  7. 死は爽やかな夜 op96-1 
  8. 我が歌 op106-7 

栄えあるオープニングを筆頭に目白押し。どれもフィッシャーディースカウやヘルマンプライが未録音の作品ではないけれど、繊細なピアニシモを駆使して堂々と渡り合う。ピアニシモの掌上でニュアンス1個の出し入れを自在に操るとでも申すべきか。我が家のCDで聴ける彼女の演奏は全部で23曲なので、8曲採用はかなりの歩留まりだ。女声はこの人一人で事足りる。ブラームスが歌曲に求めるクオリティに合致すると申し上げたい。そのクオリティは必ずしもソプラノのキャラとは一致しない。

とりわけだ。上記2の「子守歌」上記5の「野に一人いて」は絶妙だ。子守歌はこの人の演奏でなければベスト24には届かない。ろうそくの灯りの下でしっとりと聞かせる感じ。子供を寝かせる気のないかのようなソプラノの演奏が少なくない中、出色の出来映えだ。「野に一人いて」は所有22CDのうち最も遅い演奏。途切れぬレガート。テキストや和声にシンクロしてピアニシモ域内を維持したままニュアンス1個を自在に操る。

かくして、ブラームス歌曲私的ベスト24は、ディートリッヒ・フィッシャーディースカウヘルマンプライ 、白井光子の3名が8曲ずつ歌うという絶妙のバランスとなった。

2021年6月18日 (金)

プライ賛

昨日「やっぱりフィシャーディースカウ 」だと書いたのだが、もう一人ヘルマンプライも大好きだ。1990年新婚旅行で訪れたウィーンで生の演奏を聴いた。ちゃんとプログラムを保存してある。

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楽友協会ブラームスザールでの第8回ウイーンシューベルティアーデ。演奏とトークだ。伴奏がホカンソンという豪華な顔ぶれでチケットが100シリングとかあり得ぬ。1300円くらいか。ケタが違うやろ。

だからという訳で彼もまた別格。ブラームス歌曲の全集は無いが、有名所はCDで聴ける。曲によってはディースカウと匹敵する。そのフィッシャーディースカウとはフィガロの結婚でのやりとりが思い出深い。

2021年6月17日 (木)

フィッシャーディースカウ再発見

思えば学生時代、最初に購入したドイツレクイエムのLPは彼の独唱だった。2枚組の余白に「四つの厳粛な歌」も入っていた。なけなしの小遣いだったから、他の演奏家のレコードを買いそろえて聞き比べるなんぞ無理だった。結果として彼の歌唱が脳みそに刷り込まれた。予備知識無いまま適当に買ったレコードがフィッシャーディースカウだとは振り返るとすごいことだ。

亡くなってかれこれ10年経つというのにネット上でも書物でも、彼を賞賛する声は絶えない。20世紀最高の歌手と断言したところでブログ炎上はするまい。オペラでもリートでも、あるいはバッハでもオールマイティだ。中でもとりわけシューベルトではあるのだが、彼はブラームスにも浅からぬ縁がある。

13歳で「四つの厳粛な歌」に感動したのをキッカケに同曲集を独学し、20歳の時の演奏を聴いたフルトヴェングラーが腰を抜かしたとか、第二次大戦後の歌手デビューはドイツレクイエムだったとか。

それでもってこの度の第二次歌曲特集だ。記事執筆の準備の一環として手持ちのブラームス歌曲のCDを片っ端から聴いた結果、やはりフィッシャーディースカウはすごいと感じた。条件付きながら全集を入れている数少ない歌手だというだけで既にアスタリスクが付く上に、まあどの演奏もすごい。マイナー作品の隅々にまで行き渡る繊細な気配り。何よりそれを音にする技術。かれこれ70名のCDを聴いてみて更尚実感した次第。お金と時間の節約のためとりあえずフィッシャーディースカウというのは正解だった。彼が録音していない作品を誰で聴くかという楽しみもまた小さくない。

 

 

2021年6月16日 (水)

我が歌

調性別ベスト歌曲集 をご覧いただく。嬰ヘ短調に「雨の歌」op59ー3が入っている。嬰ヘ短調のベスト歌曲という位置づけだ。調性の制約を廃したベスト歌曲24 に目をやると、その中に「雨の歌」は無い。嬰ヘ短調の調性別ベストではあるのだが、歌曲ベスト24からははずれるということに他ならない。困ったのは歌曲ベスト24の中、22番目に来る「我が歌」op106-4だ。オリジナルは「MeineLieder」というが、なんと嬰ヘ短調だった。

調性別ベストに洩れながら白井光子先生の絶妙の歌唱により土壇場で「雨の歌」をうっちゃって入選だ。テキストにしてたった6行の小品ながら深い深い味わいがある。12年前には気にとめていなかった。

2021年6月15日 (火)

最愛の座

歌曲特集開催、調性別ベストの選定、私的ベスト24の選定などの目的のため、所有する歌曲CDを片っ端から聴きなおした。選定は悩ましくも楽しい作業で12年前の自分と向き合ういい機会となった。結論から申せば最愛の歌曲の座は、12年前と変わらなかった。

オリジナルでは「Feldeinsamkeit」op86-2だ。「野のさびしさ」「野に一人いて」など邦訳に決定版が無いことは相変わらずだが、作品自体は私的ベストの座に君臨する。白井光子先生の歌唱を得てその座は盤石。12年前からこれがベストだった自分が少し自慢でさえある。

2021年6月14日 (月)

烏賊匂わすか

「Feldeinsamkeit」op86-2の邦題に決定版がないことは既に言及しておいた。ブラームスの歌曲に採用されたテキストには元々タイトルが存在するものと、歌いだしの一節がタイトルとして流用されているものとがある。本日話題の「Wie bist du,meine Konigin」op32-9は後者の例。ブラームスを代表する歌曲なのだが、邦題には決定版が無い。

「Wie bist du」は英語なら「How are you」だ。これを日本語へ転写するのが難しい。「Konigin」は「王」「Konig」の女性形で「女王」だ。ここでは憧れの女性のことを指す言い回し。あわせて「いかにおわすか我が女王」となる。「烏賊匂わすか我が女王」と聞こえる。「おわす」は「居る」の尊敬語なのだろうが、現代日本で通りのいい言葉ではあるまい。

2021年6月13日 (日)

四つの厳粛な歌再考

まずは改めて「四つの厳粛な歌」op121を確認しておく。

  1. 人に臨むことは
  2. 私は改めて虐げの全てを見た
  3. おお死よなんと苦しいことか
  4. たとえ我、人々天使の言葉で語ろうとも

作曲の経緯についてはもうこれ以上語るまい。

この度の歌曲特集開催にあたり、手持ちの歌曲CDを片っ端から再聴した中、「四つの厳粛な歌」の響き方が明らかに変わっていた。昔から好きではあったのだが、還暦を過ぎてじっくり聴いてみると好き嫌いを越えて迫りくるものがある。定年、母、子らの成長、親しいの人の訃報もある。加えて昨今のコロナ禍など死と人生に向き合わざるを得ない。

いくつか感じたことを改めて整理しておく。

  1. やっぱりディートリヒフィッシャーディースカウが心に沁みる。
  2. 我が家のCDは17種。4曲が必ずセットで録音されている。この曲集に関して抜粋は無い。
  3. 先に公開したブラームス私的ベスト24の選定にあたって、4曲全て採用すべきか悩んだ。私の中では4曲の序列があることを忠実に反映させて、心を鬼にして1番と4番を落とした。当初は3番だけのつもりだったが、2番も収載した。本当に本当に悩んだ。
  4. その3番の歌いっぷりでディートリヒ・フィッシャーディースカウが群を抜く。
  5. 3番だけは、17名誰の演奏なのか聴いただけでほぼ、わかる。器楽ではあり得ぬ。

2021年6月12日 (土)

やけに濃い

一昨日の記事「プレミアム24 」で、ブラームス歌曲の私的ベスト24をベスト演奏で選定した。調性別ベストだった「平均律歌曲集在宅版 」との比較を試みる。平均律歌曲集在宅版に入っていなかった復活当選作品を赤文字にしておく。

  1. エーオルスのハープに寄せて 変イ短調で入選
  2. いかにおわすか我が女王
  3. 永遠の愛について ロ短調で入選
  4. 五月の夜 変ホ長調で入選
  5. 日曜日  
  6. あの娘のもとに ホ短調で入選
  7. 子守歌 
  8. 君の青い瞳 
  9. 夕立 イ短調で入選
  10. ミンネリート ハ長調で入選
  11. おお涼しき森よ 変イ長調で入選
  12. 夏の宵 変ロ長調で入選
  13. 森のしじまに ロ長調で入選
  14. 野に一人いて ヘ長調で入選
  15. 夢遊ぶ人 
  16. 野を渡って 
  17. サッフォーの頌歌 ニ長調で入選
  18. 死は爽やかな夜 
  19. 我らはそぞろ歩いた 変ニ長調で入選
  20. 調べのように イ長調で入選
  21. セレナーデ ト長調で入選
  22. 我が歌 
  23. 私は顔を向けてみた ト短調で入選
  24. おお死よなんと苦々しいことか 

以上。平均律歌曲集在宅版で涙を飲んでここで復活したのは9曲だ。激戦区変ホ長調からは上記2、7、8が復活した。ちなみに「日曜日」はヘ長調、「夢に遊ぶ人」はハ長調、「野を渡って」はト短調、「死は爽やかな夜」はハ長調、「我が歌」は嬰ヘ短調、「おお死よなんと苦々しいことか」はホ短調だ。

逆に「平均律歌曲集在宅版」にあってここに無いのは下記。

  1. ハ短調 領主フォンファルケンンシュタインの歌
  2. ニ短調 人に臨むことは
  3. 変ホ短調 愛の誠
  4. ホ長調 すみれによせて

調性別ベストには滑り込んだが、お気に入りベスト24からは落選という位置づけになる。

 

2021年6月11日 (金)

詩人たち

ブラームス歌曲の私的ベスト24 についてテキストの供給状況を整理しておく。外国詩の独訳者を含むとする。

  1. エーオルスのハープに寄せて op19-5 メーリケ
  2. いかにおわすか我が女王 op32-9 ダウマー
  3. 永遠の愛について op43-1 ヴェンツィヒ
  4. 五月の夜 op43-2 ヘルティ
  5. 日曜日 op47-3 ウーラント
  6. あの娘のもとに op48-1 ボヘミア民謡
  7. 子守歌 op49-4 子供の不思議な角笛
  8. 君の青い瞳 op59-2 グロート
  9. 夕立 op70-4 DFD ケラー
  10. ミンネリート op71-5 ヘルティ
  11. おお涼しき森よ op72-3 ブレンターノ
  12. 夏の宵 op85-1 ハイネ
  13. 森のしじまに op85-5 レムケ
  14. 野に一人いて op86-1 アルマース
  15. 夢遊ぶ人 op86-2 カルベック
  16. 野を渡って op86-3 シュトルム
  17. サッフォーの頌歌 op94-4 シュミット
  18. 死は爽やかな夜 op96-1 ハイネ
  19. 我らはそぞろ歩いた op96-2 ダウマー
  20. 調べのように op105-1 グロート
  21. セレナーデ op106-1 リング
  22. 我が歌 op106-7 フライ
  23. 私は顔を向けてみた op121-2 ドイツ語聖書
  24. おお死よなんと苦々しいことか op121-3 ドイツ語聖書

全部で19名。ヘルティ、グロート、ダウマー、ハイネ、ドイツ語聖書が2曲採用で、他の14人は1曲ずつ。なんとなんとゲーテもシラーもいない。彼らの詩に曲を付けていない訳ではないが、私の選定から漏れたということだ。テキストの作者を意識しないで選定していたから、忖度無しの結果である。

2021年6月10日 (木)

プレミアム24

ブラームス歌曲の調性別ベストのプライヴェートCDが殊の外楽しめたこともあって、調性の制約抜きに私的ベストを選んでみた。調性別ベストに「平均律歌曲集在宅版 」と命名したので、区別のためにこちらは「プレミアム24」と名付ける。「私的ベスト」には二重の意味がある。作品としても演奏としてもベストを選定するということだ。

演奏家は以下の3名となった。

  • ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ DFDと略記。
  • ヘルマン・プライ HPと略記。
  • 白井光子 MSと略記。

24曲の内訳は以下の通り。

  1. エーオルスのハープに寄せて op19-5 MS
  2. いかにおわすか我が女王 op32-9 HP
  3. 永遠の愛について op43-1 HP
  4. 五月の夜 op43-2 HP
  5. 日曜日 op47-3 HP
  6. あの娘のもとに op48-1 DFD
  7. 子守歌 op49-4 MS
  8. 君の青い瞳 op59-2 MS
  9. 夕立 op70-4 DFD
  10. ミンネリート op71-5 HP
  11. おお涼しき森よ op72-3 DFD
  12. 夏の宵 op85-1 DFD
  13. 森のしじまに op85-5 HP
  14. 野に一人いて op86-1 MS
  15. 夢遊ぶ人 op86-2 DFD
  16. 野を渡って op86-3 MS
  17. サッフォーの頌歌 op94-4 MS
  18. 死は爽やかな夜 op96-1 MS
  19. 我らはそぞろ歩いた op96-2 HP
  20. 調べのように op105-1 HP
  21. セレナーデ op106-1 DFD
  22. 我が歌 op106-7 MS
  23. 私は顔を向けてみた op121-2 DFD
  24. おお死よなんと苦々しいことか op121-3 DFD

平均律曲集在宅版と同じ全24曲、総演奏時間は76分20秒で、これまたCD1枚にピタリと収まる。私的ベスト24曲ではあるのだが、収録は作品番号順とした。三名の演奏家に8曲ずつ出番がある。

聴いてみる。

先に完成した「平均律歌曲集在宅版」より、さらになじむ。6番でディートリッヒ・フィッシャーディースカウが現れたとき、鳥肌が立った。

 

 

2021年6月 9日 (水)

歌曲ベストアルバム計画

長短全24の調別ベスト歌曲集「平均律歌曲集在宅版 」は楽しかった。曲選び、歌手選びに加えて聴いても楽しい。さらに次なる楽しみを思いつくに至った。調別ベスト選定の過程で涙を飲んだ作品は少なくない。1つの調で1曲しか選べない制約を楽しむパズルではあるのだが、その落選組にも素晴らしい作品が多い。

となると、調性のしばりを抜きに、ベスト24曲を選んだらどうなるのか。ベスト24曲を1枚のCDに収めて好みの演奏で楽しみたいと考えた。企画が企画を呼ぶ状態である。

この記事 で12年前の誤りを修正するとして始まった第二次歌曲特集も1ヶ月経過した。あたたまってきたということだ。

2021年6月 8日 (火)

ヨアヒムの長男

1月23日の記事「ヨアヒムはヴィオラを弾いたか 」でブラームスの「アルトとヴィオラのための2つの歌曲」op91は、親友ヨアヒムの長男誕生を祝う作品だと書いた。ブラームスから夢のような祝福をされたヨアヒムの長男の名前を調べて驚いた。

Johannes Joachim、ヨハネス・ヨアヒムだ。もしこれが偶然だったら、神も仏もない。父親ヨアヒムの意思に違いない。ヨアヒムは大親友のブラームスのファーストネームを長男に与えたのだ。ヨハン・セバスチャン・ヨアヒムでもなく、ルードヴィッヒ・ヨアヒムでもなく、フェリックス・ヨアヒムでもなく、ロベルト・ヨアヒムでもないことに計り知れない意味がある。

おそらくブラームスは事前に打診を受けていたのだろう。「もし男の子なら」と。

だからブラームスは、いっそう張り切ってお祝いの作品を書いたと解したい。

2021年6月 7日 (月)

離婚訴訟

19世紀きっての大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムの夫人はアマーリエといって、優れたコントラルト歌手だった。ドイツレクイエム初演の際にはヘンデルのアリアを歌った。

もちろんヨアヒムは夫人を愛したが、後年しばしば常軌を逸するほどの嫉妬心を燃やすようになった。年々エスカレートし、レッスンも取れない状況に陥って、とうとう離婚にまで発展した。そしてお決まりの訴訟だ。

実はヨアヒムが夫人との仲を疑った相手こそ、ブログ「ブラームスの辞書」で頻繁に話題にしている出版商フリッツ・ジムロックだった。

ヨアヒムの大親友だったブラームスは、ヨアヒム夫人に深く同情し慰める手紙を書いた。この手紙が、夫人の側から潔白の証拠として法廷に提出された。これにヨアヒムは激怒し、両者は絶交状態になり、回復には数年を要した。

激怒したヨアヒムだったが、親友のブラームスが夫人を潔白だと信じていたことを、心の底では喜んでいたという後日談もある。

 

 

2021年6月 6日 (日)

目に毒

マッコークルの大著「ブラームス作品目録」を眺めていると時々目に毒な情報に出くわす。「格言:この欺瞞の世界で」WoO27が本日の毒だ。作曲年はおそらく1853年か54年とされている。ニ短調4分の4拍子、全長11小節の2声のカノンである。

何が毒かというとまずその編成だ。片方はト音記号で記譜された人間様の声だ。先行する人の声に1小節遅れて追尾する声部は何とヴィオラなのだ。「人の声とヴィオラのための2声のカノン」ということだ。

ヴィオラ好きブラームス愛好家にとって垂涎物の編成だ。楽譜もCDも持っていない。これがなかなか見つからない。精神衛生上好ましくない。マッコークルの譜例は冒頭の5小節分が掲載されている。全長11小節なのだから、もう一踏ん張りして最後まで載せて欲しかった。

さらにこの記事をカテゴリー「203 歌曲」に入れていいものか相当悩んだ。

 

 

2021年6月 5日 (土)

ヨアヒムはヴィオラを弾いたか

ヴィオラは私の愛奏する楽器だ。ヴァイオリンと同様に首に挟んだ状態で弓を弦にあてて演奏する。ヴァイオリンより5度低い音域となる。厳密なことを言い始めるといろいろあるのだが、演奏の方法はヴァイオリンと同じである。独特なハ音記号に慣れてしまえば、奏法自体には共通する部分が多い。古来ヴァイオリンの名手たちの何人かはヴィオラでも名人芸を披露している。スーク、ズーカマン、ミンツなどなどCDで聴くことも出来る。

ブラームスの恩人にして親友、そして当時最高のヴァイオリニストにヨーゼフ・ヨアヒムがいる。ブラームス唯一のヴァイオリン協奏曲を献呈される栄誉に浴している。奏者としてはもちろん教師としても優秀なヨアヒムは、はたしてヴィオラを弾いたのだろうかというのが本日のお題である。

結論から申せば「YES」である。私がそう考える根拠を以下に述べる。

作品91に「独唱アルトとヴィオラのための2つの歌曲」という作品がある。実際にはピアノも加わるトリオになっている。このうちの2番は「聖なる子守歌」と呼ばれているが、実はヨアヒム夫妻の長男誕生のお祝いに贈られた作品である。ヴィオラが冒頭で奏するのは「愛するヨーゼフ」という古い子守歌の旋律だ。すでにこのタイトルがヨアヒムのファーストネームと一致している奇遇を味わうべきである。この上に独唱アルトがオリジナルの旋律を重ね合わせて行く。ヨアヒムの妻アマーリエは才能あるコントラルト歌手だ。ブラームス歌曲のいくつかを初演するほどの腕前の持ち主だ。

こんな曲を長男誕生のお祝いに贈った場合、その意図は明確である。「一緒にアンサンブルをしよう」というお誘いに等しいと見るべきだ。ブラームスのピアノに、ヨアヒム夫人の独唱、そしてヨアヒムのヴィオラというアンサンブルが演じられたことは確実だ。手が大きいらしいヨアヒムのことだから、初見だとしてもキッチリ弾きこなしたことは想像に難くない。赤ン坊の傍らで弾かれる曲だからヴィオラにバリバリの超絶技巧が要求されている訳ではない。公式記録こそ無いがブラームス、アマーリエ、ヨアヒムのメンバーが初演者であることは確実である。それどころか演奏が終わって3人が笑顔で微笑みを交わしあったに違いないとまで断言したいくらいだ。

おそらくヨアヒムはヴィオラを弾いた。無論それをブラームスは当然知っていた。

2021年6月 4日 (金)

子守歌のルーツ

「ブラームスの子守歌」として世界的に名高い「作品49-4」は、ハンブルク女声合唱団のメーバーであり、ウィーン出身のベルタ・ファーバー次男出産のお祝いにと贈られた作品であることは有名だ。

ベルタはブラームスにウィーンのメロディを聴かせたことがあったらしい。アレクサンダー・バウマン作曲「思し召しのまま」というワルツだそうだ。ブラームスはこの旋律を変形してピアノ伴奏の右手に置いて作ったのが名高い「子守歌」だ。だからそのワルツ「思し召しのまま」が、子守歌のルーツということになる。

このルーツを聴いてみたいと思い探しているがなかなか見つけられない。楽譜にもCDにも出会えない。

2021年6月 3日 (木)

歌姫シュピース

ヘルミーネ・シュピースはこれまた優秀なコントラルト歌手。晩年のブラームスとのロマンスまで取り沙汰されたという。

シューベルトとの関係で申せばシュトックハウゼンに劣らぬ豪快なエピソードの持ち主だ。「メムノン」と「秘め事」のブラームスによる管弦楽版を、ライプチヒゲッヴァトハウス管弦楽団をバックに歌った。1884年のことだ。指揮はなんとブラームス本人。

1894年に急死しブラームスを嘆かせた。

 

2021年6月 2日 (水)

キリマンジャロ

アフリカ最高峰で標高5895mある。

ブログ「ブラームスの辞書」は本日のこの記事が開設以来5895本目の記事だ。

第二次歌曲特集真っただ中、コーヒーでも飲んでしばし休息。もちろんキリマンジャロ、出来ればブラックで。

2021年6月 1日 (火)

アリーチェ・バルビ

1862年に生まれて1948年に没したオーストリアのメゾソプラノ歌手。1888年にデビュウすると、その容姿と芸風で瞬く間にウィーン楽壇を席巻した。既に60歳に近づいていたブラームスも彼女の虜になったと複数の証言がある。

イタリアの貴族と結婚して人気絶頂のまま引退した。1893年12月21日、ウィーンで送別コンサートが開かれた。シューベルトやシューマン、スカルラッティの歌曲に混じって以下の通りブラームスの歌曲を披露した。

  1. 小夜鳥に op46-4
  2. 死、それは冷たい夜 op96-1
  3. 愛と春Ⅱ op3-3
  4. 我が恋は緑 op63-5

いやはや渋い選曲だ。そしてサプライズが一つ。このリサイタルで伴奏を努めたのが何とブラームス本人だった。自作だけでなく全ての曲を伴奏したらしい。事前に告知されていなかったから、聴衆の驚きは並大抵ではなかったという。

そして彼女は引退したのだが、この演奏会から5年半後、1898年3月にもう一度ステージに立った。今度のプログラムはオール・ブラームスである。残念なことに今度はブラームスの伴奏ではない。無理もない、このとき既にブラームスはこの世に居なかった。ブラームス追悼の演奏会のために、引退を撤回したという訳だ。

この時の詳しいプログラムがなかなか判明しない。

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