白鳥の歌論争
シューベルト三大歌曲集のラスト「白鳥の歌」の話。同歌曲集に先行する「美しき水車小屋の娘」や「冬の旅」と違って、作曲者シューベルトが歌曲集という体裁に関与していないという話をしてきた。
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第二巻194ページにホイベルガーの証言する興味深いエピソードがある。1896年12月12日とあるから、ブラームスが没する4ヶ月程前のことだ。
話題は例の「白鳥の歌」だ。とある歌手がそれをまとめて演奏するという噂を聞き、ブラームスがヘソを曲げたという。「白鳥の歌」はまとまった歌曲集ではないというブラームスの持論に反するからだとはっきりと書いてある。「かのシュトックハウゼンもまとめて演奏しましたが」という反論には「奴はちっとも言うことを聞かないから」とバッサリだとも書いてある。これらを書き留めたホイベルガーは、自分の意見を述べることなく、楽友協会司書でシューベルト全集歌曲部分の編集主幹であったオイゼビウス・マンディチェフスキーの言葉をじっと引用する。
「自筆譜からはシューベルトが歌曲集をひとつのものとして考えていたことが読み取れる」とある。
歌曲集「白鳥の歌」には当時論争があったということだ。多数決的にはブラームスは分が悪そうだ。
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