お盆のファンタジー43
「歌曲の王子」と無茶ぶりされて顔を赤らめたブラームス先生だったが、ここまでずっとにこにこと話を聞いているだけだったシューベルト先生が興味深そうに乗り出してきた。「して、歌曲の王とは私のことですか?」と、とぼけまくった質問にブラームス先生はビールを少し吹いた。口元をぬぐいながら「いかんいかん道中肝心な話をしていなかった」「とっくに知っているかと思った」と。考えれば後世の歴史家や研究家の評価なんぞ本人は知るはずもない。
そりゃあ、声楽作品は神代の昔から山ほどある。しかしドイツ語の詩作を題材にピアノ独奏の伴奏と1人の声楽というジャンルの創始者は間違いなくシューベルト先生じゃな。そりゃあモーツアルト、ベートーヴェンの両巨頭にだって定義を満たす作品が無いわけではないがね。ゲーテ先生とシューベルト先生の出会いが全ての始まりだったとわしはにらんでおる。「誰にでも歌える」がモットーだったプロテスタントの賛美歌と違って、歌手にもピアニストにもそれなりの技量を要求する。オペラと教会以外に歌手たちの働き所を作った功績は量りしれん。
とまあ立て続けだ。黙って聞いていたシューベルト先生がボソっと口を開いた。「私が王で、あなたが王子ということは、あなたが歌曲においての私の正当な後継者という意味なのですか?」これにブラームス先生はジョッキを持ったまま凍り付いた。
「そうなんです」と乗り出す私。「間違いありません」。最近それが確認したくてシューベルト先生の作品を浴びるほど聞きましたが、仮説はもはや確信に変わりました。作品の総数こそシューベルト先生の3分の1程度ですが。
「何故そう考える」とシューベルト先生とブラームス先生が同時につぶやく。
総数およそ600曲で、さまざまな領域に及ぶシューベルト先生に対し、その一部を正当に継承していると感じます。一部とは「有節歌曲」です。その繊細な変形まで加えればこれがブラームス先生の歌曲創作の根幹にあります。とりわけ短い作品を多く生み出しています。ディテールに富んだ伴奏や調性の繊細な取り扱いなどにDNAを感じます。これに対しレチタティーヴォ付歌曲や長大なバラードはには背を向けています。狭い意味での「リート」は「有節歌曲」だった歴史的な意義をじっくりトレースしているのがブラームスさんです。
私が一方的にここまでまくしたてて、一瞬座が沈黙した。
そうした歩みの果てに最後にたどりついたのが「4つの厳粛な歌」だと感じます。おずおずと私。
「シューベルト先生には例のない独訳聖書からのテキストじゃの?」とブラームス先生がおもむろに口を開く。「ウイーン生まれのシューベルト先生はカトリックで、わしはルター派と言いたいんじゃな?」と付け加えた。「むしろシューベルト先生の倍も長生きされた結果かと」私が控えめに反論する。
「そっちか」と大笑いのブラームスさんだった。
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