お盆のファンタジー44
音楽の三要素と言えば一般に「旋律」「リズム」「和声」とされとるが、ドイツ音楽伝統のリートに限ればこれに「テキスト」が加わると申していい。とブラームスが話を変える。ドイツリートは必ずテキストが先行する。テキストに接した作曲家の脳内に起きるインスピレーションこそが始まりだ。これはどうあっても不動だ。作曲家によるテキストの取り扱いが見どころ聴き所となる。和声、リズム、伴奏によりテキストのイメージを具体化するわけじゃな。
シューベルト先生の飲み物はいつの間にかワインに変わっていたが、相変わらずにこにことうなずいている。
テキストに関して作曲家が出来ることは限られていると感じる。次の3つくらい。とブラームス先生がドイチュ番号表の余白に鉛筆で書き出す。
- テキストの採用不採用 その詩に曲をつけるかどうか。
- テキストの詩節の省略 オリジナル4節にうち1節省くとか。
- リフレイン オリジナルにない語句の繰り返し。
シューベルト先生から学んだのは特に2と3じゃな。テキストが有節歌曲として様になるかと自問する。2と3で上手に処理すれば大抵は有節歌曲になる。「それでもだめなら不採用ですね」と我が意を得たりの風情でシューベルト先生が続けた。「加えて」とまたまたブラームス先生が続ける。「テキストが持つ詩としての抑揚やフレージングに合わせて適切な音を当てていく」「ここに無理は禁物じゃ」「なあにテキストに心から共感できていれば、容易いこと」「気の利いた伴奏や転調は勝手に湧いてくる」
「だから」とシューベルト先生が続ける。「つくづく1番のテキスト選びが大切なんだ」と。「作者の知名度にはほぼ相関関係はない」「最初の直感が大抵正しくて、後からいじくりまわすと悪くしてしまうことが多い」
独訳聖書からこれと思う語句を選んで曲をつけるという「4つの厳粛な歌」の手法は斬新ですねと私が横やりを入れる。「おお。確かに」とシューベルト先生が同意する。「チョイスもまた芸術ですね」
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