お盆のファンタジー42
「今年の流れで、彼以外を連れてきたら、あとあと何を言われるかわからんからな」とマスクのブラームスは、いきなりのどや顔で紹介してくれた。
「シューベルトです。握手は控えますか?」と空気を読めるシューベルトさんだ。見覚えのある丸メガネは音楽室の肖像通りだ。「わしらは楽友協会で職域接種をすませたところじゃ」とブラームスさんが割り込む。「我が家は母だけが接種済みですが」と両手で握り返すと「フランツと呼んでくれ」とフレンドリーな返事が返ってきた。「現在ブログ上で事実上のシューベルト特集を展開中なんだ」と、はしゃぐと、お見通しのブラームスさんは「道中フランツとその話をしてきたところだ」とどや顔の上塗りである。
「ここだけの話、シューベルト先生の魔王は、あれは病魔だ」「我々の時代、コレラやスペイン風邪などたびたびパンデミックに襲われている」「魔王のテキストは庶民にとって遠くの話ではないんじゃ」「あれがop1でいいんだか悪いんだか」とブラームス節が早くも全開だ。
立ち話もなんなんでとリビングに招き入れてビールを用意した。ジョッキを持って立ち上がったブラームスさんがいきなり歌い出した。すぐにシューベルトさんも唱和して「プロジット」と盛り上がる。「大丈夫19時までには飲み終わる」と訳知り顔のブラームス。「TrinkLiedじゃ」と教えてくれた。「テキストはシェークスピア」と付け加えるのも忘れない。私が「D888ですね」というと二人とも「はて?」という顔付き。「D番号はシューベルト先生の作品を整理する番号ですわ」と説明するとブラームスさんは興味深そうに身を乗り出して「バッハ先生のBWVみたいなもんかの」とさすがのつっこみ。
その間シューベルト先生はにこにこと笑っているだけだ。
次女が2階から降りてきて「はい。これ」と言ってシューベルト先生のD番号のリストを二人に差し出した。「オットーエーリヒドイチュ先生によってこのリストが出来たのは1914年なのでブラームス先生が知らないのも無理はありません」と説明した。「これは便利なものがあるな」とブラームス先生。「BWVのようにジャンル別なのとどちらがいいかと言われれば、わしなら作曲順を採る」と独り言。鉛筆で何やら印をつけていると思ったら、あっというまにこちらに向き直って「リート全てに印をつけておいたよ」と。「タイトルだけ見てわかるのですか」と次女が目を丸くして尋ねる。「ああ」とこともなげのブラームスさんだ。「旋律が思い浮かぶどころかピアノ伴奏まで頭に入っているわい」と付け加えた。
「楽譜は無いのか」とブラームスさんが次女に向かって尋ねる。「ブラームス先生の楽譜なら全てそろっているのですが、シューベルト先生の作品はまだそろっていません」と次女。「三大歌曲集と一部の歌曲抜粋だけですわ」と私がポリポリと頭を掻く。
ブラームス先生はすぐにスマホを取り出して電話するや早口で何か言っている。あっという間にこちらに向き直って「ウイーンのマンディに言ってさっそく楽譜を送らせるよう指示したから。ラインではなかなか既読つかんからな」と言う。「仕事はやっ」と次女。「膨大な量になるのでとりあえずリートだけじゃよ」とブラームス先生。「わしは全部暗譜してるが、盛り上がるには楽譜があったほうがいい」とまたまたどや顔だ。
「歌曲の王と王子に乾杯!」と今度は次女が勢いよく立ち上がった。
歌曲の王子は耳まで真っ赤にして飲み干した。
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