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2021年7月31日 (土)

Ade

別れの言葉だ。ブラームスには「Ade」という作品がある。op85-4だ。

シューベルトのテキストを注意深く観察すると印象的な用例がある。

  1. Die bose Farbe(いやな色)D795-17
  2. Abschied(別れ)D957-7

どちらの「Ade」も「A」がアウフタクトに出ていて拍頭に「de」が来るというフレージング。

「いやな色」は歌曲集「美しき水車小屋の娘」全20曲のチクルスの17番目。強力なライバルの出現に遭って自ら身を引く主人公のセリフに出て来る。4節に1回と6節に2回。よくあることとは言えやはり悲痛だ。

「別れ」は歌曲集「白鳥の歌」の7曲目。レルシュターブ供給の1群のラスト。全6節のテキストだが、問題の台詞「Ade」は各節4回ずつ計24回も現れる。その割には曲想は暗くない。徒弟制度が根底にある。「いやな色」と違って恋人との別れが主眼ではない。伴奏の勢いもあってむしろ希望さえ感じられる。

 

 

2021年7月30日 (金)

テキストの中の職人たち

ブラームスでは見かけない「漁師」(Fischer)がしばしばタイトルに登場すると述べた 。しかしこれはどうやら漁師に限った話ではないようだ。漁師以外の職業も調べてみた。タイトル中に職業が現れる作品をドイチュ番号の若い順に列挙する。

  1. D44 墓堀人の歌(Totengraber)
  2. D77 潜水者(Taucher)
  3. D121 羊飼いの嘆きの歌(Schafer)
  4. D149 歌びと(Sanger)
  5. D163 歌びとの朝の歌(Sanger)
  6. D208 尼僧(Nonne)
  7. D209 吟遊詩人(Liedler)
  8. D212 尼僧(Nonne)
  9. D215 狩人の夕べの歌(Jager)
  10. D225 漁師(Fischer)
  11. D247 糸を紡ぐ女(Spinnerin)
  12. D256 宝を掘る人(Schatzgraber)
  13. D274 指物師の歌(Tischer)
  14. D351 漁夫の歌(Fischer)
  15. D358 狩人の夕べの歌(Jager)
  16. D369 馭者クロノスに(Schwager)
  17. D392 農夫に(Pfluger)
  18. D397 騎士トッケンブルグ(Ritter)
  19. D449 よき羊飼い(Schafer)
  20. D454 兵士への挽歌(Soldaten)
  21. D490 羊飼い(Schafer)
  22. D517 羊飼いと騎士(Schafer、Ritter)
  23. D524 アルプスの狩人(Jager)
  24. D536 船乗り(Schiffer)
  25. D560 金細工師の歌(Goldschmied)
  26. D562 漁夫の歌(Fischer)
  27. D588 アルプスの狩人(Jager)
  28. D694   船乗り(Schiffer)
  29. D712 囚われの歌びと(Sanger)
  30. D761 羊飼いの願い(Schafer)
  31. D785 怒れる吟遊詩人(Liedler)
  32. D795 狩人(Jager)
  33. D808 ゴンドラの船人(Schiffer)
  34. D828 若き尼僧(Nonne)
  35. D842 墓堀人の郷愁(Totengraber)
  36. D843 囚われし狩人の歌(Jager)
  37. D881 漁師の歌(Fischer)
  38. D909 狩人の愛の歌(Jager)
  39. D911 辻音楽師(Leiermann)
  40. D933 漁夫の愛の幸せ(Fischer)
  41. D957 戦士(Krieger)
  42. D957 漁夫の娘(Fischer)
  43. D965 岩の上の羊飼い(Schafer)

以上43曲。出現頻度をまとめると以下の通り。

  1. Fischer(漁師)6回
  2. Goldschied(金細工師)1回
  3. Jager(狩人)7回
  4. Krieger(戦士)1回
  5. Leiermann(辻音楽師)1回
  6. Liedler(吟遊詩人)2回
  7. Nonne(尼僧)3回
  8. Pfluger(農夫)1回
  9. Ritter(騎士)2回
  10. Sanger(歌びと)3回
  11. Schaffer(羊飼い)6回
  12. Schatzgraber(宝堀人)1回
  13. Schiffer(船乗り)3回
  14. Schwager(馭者)1回
  15. Solderten(兵士)1回
  16. Spinnerin(糸紡ぎ)1回
  17. Taucher(潜水夫)1回
  18. Tischer(指物師)1回
  19. Totengraber(墓堀人)2回

狩人7回、羊飼い6回、漁師6回がトップ3だ。同じ「Fischer」でも日本語に転写する際に「漁師」と「漁夫」に分かれるなど、注意も要る。D517で重複があるので頻度の合計は44になる。翻ってブラームスで同じことを試みる。

  1. Jager(狩人)op95-4
  2. Schmied(鍛冶屋)op19-4
  3. Tambour(鼓手)op69-5

以上だ。歌曲総数573で44回、7.7%のシューベルトに対し、ブラームスは総数204曲で3回1.5%だ。テキストの取捨選択が作曲家の個性とするならこれはもう両者のキャラの反映だと思われる。ほかの作曲家でトライしてみないとどちらが主流かわからぬが、暑くてやる気が出ない。

タイトルにとどめず、テキストに踏み込んだらかなり増えると思われるが、ブラームスはともかくシューベルトの全テキストをあたるのは腰が引けている。タイトルだけでは「粉屋」(Muhller)が引っかからないなど、必ずしも公平ではない。

春夏秋冬を彩る花鳥風月や雨風雪あるいは、恋、旅など古典和歌でも頻発する概念であれば、日本人でもイメージしやすく感情移入も容易だけれど、これら職業名には注意が要る。ドイツ人なら一連の職業名を見聞きしただけで特定のイメージを想起できるはずだが、一般的日本人には難しい。「海士の小舟の綱手かなしも」の「海士」(あま)が「Fischer」と同じ概念であるはずはない。作品の味わいに少なからぬ影響があるに決まっている。

 

 

 

2021年7月29日 (木)

シューマンをどうする

今日はロベルト・シューマンの命日である。この度の第二次歌曲特集の準備に際し、参照した作曲家は少なくない。シューベルトは別格としてシューマンはかなりな位置づけだ。ブラームスとの縁浅からぬという切り口ならシューベルトを軽く凌駕する。ブラームスを世に出した恩人でありクララの夫ということだけでも赤文字特筆大書の上にアンダーラインが要る。

ブラームスの歌曲を音楽史の流れの中で再把握するにあたり、シューマンの歌曲だってまとまった数聴いたのだが、シューベルトに比べると引っかからなかった。ブラームスの伝記にシューベルトの歌曲との関連をにおわせる記述が頻繁に現れるのに対し、シューマンの歌曲はスルーに近い。シューベルト歌曲の編曲にだってしばしば手を染めているのに、シューマンの歌曲を編曲したことは聞かない。

こと歌曲というジャンルにおいてはシューマンという切り口がキーにならないということなのだ。ほんの情報収集のつもりで聴きかじったシューベルトの歌曲にはみるみるうちにはまりこんだのとは対照的だ。

今は、その直感を信じることとする。ブログ「ブラームスの辞書」のゴールまでまだ12年ある。いよいよ記事に困ったとき、またシューマンに立ち戻るのもよいではないか。

2021年7月28日 (水)

就職試験

1857年5月31日。ブラームスはデトモルトの宮廷を訪問して1週間滞在した。同宮廷でピアノを教えていたクララ・シューマンが英国に演奏旅行することになったために、クララ自身がブラームスを後任に推挙したためだ。その1週間、ブラームスはピアノを教えるかたわら、バッハやベートーヴェンの作品を演奏する機会を与えられた。いわば就職試験である。

結果はもちろん合格。そりゃあまあクララの推挙だから限りなく当確なのだろうが、一応試用期間があったと見るべきだろう。

なんということか、その期間中、ブラームスはシューベルトのピアノ五重奏曲イ長調「ます」をピアニストとして演奏した。同曲第4楽章は歌曲「ます 」D550の旋律がそのまま引用された変奏曲である。ピアノパートがどれほどの腕前を要求されるものかわからぬが、15歳で「ワルトシュタイン」を弾いたブラームスだから問題は生じなかったと思われる。聴いてみたい。

「Fischer」でネタで忙しくて言い忘れた。

 

2021年7月27日 (火)

野の寂しさ寿

母の誕生日。本日で満86歳になる。12年前からブラームス歌曲の私的最高峰の座を譲らない「野の寂しさ」(Feldeinsamkeit)は作品番号で申せばop86-2だ。第二次歌曲特集の真っただ中に86歳の誕生日が来るとは、やっぱり母は持っている。

すっかり在宅勤務が定着した私は、通勤時間の消滅をいいことに、夕食の支度のために母とキッチンに立つのが日課になった。子供たちの母代わりとなって四半世紀。ずっと夕食の支度を一人でこなしてきたが、いろいろしんどくもなってきている。夕食をとるメンバーを考慮し献立を考え、買物をして調理する。このところ母の支度を手伝うことが定着するとその大変さがわかる。炒め物は代わりに引き受ける。母のアシスタントとして食材や食器を揃えて渡す。みそ汁の作り方も習得できた。そして同時に会話が弾む。母は大抵の料理は「暗譜」している。レシピがあっても適当に「変奏」を施す。そして毎回おいしい。

とてもよいことだ。

2021年7月26日 (月)

ウルフルーが漁をするとき

D番号でいうと「ます 」の25番前のD525にひっそりと鎮座する作品で「Wie Ulfru fischt」という。

名高い「ます」は狡猾な漁師に釣られてしまう哀れな魚の歌だが、こちらは魚の立場からヘボな漁師を嗤う歌だ。3節で構成された有節歌曲なのだが、その2節目に「Forellen」(ます)が現れる。漁師を嗤うのはますかもしれない。知名度に雲泥に差があるけれど妙にバランスがとれている。音楽の授業なら子供たちにはこちらも紹介したいくらいだ。

とまあ、これもまたタイトルに「Fischer」が出現しないだけで、中身には漁師満載だ。シューベルトは漁師がらみのテキストが好きかもしれない。

2021年7月25日 (日)

ます

オリジナルでは「Die Forelle」と綴る。魚の「ます」である。ドイチュ番号「550」を背負うシューベルト歌曲の代表格で知名度で申すなら頂上付近だ。ピアノ五重奏にも主題が転用されて名高い。シューバルトという名前の紛らわしい詩人のテキスト。バランスのとれた有節歌曲だ。

小川を元気に泳ぐますの描写に始まるが、狡猾な漁師の策にはまって釣られてしまう。水を濁らせるところの引き締まった転調がシャープだ。オリジナルには、だから身を慎みなさいと言う教訓を含むのだが、その部分は省略されている。

そう。タイトルにこそ現れないがこれもFischerが出現する。

2021年7月24日 (土)

漁師の系譜

ブログ「ブラームスの辞書」上でシューベルトの歌曲を辿る旅を続けている。案内人は歌手のディートリッヒ・フィッシャーディースカウ先生だ。お名前の中ほどに「フィッシャー」とある。ドイツ語では「Fischer」と綴るのだが、これが「漁師」の意味である。末尾の「ディースカウ」にも注目だ。語尾「au」は水辺を意味する地名語尾にもなっている。「漁師」と「水辺」は縁語みたいなものでおさまりがいい。

さてその「漁師」だが、シューベルト歌曲作品を眺めているとたびたびお目にかかる。D番号順に列挙するとおよそ以下の通りとなる。テキストの供給者名も添えておく。

  • D225 漁師/ゲーテ
  • D351 漁師の歌/ザリス・ゼーヴィス
  • D561 漁夫の歌/ザリス・ゼーヴィス
  • D881 漁師の歌/シュレヒタ
  • D933 漁師の愛の幸せ/ライトナー

タイトルに「Fischer」が存在する作品だけでこのありさまだ。何故このようなことを申すかといえば、ブラームスには1曲もないからだ。ブラームス歌曲にはタイトルに「Fischer」が出現しない。そういうテキストを選ばないとうことだ。作品総数に3倍の差があるけれど押さえておきたい。

2021年7月23日 (金)

粉屋と狩人

昨日の記事「ドイツ職人紀行 」でシューベルトの「美しき水車小屋の娘」の中、粉屋の娘に恋をした主人公がやがて一人で立ち去るのは賢明だと書いてあった。いわく「どこの馬の骨かもわからぬ風来坊が街の名士の令嬢に近づけば袋叩きにあう」と。

同曲集の14番目「狩人」を聴けば、主人公の恋のライバルが狩人だったとわかる。ここでちいさな疑問。粉屋志望の若者が袋叩きに遭うのに狩人はそうならないのだろうか?

日本人にはわからぬ不文律が一つや二つありそうだ。「粉屋NGだが狩人はOK」みたいな。江戸時代の「士農工商」のような職業の序列があったのだうろうか。

ドイツ民謡の世界で「狩人」と言えば、ガールハントに忙しい若者の象徴だ。時に「鹿狩り」は、ナンパを意味する。か細くてつぶらな瞳の鹿は乙女を象徴するからだ。恋のライバルが狩人というだけで、なんだか手ごわそうだ。

2021年7月22日 (木)

ドイツ職人紀行

これまた素晴らしい本。

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さまざまなドイツの職人たちを切り口にしたエッセイ。歴史や地理に密接につながっている。地名、人名にも深く関係する。その49ページに「粉屋」が出て来る。粉屋は「ミューラー」でドイツではとてもメジャーな苗字。ほぼ集落に一軒ある水車小屋の主人である。水車小屋とはいっても石造のりっぱなつくりで必ずしも「小屋」というイメージとは一致しない。ジャガイモが台頭する以前のドイツの主食はやはり小麦で、これは粉ひきという工程抜きには語れないから、粉屋は最重要だという。運び込まれた小麦の倉庫もあり、防虫防鼠の備えもある。川の水利権まで持っていた街の名士だとされている。

一般的解説に続けてなんとシューベルトが取り上げられる。「水車小屋の娘」はその街きっての令嬢だとされている。歌曲集「美しき水車小屋の娘」では粉屋の修行でさすらう若者が修行先の娘に恋をするが、やがて自ら身を引く。どこの馬の骨かわからぬ風来坊がお嬢様に手を出すと、取り巻きから袋叩きにされるから、自ら去るのは賢明だと説く。

「フランダースの犬」の主人公ネロの憧れの相手は粉屋の一人娘アロアだった。同じ粉屋でもこちらは風車小屋の娘だ。

同じ粉屋でも、娘ではなくて女房というなら、ファリャ「三角帽子」に登場する。代官が見初めるというパターン。何かと人気者だ。

 

 

2021年7月21日 (水)

ウィルヘルムミューラー

三大歌曲集のうちシューベルト本人が正式に関与しているのが「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」だと書いた。その両方にテキストを供給したのがウィルヘルム・ミューラーその人だ。1794年デッサウに靴屋の親方の息子として生まれベルリンに学んだ。作品の一部が学生歌になっている他は、あまり接する機会がないとフィッシャーディースカウ先生が嘆いておられる。

がしかしシューベルトの2つの歌曲集によってその名前は永遠に記憶されることは確実だ。

まずは「美しき水車小屋の娘」から。そもそも靴屋の息子なのにミューラーなのはこれいかにだ。その彼が「水車」を題材にするのは何らかの必然を感じてしまう。シューベルトは、とある友人の家でこのテキストに接し、即刻作曲を試みる。冒頭と結尾の他いくつかを省略し、順序を手直しすることで、連続した演奏でひとつの物語になるように仕立てた。

徒弟制度が根底にあり、親方に許されて各地を修行して回る若者が主人公である。修行先の水車小屋の娘に惚れて、ということは師匠の娘を見初めたということになるのだが、強力なライバルの出現に自ら身を引くという筋立て。これを読んだ大衆には「よくあるよくある」という類の共感が生じ、そこにシューベルトの絶妙の付曲が強烈な相乗効果を生んだと解される。

「冬の旅」はそれほどの物語性はない。短調優越で全体のトーンが暗い色調で貫かれているのは、テキストの持つ雰囲気の忠実な反映だ。作曲は1827年だからシューベルトの没する前年であるばかりか、ミューラーの没した年になっている。生涯一度も会うことのなかった二人の「白鳥の歌」の座に近いのはむしろこっちだと感じる。

 

 

2021年7月20日 (火)

美しき水車小屋の娘

ドイチュ番号795を背負ったシューベルト三大歌曲集のトップバッター。オリジナルは「Die schone Mullerin」という。赤文字はウムラウトだ。ドイツ語でいうと深々の説得力あるタイトルなのだが、これには、ドイツリートの邦訳になにかとついて回る「こうするしかない」という絶望がある。「冬の旅」や「白鳥の歌」ではそれほどの絶望感はないことと対照的だ。

ドイツ語で「ミュール」(Muhl)は水車。水車は大抵集落に1か所だ。本来の用法は粉挽きである。主要作物の小麦を粉にするための動力源だ。農民は小麦を収穫しても、粉にせねばパンにならない。だから水車小屋に持ち込んで粉にする。持ち込んだ小麦が正当な量の小麦粉として還元されるかは、水車小屋の持ち主の「ミューラー」さんの匙加減次第。だからミューラーさんは羨望の的。昔の日本で言えば、村長さん的位置づけで、人々の憧れとなって、ミューラーという姓はドイツで最大勢力となった。その語尾に「in」が付与されて女性の定冠詞「die」と合わせて「水車小屋の娘」となるが、集落一の名士の娘と思っていい。しかも「美しい」とあっては、さすらう若人の花嫁候補として誠に理にかなっているのだが、それだけライバルも多い。

とまあ、これくらいの予備知識がないと邦訳の難しさや不自然さに理解が及ばない。

2021年7月19日 (月)

三大歌曲集の光と影

「シューベルトの三大歌曲集」といえば下記

  1. 美しき水車小屋の娘 D795
  2. 冬の旅 D911
  3. 白鳥の歌 D957

歌曲史上に燦然と輝く金字塔だと刷り込まれてきている。あまりにすりこみが強烈なので看過できない誤解が生じていた。

まず、上記の3「白鳥の歌」はシューベルトの没後、出版社によって歌曲集然とした体裁で出版された、いわばマーケティング上の産物。当時としても早世の部類に入る死没を悼む世間に対する巧妙なアプローチだ。白鳥は死ぬ前に一度だけなくという言い伝えを巧妙に呼応させたのは見事だが、これを連作歌曲集と同等に扱うには注意が要るという。

シューベルトが他にもたくさんの歌曲集を作っていて、それらの中でこの3つが特段に優れているという訳ではない。むしろこれしかない。人間「三大なんとか」が好きなせいもある。

そしてそして最大の誤解は、これら3作がシューベルト歌曲の頂点に君臨するわけではない。三大歌曲集という割には、4つ以上存在するわけでもなく、ましてや全歌曲の頂点でもない。そもそも3つめの「白鳥の歌」は本人の意志かどうか怪しい。

気合を入れてシューベルトに接するようになってわかってきた。

 

2021年7月18日 (日)

シューベルトの作品1

オリジナルは「Erlkonig」(oはウムラウト)という。ほとんどの日本人にとってシューベルト初体験になるはずだ。中学で習う。私の時は無残な日本語版を聞かされた。

「op1」「作品1」は多くの場合出版デビュー作だ。古典派以降、作品の出版が一般化してくると出版イコール発表になるのだが、作曲順とは必ずしも一致しない。シューベルト作品の体系D番号で申せば328なので、op1魔王に先行する作品が327も存在するということだ。

  1. 作曲1815年12月
  2. 初演1821年1月25日
  3. 出版1821年4月2日

興味深い。若干18歳の作品だ。今年は初演出版から200年というメモリアルイヤーである。語り手、父親、子供、魔王を一人の歌手が演じ分けるという構成。伴奏ピアノにまとわりつく三連符。6個の上行音階は「ます」と一致するが効果は対照的。

テキストはゲーテ。父親に抱かれた子供を甘言で誘う魔王。子供の死という衝撃的なエンディング。けして長くはないのにストーリー上の起伏が大きい。思うに魔王は病魔ではないか。一夜のうちに容体が急変して命を落とす疫病かとも。当時の市民はみな似たような経験があるから他人事ではないということもあってシューベルトの名は広く知れ渡ることになる。

2021年7月17日 (土)

相乗効果

昨日の記事「シューベルトの歌曲を辿って 」で、大歌手ディートリヒ・フィッシャーディースカウ著の書物について述べた。グラムフォンへのシューベルト歌曲全集録音に先立つ作品解釈のために収集した楽譜や資料を分析した結果、1冊の本になったと彼自身が著作の中で述べている。そこでは録音が全歌曲作品でないことも律儀に言及する。いわく「テキストの内容から判断して男性に歌われない方がいい作品は対象から省いた」と。

先般の記事「探索の音源 」で紹介したシューベルト歌曲全集こそがまさにその果実だった。買い求めたのはドイツ版で日本語解説は無いのだが、こちらの書物を読めば演奏家本人の著述による解説が読めるということに他ならない。

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いやもう本当にすごい。大歌手でありながら、知識の裾野が広大で目がくらむ。何よりも何よりもシューベルトへの愛がこぼれるほどだ。作品の一般的は知名度は度外視して、純粋に彼の興味の厚みがそのまま著述の量につながっている感じがする。シューベルトへの傾倒を別として目立つのは、テキストの供給者に対する温かで深い視線だ。それが大文豪であろうと無名の青年であろうと変わらない。

巻末の人名索引にはブラームスも出て来る。これによれば全部で15回ブラームスへの言及がある。有名作曲家の中ではベートーヴェンに次ぐ頻度だ。

2021年7月16日 (金)

シューベルトの歌曲をたどって

素晴らしい書物のタイトル。オリジナルは「Auf den spuren der Schubert-Lieder」という。著者は不世出の大歌手ディートリヒ・フィッシャーディースカウ先生だ。1971年の出版で、全訳の出版は1976年。この度の歌曲特集を展開するために不可欠ということでネットで購入。

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2012年のフィッシャーディースカウ追悼の復刻版である。定価より高いというよくあるパターンだが背に腹は何とかで購入。

すごい本だ。買ってよかった。シューベルトの生涯を折々の歌曲作品で辿るという趣旨なのだが、学者然とした目線と大芸術家というスタンスが絶妙なバランスを見せる。ほぼ作曲順に作品をトレースするという縦糸に、テキストの作者という横糸を混ぜ、楽譜、手紙、批評、日記などの様々な資料に裏付けられた堂々たる学問書だ。

シューベルトの歌曲作品をブログ上で辿る際の優秀なガイドブックとしてこの先頻繁に引用することとする。

フィッシャーディースカウおそるべし。

2021年7月15日 (木)

お盆のファンタジー45

座はやがて即席演奏会になっていた

みなでシューベルト先生の作品を次々と歌う。「ます」「魔王」「菩提樹」「死と乙女」「子守歌」「アベマリア」「セレナーデ」など続く。ブラームス先生はどの曲もとっさに伴奏をつける。これにはシューベルト先生も驚いた。「まじ暗譜しとるんか」と。それには答えずに「次は?」と聞いてくるブラームスだ。

それではと私がブラームス先生の「五月の夜」を歌い始めたが、「その手のつまらん作品は暗譜していない」とブラームス先生。ブラームス先生が伴奏をしようとしないのにシューベルト先生は「あれ?」という表情だ。「そのテキスト、ヘルティ?」と真顔で質問する。「ばれたか」とブラームス先生。「さっきのドイチュ番号表の194番にあるじゃろ」と言う。シューベルト先生と同じテキストに作曲しちまったんだ。「ヘルティ先生のテキストはいいよね」と言うとシューベルト先生は「言える言える」と嬉しそうだ。「有節歌曲としての収まりっぷりだけなら最高だ」とはしゃぐ。

五月ならぬ七月の夜が深々と更けていった。

「さてお二人におみやげがあります」と私。出来立ての「ブラームス歌曲私的ベスト24 」のCDを渡した。これに喜んだのはシューベルト先生だ。「私がいくら貴殿の作品の話をしようと言っても全く取り合ってくれないんで」とブラームスを横目で見ながらチクリだ。「道中ずっと私の作品の話ばかりで王子の作品の話が出来なかったよ」どうやらシューベルト先生はブラームスの歌曲を聴きたいのだ。

「帰りの道中は是非お楽しみください」と私が言うと、ブラームス先生は「しょーがねーなー」という表情だ。

さっきかえって行った。

 

 

 

 

2021年7月14日 (水)

お盆のファンタジー44

音楽の三要素と言えば一般に「旋律」「リズム」「和声」とされとるが、ドイツ音楽伝統のリートに限ればこれに「テキスト」が加わると申していい。とブラームスが話を変える。ドイツリートは必ずテキストが先行する。テキストに接した作曲家の脳内に起きるインスピレーションこそが始まりだ。これはどうあっても不動だ。作曲家によるテキストの取り扱いが見どころ聴き所となる。和声、リズム、伴奏によりテキストのイメージを具体化するわけじゃな。

シューベルト先生の飲み物はいつの間にかワインに変わっていたが、相変わらずにこにことうなずいている。

テキストに関して作曲家が出来ることは限られていると感じる。次の3つくらい。とブラームス先生がドイチュ番号表の余白に鉛筆で書き出す。

  1. テキストの採用不採用 その詩に曲をつけるかどうか。
  2. テキストの詩節の省略 オリジナル4節にうち1節省くとか。
  3. リフレイン オリジナルにない語句の繰り返し。

シューベルト先生から学んだのは特に2と3じゃな。テキストが有節歌曲として様になるかと自問する。2と3で上手に処理すれば大抵は有節歌曲になる。「それでもだめなら不採用ですね」と我が意を得たりの風情でシューベルト先生が続けた。「加えて」とまたまたブラームス先生が続ける。「テキストが持つ詩としての抑揚やフレージングに合わせて適切な音を当てていく」「ここに無理は禁物じゃ」「なあにテキストに心から共感できていれば、容易いこと」「気の利いた伴奏や転調は勝手に湧いてくる」

「だから」とシューベルト先生が続ける。「つくづく1番のテキスト選びが大切なんだ」と。「作者の知名度にはほぼ相関関係はない」「最初の直感が大抵正しくて、後からいじくりまわすと悪くしてしまうことが多い」

独訳聖書からこれと思う語句を選んで曲をつけるという「4つの厳粛な歌」の手法は斬新ですねと私が横やりを入れる。「おお。確かに」とシューベルト先生が同意する。「チョイスもまた芸術ですね」

 

 

2021年7月13日 (火)

お盆のファンタジー43

「歌曲の王子」と無茶ぶりされて顔を赤らめたブラームス先生だったが、ここまでずっとにこにこと話を聞いているだけだったシューベルト先生が興味深そうに乗り出してきた。「して、歌曲の王とは私のことですか?」と、とぼけまくった質問にブラームス先生はビールを少し吹いた。口元をぬぐいながら「いかんいかん道中肝心な話をしていなかった」「とっくに知っているかと思った」と。考えれば後世の歴史家や研究家の評価なんぞ本人は知るはずもない。

そりゃあ、声楽作品は神代の昔から山ほどある。しかしドイツ語の詩作を題材にピアノ独奏の伴奏と1人の声楽というジャンルの創始者は間違いなくシューベルト先生じゃな。そりゃあモーツアルト、ベートーヴェンの両巨頭にだって定義を満たす作品が無いわけではないがね。ゲーテ先生とシューベルト先生の出会いが全ての始まりだったとわしはにらんでおる。「誰にでも歌える」がモットーだったプロテスタントの賛美歌と違って、歌手にもピアニストにもそれなりの技量を要求する。オペラと教会以外に歌手たちの働き所を作った功績は量りしれん。

とまあ立て続けだ。黙って聞いていたシューベルト先生がボソっと口を開いた。「私が王で、あなたが王子ということは、あなたが歌曲においての私の正当な後継者という意味なのですか?」これにブラームス先生はジョッキを持ったまま凍り付いた。

「そうなんです」と乗り出す私。「間違いありません」。最近それが確認したくてシューベルト先生の作品を浴びるほど聞きましたが、仮説はもはや確信に変わりました。作品の総数こそシューベルト先生の3分の1程度ですが。

「何故そう考える」とシューベルト先生とブラームス先生が同時につぶやく。

総数およそ600曲で、さまざまな領域に及ぶシューベルト先生に対し、その一部を正当に継承していると感じます。一部とは「有節歌曲」です。その繊細な変形まで加えればこれがブラームス先生の歌曲創作の根幹にあります。とりわけ短い作品を多く生み出しています。ディテールに富んだ伴奏や調性の繊細な取り扱いなどにDNAを感じます。これに対しレチタティーヴォ付歌曲や長大なバラードはには背を向けています。狭い意味での「リート」は「有節歌曲」だった歴史的な意義をじっくりトレースしているのがブラームスさんです。

私が一方的にここまでまくしたてて、一瞬座が沈黙した。

そうした歩みの果てに最後にたどりついたのが「4つの厳粛な歌」だと感じます。おずおずと私。

「シューベルト先生には例のない独訳聖書からのテキストじゃの?」とブラームス先生がおもむろに口を開く。「ウイーン生まれのシューベルト先生はカトリックで、わしはルター派と言いたいんじゃな?」と付け加えた。「むしろシューベルト先生の倍も長生きされた結果かと」私が控えめに反論する。

「そっちか」と大笑いのブラームスさんだった。

 

 

 

 

 

2021年7月12日 (月)

お盆のファンタジー42

「今年の流れで、彼以外を連れてきたら、あとあと何を言われるかわからんからな」とマスクのブラームスは、いきなりのどや顔で紹介してくれた。

「シューベルトです。握手は控えますか?」と空気を読めるシューベルトさんだ。見覚えのある丸メガネは音楽室の肖像通りだ。「わしらは楽友協会で職域接種をすませたところじゃ」とブラームスさんが割り込む。「我が家は母だけが接種済みですが」と両手で握り返すと「フランツと呼んでくれ」とフレンドリーな返事が返ってきた。「現在ブログ上で事実上のシューベルト特集を展開中なんだ」と、はしゃぐと、お見通しのブラームスさんは「道中フランツとその話をしてきたところだ」とどや顔の上塗りである。

「ここだけの話、シューベルト先生の魔王は、あれは病魔だ」「我々の時代、コレラやスペイン風邪などたびたびパンデミックに襲われている」「魔王のテキストは庶民にとって遠くの話ではないんじゃ」「あれがop1でいいんだか悪いんだか」とブラームス節が早くも全開だ。

立ち話もなんなんでとリビングに招き入れてビールを用意した。ジョッキを持って立ち上がったブラームスさんがいきなり歌い出した。すぐにシューベルトさんも唱和して「プロジット」と盛り上がる。「大丈夫19時までには飲み終わる」と訳知り顔のブラームス。「TrinkLiedじゃ」と教えてくれた。「テキストはシェークスピア」と付け加えるのも忘れない。私が「D888ですね」というと二人とも「はて?」という顔付き。「D番号はシューベルト先生の作品を整理する番号ですわ」と説明するとブラームスさんは興味深そうに身を乗り出して「バッハ先生のBWVみたいなもんかの」とさすがのつっこみ。

その間シューベルト先生はにこにこと笑っているだけだ。

次女が2階から降りてきて「はい。これ」と言ってシューベルト先生のD番号のリストを二人に差し出した。「オットーエーリヒドイチュ先生によってこのリストが出来たのは1914年なのでブラームス先生が知らないのも無理はありません」と説明した。「これは便利なものがあるな」とブラームス先生。「BWVのようにジャンル別なのとどちらがいいかと言われれば、わしなら作曲順を採る」と独り言。鉛筆で何やら印をつけていると思ったら、あっというまにこちらに向き直って「リート全てに印をつけておいたよ」と。「タイトルだけ見てわかるのですか」と次女が目を丸くして尋ねる。「ああ」とこともなげのブラームスさんだ。「旋律が思い浮かぶどころかピアノ伴奏まで頭に入っているわい」と付け加えた。

「楽譜は無いのか」とブラームスさんが次女に向かって尋ねる。「ブラームス先生の楽譜なら全てそろっているのですが、シューベルト先生の作品はまだそろっていません」と次女。「三大歌曲集と一部の歌曲抜粋だけですわ」と私がポリポリと頭を掻く。

ブラームス先生はすぐにスマホを取り出して電話するや早口で何か言っている。あっという間にこちらに向き直って「ウイーンのマンディに言ってさっそく楽譜を送らせるよう指示したから。ラインではなかなか既読つかんからな」と言う。「仕事はやっ」と次女。「膨大な量になるのでとりあえずリートだけじゃよ」とブラームス先生。「わしは全部暗譜してるが、盛り上がるには楽譜があったほうがいい」とまたまたどや顔だ。

「歌曲の王と王子に乾杯!」と今度は次女が勢いよく立ち上がった。

歌曲の王子は耳まで真っ赤にして飲み干した。

 

 

2021年7月11日 (日)

話を繋ぐ

初対面から日の浅い者同士が同席した場合、会話が続かないということがままある。この時に起きる気まずい沈黙が苦手という向きは多い。ましてや相手が目上の人やいわゆる大物だったらこの気まずさはさらに増幅する。

相手と打ち解けて何ぼのベテラン営業マンは、経験上ノウハウを持っていることが多い。床屋さんやタクシーの運転手もきっと同じだと思う。つまりどんな相手でも間が持つ話題を1つ2つはいつも用意しているのだ。天気、ゴルフ、野球、他一般の時事ネタだ。これらを相手の性別、年齢やその場の空気により使い分けているのだ。

ブラームス相手にこれをやるのは至難の業だったらしい。元々有名人ハンターにつきまとわれることが多くて歳とともに警戒モードがエスカレートしたブラームスだから相手は大変だ。逆に言うとこの段階での気の利いたセリフ一つですっかり打ち解けた人もいるが、それはあくまでも少数派だ。

当時の楽壇を二分した大論争の片方の首領だということは、音楽関係者だったら皆知っていた。会話をつなぐためにワーグナー派批判を展開する輩が多かったらしい。ワーグナー作品への批判に加え、その取り巻きへの批判も含まれていよう。この手の輩は大抵、こっぴどく説教されたとホイベルガーが証言している。大して曲を知りもしないで、自分へのご機嫌取りのための発言であることがバレバレなのだ。

ワーグナーだけではない。過去の作曲家への安易な批判には断固抗議したという。バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンに加えシューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ドヴォルザークあたりが擁護の対象だった。打ち解けた相手にはこれらの作曲家の批判もときたましているから、ただ闇雲に肩をもった訳ではない。

本人の作品を誉めるのはさらに逆効果だという。曲を深く知った上での発言かどうかがたちどころに判るからだろう。スイスの詩人でブラームスのお友達のヴィトマンの証言は興味深い。

スイスアルプスの絶景に触れ感動したヴィトマンは、ブラームスに向かって「このような素晴らしい景色は、詩や絵では表現出来ない」と言った。これに対してブラームスは「この正直者」と言ってたいそう喜んだという。「このような景色を見ると、先生(ブラームス)の交響曲○○番の第●楽章を思い出します」などと見え透いたことをいう輩が多いらしい。

もし私がブラームスに会ったらなんて言おうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月10日 (土)

発起人団

高名な作曲家の作品全集は、個人や一出版社の手には余ることが多い。大作曲家ともなれば作品の総数は数百に届くし、ジャンルは多岐にわたる。バッハもベートーヴェンもモーツアルトも、もちろんブラームスもそうだ。だから全集の出版を目的として協会が設立され、人々が力を合わせることになる。

シューベルト協会は1884年に設立され、1897年にかけてシューベルト作品全集の出版にあたった。バッハ、ヘンデル、モーツアルト、ベートーヴェンに次ぐタイミングだ。メンバーには、クリュサンダー、シュピッタ、マンディチェフスキーに並んで、案の定ブラームスも名を連ねた。クリュサンダーはヘンデル、シュピッタはバッハの泰斗である。当時のウイーン楽壇の英知を結集するかぐわしいメンバーだ。

このうち歌曲編集の主幹はブラームス一の子分マンディことオイゼビウス・マンディチェフスキーその人だ。なんせウィーン楽友協会の司書だ。マンディは何かと師匠ブラームスに相談した。ブラームスはあれこれと苦言も呈するが基本的には仕事ぶりをほめている。

だから、ブラームスは当時のシューベルト研究の最先端の情報に頻繁に接していたと考えていい。

2021年7月 9日 (金)

シューベルティアーデ

「シューベルトを囲む会」のこと。そこそこの著名人にでもなれば誰にでも発生すると思われるが、このような言い回しはシューベルトに限られる気がする。ブラームス初訪問のころ、リストを取り巻く仲間がまるでサロンのようだったとされているが「リスティアーデ」とは言われていない。ワーグナーについて回る「ワグネリアン」には「ワーグナーを囲む」イメージがない。何か定義でもあるのだろうか。

シューベルティアーデはウィーンのある篤志家が、自宅を自由に使わせていて自然発生したらしい。シューベルト作品を中心に仲間が集まって、演奏会を開くようになった。室内楽、連弾を含むピアノ曲、声楽アンサンブル、そして独唱歌曲だ。シューベルトはまさにこの集まりのために作品を供給した。

大編成の管弦楽にはなじまぬが、シューベルトを考える上で不可避の概念だそうだ。

もちろん「ブラームシアーデ」という言い回しも聞かない。

2021年7月 8日 (木)

レントラー

Landlerと綴られる。aはウムラウトである。ドイツに起源を持つ素朴でゆったりとした4分の3拍子の舞曲だ。ワルツの起源をめぐる議論の中で、しばしば言及される。ワルツの起源をレントラーに求める学者は少なくないという。レントラーをウイーン風に洗練させたのがワルツと見る人もいる。その言い回し、文脈を見れは「ワルツ=レントラー」でないことは明らかだ。

ところがブラームスにおいては両者の区別は曖昧である。作品52の「愛の歌」、作品65の「新・愛の歌」はタイトルにはっきり「ワルツ」と明記されていながら、発想記号には「レントラーのテンポで」と記されているのだ。「tempo di waltz」とはなっていないのだ。

さらに「ブラームスのワルツ」として有名なイ長調を含む「16のワルツ」op39は、その第一番の冒頭に「Tempo giusto」(きっかりのテンポで)と記されるばかりで、これまた「tempo di waltz」という言い回しを避けている。この16曲のワルツの作曲にあたって研究したのが、生粋のウイーンっ子であるシューベルトのレントラーだった。

どうもブラームスは自作に「ワルツ」と明記しながら、実態においては「レントラー」を指向していた形跡があるというわけだ。

ここで言うワルツは、ショパンのそれとは別物で、申すまでも無くウイーンの名物だ。単なる4分の3拍子ではない独特のリズムで出来ている。生粋のウイーンっ子はDNAにあらかじめセットされているそうだが、よそ者にはなかなか習得出来ない感覚らしい。ハンブルグ生まれのブラームスはもちろんよそ者だ。変に背伸びしてウイーンっ子の感覚を追い求めることを諦めて、レントラーに走ったのではないかと感じる。

 

 

 

 

 

 

2021年7月 7日 (水)

D945

昨日の記事「D946」で思い出した。その一つ前の「D945」の一件だ。音楽之友社刊行のブラームス回想録集第2巻96ページ。ホイベルガーの証言。

ブライトコップフ最新刊のシューベルトがブラームスと話題になった。それまで知られていなかった歌曲数曲について、刊行の裏話をブラームスが披露したようだ。これによれば、ブラームスがあるアメリカ人の訪問を受け、持参した楽譜帳に意見を求められた。この系統の話は大抵眉唾なのだが、今回ばかりは違って必死に写譜したと言っている。1828年レルシュターブのテキストにシューベルトが付曲したものの、ノッテボームが紛失作品扱いしていた貴重な作品だということだ。シューベルト協会のマンディチェフスキーに言いつけブライトコップフから出版にこぎつけたと。これが「秋めいて冷たい風が吹く」D945だというのだ。1893年3月28日の出来事。

昨日のD946よりさらに25年遅れての出版ということだ。

2021年7月 6日 (火)

D946

「3つのピアノ小品」という。構成は下記。

  1. 変ホ短調
  2. 変ホ長調
  3. ハ長調

1番の自筆譜の日付から死の年1828年の作曲だと考えられている。出版は没後40年を経た1868年。スケッチの状態で発見されたものを編集して出版にこぎつけたが、この時の編集者はなんとなんとブラームスだった。1862年のウイーン進出直後からしばらく続いたシューベルト研究の成果と位置付け得るのだが、当時ブラームスの名前は伏せられていた。

タイトルに明記こそされないが、事実上の「即興曲」だ。1番変ホ短調は、ブラームスのピアノ作品演奏では一番のお気に入りペーターレーゼルの全集に入っていたのを聴いて、望外の収穫だと狂喜した。根拠不明ながらブラームスのインテルメッツォの遠い先祖な感じがする。出版せねばと思い込んだブラームスの着眼が嬉しい。2番変ホ長調は、ブラームスのop117-1変ホ長調のインテルメッツォ然とした風情で立ち上がる。旋律が3度で重ねられるのもブラームスっぽいなどと言っていると中間部のしゃれたいでたちにハッとさせられる。3番ハ長調はブラームスのop116-1のようなリズムのいたずら。聴いた感じと楽譜の落差が際立つ。

3曲とも小洒落たと言うか、気が利いている言うか、垢ぬけてると言うか、シューベルトの公式な即興曲と何ら遜色はないどころか、今やこちらの方がお気に入りだ。

レーゼルもレーゼルで、全集のボックスに収録されたシューベルトの中にソナタや即興曲もなく、小品が少しばかりにとどまっている中、この3曲はキッチリ入っている。ブラームス全集には定評のある人だから、ブラームスの手による編集ということで特段の愛着があったのかもしれないと勘ぐっている。

ブラームスとシューベルトの深い絆を象徴するエピソード。

なんだか温まってきた。

2021年7月 5日 (月)

即興曲

オリジナルは「Impromptus」という。ベートーヴェンを意識してか、ソナタとなるとやけに力が入ってしまうシューベルトなのだが、こうした小品でこそ自由に羽ばたける。全部で8曲が知られる。

<D899>

  1. ハ短調 Allegro molto moderato
  2. 変ホ長調  Allegro
  3. 変ト長調  Andante
  4. 変イ短調  Allegretto

<D935>

  1. ヘ短調 Allegro moderato
  2. 変イ長調  Allegretto
  3. 変ロ長調  Andante
  4. ヘ短調 Allegro scherzando 

なんだかフラット系に偏っている。

ブラームスがピアノを教授する際の教材として、ベートーヴェンのソナタやバッハの教育的作品に混じって、シューベルトの即興曲があったという証言がある。この8曲のうちどれだったかは不明だが興味深い。

ブラームスのop76を皮切りに晩年にかけで生み出されたカプリチオやインテルメツォの遠い祖先という気がする。遠いには遠いのだが、直系と見た。

2021年7月 4日 (日)

ニコラウス・ドゥンバ

ウィーンの実業家。他にもさまざまな肩書き。国会議員、市会議員、貯蓄銀行総裁でもある。何よりも芸術家の支援者だ。さらには自身が有能なテノール歌手である。ウィーン男声合唱団の団長も務めた。パルクシュトラーセ4番地の屋敷は4階建てで、ほぼ宮殿と申してよい規模。ここの音楽サロンの装飾はグスタフ・クリムトによるものだ。

現在ウィーン観光の目玉になっているような有名な建物の多くが彼の寄付によって建てられたという。楽友協会、コンツェルトハウス、クンストラーハウス、市庁舎、国会議事堂、フォーティフ教会、ウィーン大学など枚挙に暇が無い。

屋敷の音楽サロンにはブラームスの出入りも確認されているし、資料室にはブラームスの手紙も保管されている他、何と言ってもシューベルトの自筆譜のコレクションが超目玉だ。ブラームスはこれが目的で出入りした可能性もある。ウィーン郊外への散歩にブラームスと同行したことがホイベルガーによって証言されている。

さらにもっと凄い話を小耳に挟んだ。ウィーン中央墓地にあるドゥンバのお墓は、ブラームスの墓の隣にある。ブラームスは26番で27番がシュトラウスなのだが、25番がドゥンバだった。ウィーン中央墓地32区Aは「楽聖特別区」だ。音楽家ばかりの一角に埋葬されているところを見ると現地では相当な位置付けだと思われる。

2021年7月 3日 (土)

充電期間

ハンブルク出身のブラームスが正式にウィーンに居を構えたのは1862年9月だ。29歳であった。ハンブルクフィルハーモニーの指揮者の地位を熱望していたが、種々の事情で実現しなかったこともあり、心機一転の気持ちもあったと思う。

この時点で、ウィーンでの職が決まっていた訳ではない。明くる1863年春にウィーンジンクアカデミーの音楽監督就任を打診され、実際に就任するのは秋のシーズンからだ。この間演奏会への出演はあったが定職とは言えない。ウィーン進出から職につくまでのおよそ1年間がいわば「充電期間」だったと位置づけられよう。

この充電期間にブラームスがしたことは何かが本日の話題だ。もちろん作曲は続けていたが、その他あちこちの演奏会に出演して人脈を広げたことも大きい。ウィーンならではの研究もあった。楽友協会あたりの図書館に通って古い楽譜を写譜したという。後年ブラームス自身が一部の友人に語ったところによれば、ウィーンに来て最初の仕事は「知られていないシューベルト作品の写譜」だったという。シューベルトの兄と親交があった出版社シュピーナが所有する自筆譜を夢中で写し取ったと回想する。シューベルトの歌曲の編曲や、ピアノ連弾用のワルツはその成果と位置づけ得る。

 

 

2021年7月 2日 (金)

中学生レベル

この度の第二次歌曲特集に着手する時点での、シューベルト歌曲に対する私の知識のレベルだ。いい歳をして中学生レベル。作品名と旋律が脳内で一致するのは下記の7曲くらい。

  1. 魔王
  2. ます
  3. 死と乙女
  4. セレナーデ
  5. 菩提樹
  6. 子守歌
  7. アヴェマリア

歌曲という制約をはずしても、これに未完成交響曲と軍隊行進曲が加わるくらい。恥ずかしいを通り越して何ともお寒い状況だ。ブラームスに極端に特化したブログの管理人なんぞこんなもんである。

2021年7月 1日 (木)

ドイチュ先生

ドイチュ番号で思い出した。著者オットー・エーリヒ・ドイチュではなくヘルムート・ドイチュ先生のことだ。歌曲伴奏の第一人者として長く君臨する。実は彼こそが書籍「ブラームスの辞書」の生みの親だ。一連の経緯は下記の通り。

  1. 伴奏の芸術
  2. 秋川の奇跡
  3. 花束の大きさ

ドイチュ先生の著書は「伴奏の芸術」という。

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この本の28ページに「ブラームスのダイナミクスの指定は並外れて変化に富み、それを全部書き出してリストにするのも、おそらく価値があるのではと思われる」と書いてある。書籍「ブラームスの辞書」の執筆に踏み切れずに迷っていた時、この部分に触れて背中を押された。

だから出版後、なんとしても先生に進呈したいと欲しての突撃であった。奥様にも進呈したお礼にとサインまでいただいた。

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ここに掲示するわけにもいかないが、ご夫妻との記念写真が今も私の宝でる。

今、シューベルトの記事を発信するにあたってもう一度読み直している。ドイチュ先生はシューベルトの記述に特段の愛情をささげておられる。これも縁。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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