話を繋ぐ
初対面から日の浅い者同士が同席した場合、会話が続かないということがままある。この時に起きる気まずい沈黙が苦手という向きは多い。ましてや相手が目上の人やいわゆる大物だったらこの気まずさはさらに増幅する。
相手と打ち解けて何ぼのベテラン営業マンは、経験上ノウハウを持っていることが多い。床屋さんやタクシーの運転手もきっと同じだと思う。つまりどんな相手でも間が持つ話題を1つ2つはいつも用意しているのだ。天気、ゴルフ、野球、他一般の時事ネタだ。これらを相手の性別、年齢やその場の空気により使い分けているのだ。
ブラームス相手にこれをやるのは至難の業だったらしい。元々有名人ハンターにつきまとわれることが多くて歳とともに警戒モードがエスカレートしたブラームスだから相手は大変だ。逆に言うとこの段階での気の利いたセリフ一つですっかり打ち解けた人もいるが、それはあくまでも少数派だ。
当時の楽壇を二分した大論争の片方の首領だということは、音楽関係者だったら皆知っていた。会話をつなぐためにワーグナー派批判を展開する輩が多かったらしい。ワーグナー作品への批判に加え、その取り巻きへの批判も含まれていよう。この手の輩は大抵、こっぴどく説教されたとホイベルガーが証言している。大して曲を知りもしないで、自分へのご機嫌取りのための発言であることがバレバレなのだ。
ワーグナーだけではない。過去の作曲家への安易な批判には断固抗議したという。バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンに加えシューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ドヴォルザークあたりが擁護の対象だった。打ち解けた相手にはこれらの作曲家の批判もときたましているから、ただ闇雲に肩をもった訳ではない。
本人の作品を誉めるのはさらに逆効果だという。曲を深く知った上での発言かどうかがたちどころに判るからだろう。スイスの詩人でブラームスのお友達のヴィトマンの証言は興味深い。
スイスアルプスの絶景に触れ感動したヴィトマンは、ブラームスに向かって「このような素晴らしい景色は、詩や絵では表現出来ない」と言った。これに対してブラームスは「この正直者」と言ってたいそう喜んだという。「このような景色を見ると、先生(ブラームス)の交響曲○○番の第●楽章を思い出します」などと見え透いたことをいう輩が多いらしい。
もし私がブラームスに会ったらなんて言おうか。
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